伍 縁側の二人

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「よりにもよってそっちを!」 「取ったらこれだった。味違うのか? また買えばいいだろ」 「もうっ、楽しみにしてたのに」 「一人で食べるより一緒に食べた方が美味いだろ?」  そう言って凪は袋を差し出して来た。仕方ない。私は普通のシュークリームを手に取り、彼の隣に腰を下ろす。  主の菓子を奪うなど言語道断、謀反など許せん、と言う人もいるかもしれない。けれど、私と凪の間に厳格な主従関係など存在していない。いつかは追い越してしまうが凪の方が年上だし、そもそも貴族だ。時々偉そうだし。私達は仕事のパートナーで、同居人で、友達みたいなものだ。契約上の繋がりではなくて、絆で結ばれているといいな……。 「ねえ凪」 「ん」 「私、貴方が好き」  凪の手から空になったシュークリームの包み紙が落ちた。 「私は生きてて、凪は幽霊。でも、貴方が好き。貴方が近くにいてくれるだけで、とても幸せなの。だから、ずっと傍にいてね」  ……私は今何を言ったんだ?  しばらくの間、凪は何も言わなかった。目の前で消える婚約者の姿を見てから余り経っていないのにこんなことを言うなんてタイミングがよろしくない。そんなことは分かっていた。しかし、抑えきれない思いが溢れてしまった。  今、とても恥ずかしい。いっそ殺してくれ。 「俺が主を見限るような式だと思うのか?」  凪に肩を抱かれた。距離が驚くほど近くなり、私の口から変な音が出た。 「う、ひぁ」 「安心しろよ。御前が望む限り、俺は御前の傍から離れられないんだから。俺も離れるつもりなんてないしさ。ちゃんと契約もやり直しただろ?」 「あ、うん、それはそうだね……」 「俺も御前が好きだよ。御前といるとすっごく楽しい」  ぐっと顔を近付けて、彼は私の耳元で囁いた。 「な、凪っ……」  殺してくれとは念じたが実際に心臓を止めるようなことをしてくるとは想定外である。顔が近すぎる。 「だって御前は、俺の主で、俺の大切な唯一無二の相棒だからな」 「ん?」  なんか違うな。いや、違わないのだが。 「クリーム付いてる」  凪の指先が私の口元を撫でて、クリームを拭い取った。そしてあろうことか彼は指に付いたそのクリームを舐め取ったのである。恐ろしいことをする男だ。本格的に私をどうかしてしまおうというのだろうか。  動揺と混乱と乙女心と主の威厳がぐちゃぐちゃになった私は、食べかけのシュークリームを手にして呆けた顔で彼を見つめることしかできなかった。  彼の本心は私には分からない。鈍感な風にしてみたり、思わせぶりな行動をしてみたり。今もこうして、私の肩を抱いたまま「もう少しこのまま」とか言うので余計分からなくなってしまう。いつかちゃんと、私の思いを伝えることができるのだろうか。そしてそれは彼に届くのだろうか。  千年前を生きた彼と、今を生きる私。私達が出会う確率はとても低い。出会って、共に暮らして。そうして日常を送ることが、それだけで特別に思えた。この時間を大切にしよう。これからも。  貴方と二人、この縁側で。何度も何度も星を見て、虫の声を聴いて、雪に感嘆して、桜に思いを馳せて、風を感じていたい。  この人と歩んでいると、私の心に吹く風はずっとずっと凪ぐことがないだろう。
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