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その後は食事も和やかに進み、料理がすべてなくなる頃には全員が上機嫌で笑っていた。
が。
千寿留が七杯目を過ぎたあたりから泣き上戸を発揮し、芽衣が子供を産めないことを悲しみ、そんな芽衣を受け入れてくれた春海に感謝し、と忙しい。芽衣と竜太郎はそんな千寿留からビールのグラスを取り上げ、何とか宥めようとするがまったく聞く耳を持たない。
「もう、お母さんってば、春海さん困ってるから」
「そろそろお開きにしましょうか」
「そうだな。明日もあることだし」
春海の提案に竜太郎があっさりと同調する。
「明日は店が分からないでしょうから、迎えに行きますよ」
「ああ、そうしてもらえると助かるな。そちらのご両親はいいのかい」
「あの人たちは大丈夫です」
冷ややかに言った春海を目だけで見やったが、竜太郎は「そうかい」とだけ返した。
二人をホテルの部屋まで送ると、歩いて少し酔いが冷めたのか、千寿留が「そうだ!」と突然声を上げて部屋に飛び込んでいくのを、芽衣と春海はぽかん、と見送る。
「おい、お母さん、どうした急に」
竜太郎がその後を追う。
すぐに戻ってきた千寿留は、その手に持っていた紙袋を春海に差し出した。
「これ、芽衣と二人で食べて。八女のお土産」
にこにこと上機嫌の笑顔で告げられて、春海は反射的に受け取る。
「ありがとうございます」
「じゃあ、気を付けて帰ってね。明日もよろしく」
すっかり砕けた口調の千寿留に、春海も微笑んで頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。おやすみなさい」
「おやすみ」
芽衣も両親に手を振って踵を返す。
「おやすみ~!」
見送るだけならまだしも、ドア口から大きな声を上げる千寿留を「やめなさい」と竜太郎が慌てて止め、ドアが閉まる音がした。
肩越しに振り返った芽衣が「もう」と眉を寄せる隣で、春海はくく、と喉奥で笑う。
「楽しいお母さんだね」
「いやもう、なんかいろいろすみません……」
「どうして。いいご両親じゃない」
思わず見上げた春海の横顔は、柔らかく微笑んでいて、それが嘘ではないことを感じ取る。
「……ありがとうございます」
「問題は、明日だ」
「はい」
知らず知らずのうちに頬に力が入った。
代行でマンションに帰り着くと、迎えたコンシェルジュが申し訳なさそうな顔で「お預かりしているものが」と大きな箱を差し出した。
「これは」
春海の平坦な問いに、恐縮した様子で答える。
「一時間程前に菊枝様がお見えになりまして……奥様に、明日これを着てくるように伝えるよう仰せつかりました」
「明日……」
つまり、食事会の服装を指定してきたと。
「……分かりました。ありがとう」
「いえ。おやすみなさいませ」
ほっとしたように微笑んで頭を下げるコンシェルジュに、おやすみなさい、と揃って会釈をして、受け取った箱を抱えてエレベーターに乗り込んだ。
春海の抱えたその箱をじっと見て、そこに刻印されたブランド名を見る。
「……あまり聞いたことのないブランド名ですね」
ちら、とそのロゴに目をやった春海が、「ああ」と頷いた。
「菊枝さんが昔から愛用してる店だ」
「……菊枝さんって、着物のイメージなんですけど」
「そういえば、最近は着物が多いな」
見てみるまではまったく想像がつかず、帰り着くなりすぐにリビングのテーブルで箱を開いた。
薄い紙に包まれたそれを開いてみると、現れたのはモスグリーンのレースワンピース。
箱から出して広げてみる。
七分袖とプリーツでデザインはいいのだが、この季節に着るには袖が短いうえに生地が薄い。
芽衣が持ち上げたそれを見た春海が、眉を顰めた。
「全体的に生地が薄くないか……?」
「はい……」
「袖なんてレースだし、絶対に寒いよな」
「はい……」
「季節感ゼロか……」
「でも、これを着ないと……」
「怒るだろうな」
しばし二人でじっとそのワンピースを見つめる。
一見薄く見えて、実は暖かいとか……?
僅かな期待を込めて生地を触ってみるが、見たとおりの薄さ。
「何をお考えでこれなんでしょうか……」
肩を落として呟く芽衣に、難しい顔でスマートフォンを操作していた春海が薄く眉間に皺を寄せたまま口を開く。
「――――― さすがにこんなあからさまな嫌がらせはしないと思うけど、予報では明日は気温が低くなる。我慢してまで着ることはないよ。俺も口添えするから」
どうやら天気予報を確認していたらしい。
厚手のジャケットやカーディガンを着るという手もあるが、そもそも季節感をガン無視したワンピースだ。重たいアウターは似合わない。
「それで体調を崩したら意味がない」
「はい。そうですね」
春海が味方をしてくれるのなら心強い。
素直に頷いて、ワンピースは丁重に箱に戻した。
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