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「本当は、ここで俺は消えると思っていた。長い間探し求めていた記憶が手に入ったので、もう願いは成就したからな。だが、この通り、体はピンピンしていて、消える様子もない。なぜだかは分からんが」
「まだ何か、やり残していることがあるからかの?」
「やり残していること?」
「まあ、幽霊みたいに未練がなくなって消える怪異と、そのまま残る怪異もおるから、何とも言えぬが」
「神仏を呪ったり、人を呪ったりしたことを謝罪する? うーん、それはやり残しているうちに入るのだろうか……」
腕を組んで考え込んでいた少女は、しばらくして、はたと気付いた。
「そうだ! 供養だ! 俺は、村で全員が殺されているのを見て、恐ろしくなって逃げ出した。弔ってもいない」
「なるほど。郷里で供養。確かに、それなら、やり残していることよの。じゃが、長い年月を経て、農地は消えてそこは住宅地になっておるかも知れぬぞ」
「じゅうたくち?」
「人間の住む家が一杯ある所じゃ」
「それでもいい。ここのように、湖の下になっていてもいい。俺は、供養しに行く」
それから少女は、別れを告げ、右手を振って笑顔で背を向けた。
ミコトが少女に「元気でね」と手を振る。長子は「道中は気を付けよ」と声をかける。ニャン七郎は「道に迷うなよ」と言葉を贈る。
すると、二三歩進んだ少女が、振り返って困った顔をした。
「道が分からん」
ずっこけたミコトだが、よく聞いてみると、勾玉に入れられる直前に見た景色は、今は湖の中。その場所へは、長い放浪の末辿り着いたので、どの方角からどの道を通って来たのかは、思い出せないという。
「じゃあ、何の国の何という村なの?」
「村の名前しか分からん」
少女から村の名前を聞いたミコトが、スマホで検索すると、何百キロメートルも離れた三つの県に合計三箇所あり、いくら怪異でも歩いてここまで来るには無理そうに思えた。
村人が全員殺されて、村は名前ごと消えてしまった可能性もあるので、古文書で遡るしかないが、果たして記録が見つかるかどうか。
ネットで呟くのは良いが、怪異を助けるためなんて書き込めない。
今度は、困り果てた顔をするミコトを、少女が見上げて言う。
「難しいのか?」
「ごめんなさい。かなり時間がかかりそう」
「なら、お前の手を煩わせるのも悪い。ここで供養する。これで、したことにする」
そう言って、少女は湖へ向かって手を合わせ、黙祷を捧げた。
「供養したが、姿は消えないようだな。遅すぎたのかも知れないが……」
祈りを終えた少女は寂しそうに項垂れ、それから顔を上げると、ミコトへ振り返る。
「なあ。お前に付いていっていいか?」
「えっ?」
「お前と出会ってから、急に孤独が辛くなってきたのだ」
「――――」
「無理にとは言わん。だが、俺の存在を認めてくれる誰かの傍らにいたいのだ」
こうして、少女はミコトの写生旅行のお供となり、ミコトから「イズミ」と名付けられた。
少女の姿をしているが、元は男性。イズミなら、男女どちらでも使える名前であることと、湖と泉の音が似ていて、記憶が湖に沈んだ勾玉から取り戻せたことにちなんだのである。
仲間が増えて、賑やかな旅になりそうだ。ミコトは、雲の切れ間が広がって見えてきた青空を笑顔で見上げた。
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