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「煌羽」
落ちたメイクが付着している手が私の肩を掴んだ。いや、掴むように手を伸ばした。
「今回の仕事に必要なのであれば、俺は御前の指示に従おう。でも、俺の幸せを勝手に決めるな。俺に逝けと言うのは仕事か? それとも私情か?」
契約を解除しても尚金色に輝く瞳が私を捉えて逃がさない。
「そ、れは……。だって、二人はこんなに愛し合ってるのに、こんな、会えたのに、お別れなんて」
「私情、なんだな。俺は、もういらないのか?」
「違うっ、逝ってほしくないっ。でも、私、どうすればいいのか分からなくて。貴方は、だって、彼女に会いたくて、別れたくなくて、それなら、それなら……」
「煌羽さんは鶴様のことを大切に思ってくださっているのですね」
光に包まれている凩の君が優しく笑った。彼女は私を見て、そして凪を見る。彼女の体は既に透け始めていた。残された時間はあと僅かだ。
「私は鶴様に会うためにここに留まり続けました。会えたから、言葉を交わすことができたから、満足なのです。私、素敵だったと言える人生を過ごしました。貴方のことはずっと針のように悲しく刺さっていたけれど、それでも、幸せに生きたのです。貴方のお陰で、御簾の外の世界が広がったの。貴方に会えてよかった。また貴方に逢えた、それだけでとっても嬉しいの」
「希子……」
「煌羽さん、鶴様のことをどうかよろしくお願いします。貴女なら彼のことをしっかり支えてくれそうです。ねぇ、鶴様。鶴様、笑って。私、貴方に逢えて嬉しいから笑うわ。だからどうか、貴方も笑ってください。そんなに泣かれたら、私離れられなくなってしまうわ」
「逝ってしまうんだね、希子。分かった。分かった。それでは私は笑顔で貴女を見送りましょう。私は……俺は、やっぱり煌羽のことを置いて逝けないや」
「貴方も良い方に出会えていてよかった」
消えて行く足で踏み出し、彼女は凪に近付いた。ぐしゃぐしゃになりながら笑顔を作る凪は手を広げて彼女を出迎える。
「宣忠様、大好きでした――」
背伸びをした彼女の唇が凪の頬に触れた。それを抱き締めようとする凪の腕の中で、彼女の姿は光となって消えて行った。
虚空を掴んで凪は自分の体を抱く。
「煌羽……俺、笑顔だった? ちゃんと、希子様のこと笑って見送れたかな……?」
「うん」
「そうか、それならよかっ……」
堪えていた涙がぼろぼろと零れ出した。凪は崩れるように地面に膝を着いて泣き始める。
私は屈んで彼のことを撫でた。ただの浮遊霊の状態になっている彼の体に私の手が触れることはないが、そっと茶色い髪に手をかざす。
「笑えていたよ、ちゃんと」
「う……うぁ、あ……」
しばらくの間、凪は子供のように声を上げて泣き続けた。
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