114人が本棚に入れています
本棚に追加
ぐるりと店内を見回して、見知った白い狼の頭を見つけた。
マウスを操作してターゲットポインタを合わせ、話しかける。
「イオ、久しぶり」
『あれ、サツキ。何、随分重装備だね』
「ログイン自体があれ以来で、イベントが終わったばっかりだって、今知った」
『そうなんだ。まあ、イベントって言ってもトーナメントだったから、どっちにしろサツキは不参加だろ』
「なんだ、そうだったんだ」
『ここに来たってことは、話す時間がある?』
「うん、そのつもりで来た」
了承すると、すぐにプライベートモードに切り替わる。
『社長とはどう?そういえば、オフ会やろうって言った時、二週間は忙しいって言ってたけど、何かあった』
「お互いの両親を交えての食事会をやってました」
なぜか居住まいを正して、そのうえ敬語で報告してしまう自分に気付いて、芽衣は誤魔化すようにミルクティーを啜った。まだ温かい。
『へえ、そんなのやるんだ』
「そう、両家の顔合わせ。それを、今日やってきたの。もう、すっっっごく疲れた……」
深々と息を吐き出しながら零したその一言に、イオが鼻で笑ったような気がした。
「今、笑ったでしょ」
『あれ、おかしいな。草も笑も表示してないのに』
しれっと言いながらも、否定していない。
「何となくの雰囲気で分かります」
音声変換で表示された文章の最後に、怒っている顔文字を追加した。
返事は大量の草だった。大草原。
『その顔合わせの食事会って、お互いの親と一緒にご飯するだけなの』
「まあ、そうね。普通は」
『普通じゃなかったんだ』
光の速さの返しに、チベットスナギツネ顔で文字の羅列を眺める。
返事をしないままフルーツサンドを取り上げて、噛り付いた。
大きくカットされたキウイとマスカルポーネを混ぜ込んだらしいクリームが絶妙。
咀嚼しながら脳内食レポをしていると、目の先のメッセージフレームに文字が走る。
『あれ?おーい、寝てんの?』
「寝てないよ」
ミルクティーで口の中の物を流し込んでから答える。
『反応がないからだろ。それで、普通じゃなかった食事会ってどんなだったの』
明らかに面白がっているな、こいつは。
再びのチベットスナギツネ発動。
少し考えて、当たり障りのない部分をピックアップする。
「嫁姑問題にありがちな同居問題で、向こうのお母様とうちのお母さんでバトル勃発」
『嫁姑……同居……何それ』
うん。男子大学生にはまだまだ現実感のない話だったね。
というか、大学生じゃなくても、男には分かりづらいかもしれない。
「結婚したら相手の家に入るのが当たり前、VS、今時同居する方が珍しい、距離感大事、でファイッ」
『同居って、サツキが社長の両親と住むってこと?』
「そう」
『なんで?』
「昔はそれが普通だったからね。結婚イコール相手の家に入る」
『結婚って、当事者の二人だけの問題じゃないの』
「若いねえ。まだまだだねえ。イオの世代だと親御さんもまだ若いから、そういう考えの人は少ないかもしれないけど、皆無じゃないだろうから、もう少し世間ってものを知っておいた方がいいよ」
『出た、世間。大人ぶるんだから』
「大人なんです。いつか、イオが結婚するってなった時に、彼女の家族がそういう考えの人だって可能性はゼロじゃない」
食べかけのフルーツサンドを一旦置いて続けた。
「イオは、ご両親と結婚の話とかしたことある?」
『……ないよ。まだそんな歳でもないし』
「だったら、イオのご両親がどういう考えの人か、知らないってことだよね」
『どういう考えって、結婚に対して?』
「そう。ねえ、イオ。今は実家?それとも一人暮らし?」
『一人暮らしだけど』
「夏休みや冬休みはどうしてる?」
『バイトのシフトによるけど、大体は帰省してる。その方が金がかかんない』
「大学の休みは長いもんね。エアコンの電気代もバカになんないし」
『うん、それが何』
短い問いからイオが少しだけ苛立っている様子が窺えて、思わず苦笑が漏れる。
「大人になっても、お盆とか年末年始は帰省するじゃない?結婚しても」
『うん?』
いまいちピンと来てない返事。クエスチョンマークがそれを表している。
「少なくとも、ご両親は帰ってくるって思ってるでしょ、当然のように」
『まあ、そうだろうね』
「さて問題です。結婚したら、自分と奥さんの実家、どっちに帰省する?」
メッセージフレームにはしばらく何も表示されなかった。
芽衣はフルーツサンドの残りを平らげ、ゆったりと紅茶の入ったマグカップを傾ける。
ティーコージーがしっかりと仕事をしてくれているおかげで、まだ十分に温かい。
最初のコメントを投稿しよう!