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 さざ波のように取り囲む人々が春海を横目に囁き合うが、その内容までは芽衣の耳にも届かない。恐らく春海の耳にもはっきりとは届いていないだろうし、彼はきっと気にしない。  張り付いていたアルカイックスマイルも消えて、冷えた横顔だけが見える。  そこへ、ホテルスタッフがグラスを二つ載せたトレイを差し出した。 「ペリエでございます」 「ああ、ありがとう」  気泡の立ち上る細いグラスを、流れるような所作で取り上げた春海は、一息で半分ほど飲んだ。  芽衣も「ありがとうございます」とスタッフに微笑んでグラスを取り上げる。  程よい炭酸が喉を滑り落ち、思いの外喉が渇いていたことを知る。  ふと壁際に目をやると、見覚えのある人物が退屈そうに料理を眺めていた。 「社長、DUOクリエイトの宗谷様です」  こそ、と囁くと、春海もそちらへ目を向ける。  イベントグッズから建築まで手がけるデザインスタジオのクリエイターで、代表の宗谷(そうや)京吾(けいご)。デザインはビビットカラーを多用した明るく目を引くものが多いが、本人は切りっぱなしの短髪に黒のデニムとシャツ。その上にダークグレーのジャケットを羽織っただけのシンプルな出で立ち。 「久世グループのアパレル部門、オーガスト・オーガスタの新店舗のデザインを担当していただいています」 「そうか。 ――――― KUZEマテリアルと直接関係があるわけじゃないが……一応挨拶をしておこう」 「はい」  料理のテーブルへ近づくと、人影に気付いたらしい宗谷が顔を上げる。 「失礼。私はKUZEマテリアルの久世春海と申します」  名刺を差し出して名乗ると、宗谷も慌ててジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出した。 「DUOクリエイトの宗谷京吾です」 「今日はお一人ですか?確か、DUOの名前どおりお二人でやっていると伺ったのですが」 「ええ。いるはずです。ええと……あ、あそこの金髪の奴です」  彼の指を追って目をやると、京吾とは真逆な出で立ちの男が数人の女性と楽しげに談笑しているのが見えた。 「随分雰囲気が違いますね。確か双子だと……」 「そうです。一卵性で顔は似てるんですけど、性格は真逆で。俺はあまり目立ちたくないんですが、桐吾(とうご)は……あ、弟の名前です。桐吾はとにかく派手で目立つことが好きで」 「すると……もしや色彩面は弟さんが?」  春海が唇に軽く触れながら問うと、京吾は眉尻を下げて頷いた。 「はい。俺がモノクロで造形したものに、桐吾が色を付けます」 「確か、ガウディもそうだったと聞いたことがありますが……」  首を傾げて呟いた春海に、京吾が目を輝かせる。 「よくご存知ですね。そうです。ガウディ建築の色彩は弟子のジュジョールによるものです」 「いえ、聞きかじったことがある程度です」 「それでも、なかなかご存知の方はいません。よほど興味がないと。建築とか、お好きではないですか」 「見るのは好きですね。詳しくはありませんが」  口の端に形だけの笑みを浮かべて答えた春海は、桐吾の方へを目を向ける。 「彼にも挨拶をしておきますので、これで」 「ああ、はい」  やや残念そうな様子の京吾に頭を下げて春海の後に続こうとすると、目で制された。 「向こうも秘書はいないようだし、俺だけでいい。君は、食事がまだだろう。適当にいただくといい」  ちら、と目で料理を示して言われ、芽衣は「社長もまだじゃありませんか」と咎めるように言った。 「俺も後で軽く摘まむから」 「……分かりました」  一礼して見送ると、そっと溜息を漏らす。  仕方なく、オードブルのような料理の並ぶテーブルへと足を向けた。  ちまっとした一口サイズのローストビーフを見つめながら、心の中でそっと思う。  ――――― 分厚い赤身のステーキが食べたい。  お腹は空いているけれど、座って集中して食べたい。  でも何か食べておかないと、と取り皿にいくつかの料理を取り分けた。  そこへ、京吾が声をかけてくる。 「あの……ちょっと聞いてもいいですか」  口の中に入れたばかりのサンドイッチを慌てて飲みこみ、口を押えながら顔を上げる。 「あ、すみません。食べながらでいいので」 「いえ、何でしょうか」 「久世社長の秘書さん、ですよね」 「申し訳ありません。申し遅れました、秘書の蘭と申します」 「アララギ……」 「花の蘭という一文字で、アララギと読みます」 「へえ、綺麗な名前ですね」 「ありがとうございます」
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