肆 これから先も

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「この感覚久々だな。いつもなら途中で行き倒れてるぞ」  実体のない浮遊霊に体力の限界などない。その名の通り少しくらいなら浮かぶことができるし、壁でも何でも通り抜け放題である。機動力だけを見れば浮遊霊の方が勝っているとも言えるが、飛んだり跳ねたり踏ん張ったりするのが難しいため瞬間的な勢いはあまり出ない。  ものの数分でバスに追い付く脚力を見せてくれた凪だが、生きた霊に戻ればいつも通りの脆弱な体力と壊滅的な運動神経を持つ事務作業特化型貴族になる。 「生前に会った妖っぽい子、心当たりはあるの?」  人々のざわめきに溶かして混ぜながら小声で訊ねると、凪は首を横に振った。冠から垂れる纓が揺れる。 「顔も名前も分からないし、おおよその姿も全然思い出せないんだ。向こうは覚えているかもと思ったけど、希子様でさえ困惑してたから今の俺の姿じゃ俺だと分かってもらえないかもしれない」 「じゃあお参りして、とりあえず奥の方まで行ってみようか」  伏見で出会ったのだとしたら、それは稲荷神の神使である狐だろうか。それとも稲荷山のどこかに住みついている妖だろうか。最初に会った場所も関係あるのかもしれないが、そこがどこだったかは覚えていないらしい。  本殿に参拝し、千本鳥居を進む。伏見稲荷へ行く予定はなかったため、私の足元は山登りに適したものではない。バスに乗る前にスニーカーを入手しておけばよかったと思ったがもう遅い。  私のウイングチップの靴よりも山に弱そうな凪のヒールのショートブーツは、足音一つ立てずに石の上を滑っていた。疲れを知らないし足も痛くならない。浮遊霊の状態であれば山頂までも行けるだろう。  千本鳥居を抜けて奥の院に着いたところで凪が立ち止まった。お参りするのかと思いきや、身を屈めて私の足に手を伸ばす。 「わっ」 「この靴じゃこれ以上の登山は厳しいよな。ここで引き返そうか。てっぺんまで行かない人はだいたいここで戻るみたいだし……」 「目当ての子、上にいたらどうするの」 「御前が怪我したら困る。お参りしてここでちょっと休憩してからどうするか考えよう」  ここは奥の院。これより先はまさに登山で、ここで引き返す人も僅かだがいるようだった。  二礼二拍一礼の最後の一礼から顔を上げたところで白い生き物が視界に入った。すぐに社の影に隠れてしまったが、神使の狐だと思われる。神様の姿を見たことはないが、こうしてお遣いの動物の姿があると近くに神様もいるのかもしれないと思えた。  凪は辺りを見回しているが、先程の狐以外にそれらしい存在の気配は感じられない。伏見稲荷にはいないのか、それとも頂上への道中にいるのか。 「凪、一人で上まで行く?」 「それじゃあ意味がない。御前とここに来たことに意味があるのに。彼女と来られなかった場所にも、御前とは来られたって……」
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