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カップに残っている冷めたそれを一気に飲み干し、ポットから新しく注ぐ。
ふんわりと立ち上る湯気が、まだまだ温かいことを知らせてくるのに頬を緩めた。
そっと口をつけると、幾分か飲みやすくはなっているものの、まだまだ熱い。
カップの中身が半分ほどになる頃、やっとカーソルが動き出した。
『料理がどれくらいできるか、とかかな』
うっかり本日何度目かのチベットスナギツネになりそうになったけれど、待て待てと自分を諫める。
もしかしたら、やってもらおうっていう方向じゃないかもしれない。
「それは、分担の比率の相談、とか?」
『分担……いや、俺普通に料理できないし』
普通とは。
「私も大したものは作れないけど」
『え、そうなの?じゃあ飯はどうしてんの』
「お互いそこそこ作れるから、気が向いた方が作ったり、それぞれでテイクアウトやデリバリー」
『マジかよ。それでいいの』
「特に不満は出てないよ、今のところ」
『今は良くてもさあ』
「イオって女が家事をするべきっていう考えなんだ」
『いやだって、普通の家ってそうじゃないの』
「今は一人暮らしだったよね。家事はどうしてるの」
『今はやってるよ、それなりに。一人だからやらざるを得ないじゃん』
「うん。だよね。それがなんで、結婚したら途端にその『やらざるを得ない』人が奥さんの方になるの」
『え……だって、そういうものじゃないの?』
すう、と目が細くなるのを自覚する。
「女が皆、家事が得意だと思ったら大間違いだよ」
声が低く、棘を帯びたが、それはただ文字列に変わり、芽衣の声の変化までは届けない。
けれど、改めて並んだ文字列を見た芽衣は、そこに批難が滲んでいるのを見て取って、一つ深呼吸をしてから口を開いた。
すでに文字へと変換されてしまったものは取り消せない。
少しでも柔らかく見えるようにと言葉を選びながら口にする。
「料理が好きな人もいれば苦手な人もいる。男女限らずね」
適温になったミルクティーを一口含んで、ゆっくりと飲み下す。
『……まあ、それはそうだろうけど』
「だったら料理好きな子を探せばいい。そう思う?」
『だね』
「ぶぶー。料理が好きな子はいるよ。でもさあ、それは単純に作るのが好きで、それを美味しいって食べてもらうのが好きなだけで、必ずしも『彼氏に作ってあげるため』じゃないんだよ。イオの思う条件で探すなら、単なる料理好きな子じゃなくて、そういう『彼氏に作ってあげたい』子」
少し待ってみるけれど、イオは何も言わなかった。
だから、もう少し続ける。
「料理じゃなくて、家事全般そうだよ。イオもさっき言ったように、誰だって『やらざるを得ない』からやってるの。散らかった部屋で過ごしたくないから最低限片づける、少し節約したいから自炊をする、汚れた服を着たくないから洗濯をする」
滔々と口にしてから、はたと黙り込む。
しっかりと文字にされたそれを読み返して、どことなく圧を感じ、やってしまった、と頭を抱えた。
説教をしたいわけじゃないんだって。
でも、どうしたってイオにとっては説教だろう。
それならもう開き直る。
説教臭いといわれようと、これだからオバサンは、と言われようと。
芽衣はマイクを一旦遠ざけて、大きく深呼吸をしてから「よし」と気合を入れた。
口を開こうとして、目の先のウィンドウに文章が綴られていくのに気付く。
『サツキに言われて、考えてみた。今まで付き合った子で、特別料理が上手い子はいなかった。付き合い始めの頃は、ちょっと下手なりに頑張って作ってくれてたりしてたけど、段々それも少なくなって、外で食べることが増えた。飯だけじゃなくて、片付けが苦手とか、洗濯が面倒とか言う子もいた』
イオの好きになる子は、家庭的なタイプはいなかったのかもしれない。
料理が好きな子、片付けが好きな子、洗濯や掃除が好きな子。洗濯は好きだけど、取り込んでたたむのは苦手、というタイプもいる。
『それを聞いたときは、お前女だろ、って思ったりしたけど、今のサツキの話で、そうじゃないんだなって……ちょっと衝撃だった』
芽衣は妙に落ち着いた気持ちでそれを読んだ。
少しの間を置いて、『普通って』と表示されて、しばらく止まる。
随分考えているようだった。
それとも、言葉を探しているのか。
思い出したようにミルクティーを一口含んで、思いの外冷えているそれに少し驚いて、反射的にカップを見た。
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