2.湖底に沈んだ記憶

10/17
前へ
/28ページ
次へ
 翌朝、予定では近くの森林公園でスケッチをするはずだったミコトは、(たけ)()を連れて帰るため、もう一度Kダム行きのバスに乗った。それは、昨日、(たけ)()が駅まで歩いて戻ることを断固拒否したからだ。 「人に見える白蛇の姿で帰っても良いのだな?」 「それは困ります」  (たけ)()の場合、人に姿が見えないようにも見えるようにも出来るので、目立つ姿は脅しに十分だ。白猫の姿でトートバッグの中に入って、動かずに移動することが気に入っているようだから、仕方ない。  今日も朝から日が照りつける。ジリジリと肌が音を立てて焼けていくのではと思うほど、日差しが強くて痛い。  観光客を満載にしたバスに乗り込んで一つだけ空いていた席に座ると、ホテルを出てからトートバッグの中でスケッチブックに変身したまま軽口を叩いていたニャン七郎が寡黙になった。  少しは黙っていて欲しいと思うこともあるが、車内が楽しげに仲間と語り合う声で満たされ、ほぼ観光バスと化した路線バスの中では、ニャン七郎が無口でいるのが寂しくなる。  発車時刻になってバスが重そうに滑り出すと、三方向から来る笑い声混じりの会話に包まれるミコトは、聴覚を意識的に封じて外を見る。  移動するバスが置き去りにしていく風景は、これで目にするのは二回目で、さして代わり映えもしない。飽きてくると、意識が視覚から聴覚へ傾く。少し黙っていて欲しいと思ったら、運転手が「観光バスではないので、静かにしてください」と車内放送で訴える。  これで潮を引くように静かになると思いきや、会話を途中で諦めない数組が、自分達の声で忠告が聞こえなかった振りをしているのか、笑い声を上げる。これには、運転手も嘆息したようで、車内放送から息の音が漏れた。  いよいよ、Kダムが近くなってきた頃、窓から差し込む日光に目を細めていたミコトの視界に、道端をバスの進行方向とは反対に早足で歩いている少女の姿が映った。  ――あの少女姿の怪異だ。  (たけ)()の姿はなく、一人のようだ。目を見開いたミコトが少女を視線で追うと、少女がこちらに気付いたらしく顔を上げ、慌てて引き返し、バスと併走を始めた。  その早いこと早いこと。さすがは怪異と言うべきか。バスと同じ速度で走っている。  何か言葉を発しているが、車内の声とエンジン音で聞こえず、もどかしい。  ミコトは、焦燥感に包まれた。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加