あとがき

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あとがき

おばあちゃんは私の母の母です。 深川生まれの江戸っ子でした。 家業はガラス工場で、そこに働きに来ていた福島出身のおじいちゃんと結婚、7人の子宝に恵まれました。 その後、東京大空襲に遭い、焼け出されて何もかも失ってしまいましたが、夫婦と7人の子供の命は無事でした。 知り合いを頼って神奈川に来て、借家からの再出発。 経済的には苦しかったはずですが、長男である叔父も年齢を誤魔化して働くなど、みんなで助け合って明るい家庭を築いていきました。 私が物心ついたころから、おばあちゃんは少しもじっとしていない働き者。 私の家の工場が忙しい時には、電車と徒歩で通って働きに来てくれました。 休みには、いつも子供や孫の布団を仕立ててくれました。 側布と、中身のわたを小さな体に背負って電車に乗ってやってきて、手ぬぐいを姉さんかぶりで仕立ててくれるのです。 あっちの孫の家、こっちの孫の家と、飛び回って布団を仕立ててくれました。 年を取ってからも、身軽に子供や孫のところへ出かけたり、老人会の旅行など、ずっと動き回っていました。 医者から、心臓肥大なのであまり出歩かないようにと言われるまでは飛び回っていました。 そんなお祖母ちゃんの没後、文章を書き残したノートが見つかりました。 しかもエッセイ風のもので、皆、驚きました。 実はおばあちゃんは子供の頃、勉強が出来て、先生から親に、上の学校にやってくださいと言われたそうなのです。 でも、親は「女は嫁に行くので学問はいらない」と断ったようです。 お金も無かったのでしょう。 でも、おばあちゃんは勉強が好きだったので、独学で難しい漢字も読み書きできました。 発見されたエッセイ、学校にも行けなかったおばあちゃんは、忙しくても書きたかったのでしょう。
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