1.いなくなったペット

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 ミコトは、少女の残像が消えてから誘われるように外へ出て、左の方向に顔を向ける。人間の少女の足音でもかき消すほど賑やかな虫の()だが、少女はこちらに背を向けたまま音もなく遠ざかる。 「待って」  家人を配慮して、ミコトは小声で呼び止める。それに気付いた少女は立ち止まり、頭だけ振り返った。何をグズグズしているのとでも言いたげな顔がこちらを向く。 「靴取ってくるから」  外へ出るには裏口を開けて出るという考えだけが頭にあって、いざ実行に移してから自分の靴を履いていないことに気付く。靴は玄関に置いたままだ。  じっちゃんの家に遊びに行って、裏口から出るときは置いてある突っ掛けを履くので、それが癖になっていたようだ。実際、無意識のうちに、この家のサンダルを履いている。  このまま外へ行くのは大胆すぎる。そんな自分が恥ずかしいミコトは静かに扉を閉めて、頭を掻き、くノ(いち)を再演する。  時々息を止めながら、窓から漏れる月明かりが届かない廊下を手探りで、抜き足差し足で進む。どうにか、磨りガラスのお陰で月明かりが入り込む明るい玄関に辿り着き、置いてある靴を取るため屈んだところ、膝の関節がポキッと鳴った。  こんな音でも気を遣う。手を伸ばしたまま動きを止めて耳を澄ましてみた。  さすがに家人は起きないだろうと思っても、脈拍が上昇する。  玄関の向こうから漏れ聞こえる虫の音以外にないことを確認し、靴を右手でつまみ、体と服が擦れる音まで気にして裏口へ戻る。  裏口の扉を開けるところからやり直すミコトは深呼吸をし、慎重に扉を開けたが、半分開けたところで心臓も胃袋までも跳ね上がった。  少女が目の前に立っていたからだ。  靴を取りに行く間に人の気配へ最大限気を遣った後だけに、こうやって登場されると心臓に悪い。まあ、待ってと言ったから正直に戻ってきたのだろうから、自分が蒔いた種だけに、文句は言えないが。 「靴履くから待ってて」  驚きを笑顔で隠して、ミコトはいったん扉を閉めて、近くの窓から差し込む月明かりを頼りに、靴を履く。もう一度扉を開け、少女と対面したとき、今度は平静でいられた。 「きて」  少女はそう言って背を向けて、またもや音もなく遠ざかる。  空を見上げると、ちょうど月が薄雲に隠れ、辺りは暗くなり、雲の中で恨めしそうに丸く光る月が見えた。このような暗さでも、少女のボウッとした姿はちゃんと見えている。幽霊特有の発光現象だとミコトは思っているが、もちろん霊的なものを感じない人には見えないので、彼女特有の感覚である。  少女は、左の建物と右の墓地の間――それは一メートル半ほどの狭い道――をゆっくりと歩く。墓地は塀に囲まれておらず、土地の境目にコンクリートのブロックを2段積み上げた程度で囲んだことにしている。  そう言えば、最初にこの家に来たとき、隣接している墓地は車道側にも塀はなく、墓石が車の往来を見る形になっていることに気付いた。墓地に入らず、車道の端に立って手を合わせてお参りできるのだ。  誰でもお参りをどうぞ、と言う訳ではないだろうが、供物を盗まれないだろうかと心配になる。  そんなことを思っていると、少女が急に右折してブロックを跨いで墓地の中へ入って行く。ミコトは、砂利の音が鳴らないように、ここでも抜き足差し足で少女の後を付いていった。
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