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「昼食はどうなさいますか」
「工場の視察は十四時だったな」
「はい。移動の所要時間は三十分程度です」
今は十二時ジャスト。
外に出ても十分ゆっくりとお昼の時間を取れる。
「そうだな……君は弁当を用意してるんだったか」
いつもなら、確かにお弁当を持参しているのだが。
「今日は生憎、朝からちょっと慌ただしくしてまして」
要は寝坊だ。
昨夜はついオンラインゲームに熱中してしまって。
これは絶対に口にしてはいけないけれど。
そう。
蘭芽衣、唯一の趣味ともいえるのが、オンラインゲーム。
しかもひたすら戦うサバゲータイプの殺伐としたゲームだ。
始めて五年で、現在のレベルはカンスト。
次のバージョンアップでレベル上限が引き上げられるという話だから、ちょっと楽しみにしている。
そんなことは知らない春海は、「そうか、なら一緒に食べに行くか」とさらりとお誘いくださった。腕時計を見ながら。イケメンはその何気ない仕草もイケメン。
そんなお誘いの時も、いつもの冷ややかな横顔。
どちらかというと目が大きくて中性的にも見える顔立ちなのに、きりっとした眉のせいだろうか、やはりどう見ても男性だし「イケメン」なのだ。
目の大きさも睫毛の長さも、女子から見たらきっと羨ましいだろうパーツだというのに。ついでに言うと、その高そうな腕時計の巻き付く手首の細さも目を惹く。
そんな春海からのお誘いに思わず目を丸くする。
「ご一緒してよろしいんですか」
だって秘書になって一年、これが初めてのお誘いだ。
「そんなに驚くことか」
怪訝そうに言われて、だって、と言いそうになって呑み込む。
「初めてお誘いいただきましたので」
「君はいつも弁当持参だろう」
「そうですけど……」
自分のデスクに資料の束とタブレットPCを置いて、最低限のものだけを移し替えたミニバッグを手にする。
春海は腕を組んで、秘書室の入口に右肩を預けるようにして立っていた。脚は軽く交差して長さが際立っている。
そんな若干の態度の悪さもかっこよく見えるからイケメンは得だ。
「初めの頃、誘おうかと思ったがデスクに弁当らしき包みがあったからやめた」
「えっ、そうだったんですか」
あっさりと頷いた春海が先に立って歩き出すのについて行く。
「入ったばかりで慣れてないだろうし、ある程度コミュニケーションを取るのに、ランチタイムはちょうどいいだろう」
「そうですね。いきなり飲みに誘われるよりは」
お酒は嫌いじゃないけれど、仕事の延長にある飲み会は好きではない。
飲むなら気心の知れた人と楽しく飲みたい。
ランチタイムなら確実に時間は決まっているし、お酒が入らなければ理性的に会話を楽しめる。
そういえば、ここに採用になってから、そういう職場の飲み会は一切ない。
春海は会食からの流れで別の店で飲む、ということもあるようだけれど(領収が回ってくるからわかる)そこに同席を求められたことは一度もなかった。
「あの、社長。お付き合いでの飲み会とか、私は言われたことはありませんけど、行かなくていいんでしょうか」
乗り込んだエレベーターのドアが閉まるのを待って訊ねると、春海は不思議そうに眼を瞬かせた。
「秘書を同伴する人もいるが……君はそういう場が嫌いだと言っていたから」
「え、言いました……?」
いつ?
まったく言った記憶がない芽衣は眉を寄せて首を傾げる。
すると、春海は「覚えていないのか」と言いたげに僅かに目を細めた。
「面接の時に、私はお付き合いで飲酒には参加いたしません、と。その潔さが気に入ったんだが」
面接……と首を傾げたまま記憶を辿ること数秒。
やっとヒットしたそれに、「あっ」と声を上げる。
「そういえば……そんなことを言ったような……」
「嫌なことをきちんと主張できるのは立派な長所だ。だから会食後の付き合いには同伴しなかった」
しまった、と顔に書いて決まり悪そうに小さくなる芽衣を余所に、春海は減ってゆく回数表示を見上げたまま言った。
ポン、と軽やかな音と共にエレベーターが止まり、静かにドアが開く。
連れ立ってエントランスを歩いていると、通りかかった社員達が足を止めて頭を下げる。
「社長、お疲れ様です」
「お疲れ様」
かけられる声に軽く手を上げて応え、抑揚のない声で返す。
愛想はまるでないけれど、かけられた声には一つ一つ応えている。
春海について辿り着いた店は、高級そうな料亭でもこじゃれたレストランでもなかった。
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