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『お困りのようですね』
男の声音に目を開けると、見知らぬ奴が逆さまにこちらを覗き込んでいた。
慌てて体を起こし、さらに驚く。今し方、ベンチの後ろに立って僕の顔を覗いていた奴が、起き上がった時にはベンチの正面に立っていたのだ。足音もなく、一瞬で。瞬間移動でもして見せたとしか思えない。
『おや、驚かせてしまいましたか。これは失敬』
男の声が悠長に喋り、横に流した前髪を白い手袋の指で撫で付ける。目と口の位置に下向きと上向きの三日月がそれぞれ並んだような仮面を付けている所為で、表情どころか口の動きひとつ見えない。上等な黒のスーツが、怪しさを引き立てている。
『怪しい者ではありませんので、ご安心を』
笑みを含んだ口調が弁解するが、こいつを不審者と言わずして何と言うのだろうか。
ふと辺りを見ると、公園の夕景はいつの間にか薄暗く、青みがかった色に染まっている。
いや、そんなはずはない。僕が目を閉じたのは、ほんの数秒だ。背を凭れて目を瞑っただけで、そんなーーー
ーーーああ、そうか。
これは夢か。
目を閉じたまま、うっかり眠ってしまったのだ。
失恋した直後だから、こんな気味の悪い男の夢を見ている。
『気味の悪いとは心外ですね』
目を丸める僕を、無機物の笑顔が見つめ返す。
落ち着け、落ち着け。言い当てられたから何だ。夢なんだから、それくらいどうってことないじゃないか。
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