6/12
前へ
/111ページ
次へ
「昼食はどうなさいますか」 「工場の視察は十四時だったな」 「はい。移動の所要時間は三十分程度です」 今は十二時ジャスト。 外に出ても十分ゆっくりとお昼の時間を取れる。 「そうだな……君は弁当を用意してるんだったか」   いつもなら、確かにお弁当を持参しているのだが。 「今日は生憎、朝からちょっと慌ただしくしてまして」   要は寝坊だ。  昨夜はついオンラインゲームに熱中してしまって。  これは絶対に口にしてはいけないけれど。  そう。  蘭芽衣、唯一の趣味ともいえるのが、オンラインゲーム。  しかもひたすら戦うサバゲータイプの殺伐としたゲームだ。  始めて五年で、現在のレベルはカンスト。  次のバージョンアップでレベル上限が引き上げられるという話だから、ちょっと楽しみにしている。  そんなことは知らない春海は、「そうか、なら一緒に食べに行くか」とさらりとお誘いくださった。腕時計を見ながら。イケメンはその何気ない仕草もイケメン。  そんなお誘いの時も、いつもの冷ややかな横顔。  どちらかというと目が大きくて中性的にも見える顔立ちなのに、きりっとした眉のせいだろうか、やはりどう見ても男性だし「イケメン」なのだ。  目の大きさも睫毛の長さも、女子から見たらきっと羨ましいだろうパーツだというのに。ついでに言うと、その高そうな腕時計の巻き付く手首の細さも目を惹く。  そんな春海からのお誘いに思わず目を丸くする。 「ご一緒してよろしいんですか」  だって秘書になって一年、これが初めてのお誘いだ。 「そんなに驚くことか」  怪訝そうに言われて、だって、と言いそうになって呑み込む。 「初めてお誘いいただきましたので」 「君はいつも弁当持参だろう」 「そうですけど……」  自分のデスクに資料の束とタブレットPCを置いて、最低限のものだけを移し替えたミニバッグを手にする。  春海は腕を組んで、秘書室の入口に右肩を預けるようにして立っていた。脚は軽く交差して長さが際立っている。  そんな若干の態度の悪さもかっこよく見えるからイケメンは得だ。 「初めの頃、誘おうかと思ったがデスクに弁当らしき包みがあったからやめた」 「えっ、そうだったんですか」  あっさりと頷いた春海が先に立って歩き出すのについて行く。 「入ったばかりで慣れてないだろうし、ある程度コミュニケーションを取るのに、ランチタイムはちょうどいいだろう」 「そうですね。いきなり飲みに誘われるよりは」  お酒は嫌いじゃないけれど、仕事の延長にある飲み会は好きではない。  飲むなら気心の知れた人と楽しく飲みたい。  ランチタイムなら確実に時間は決まっているし、お酒が入らなければ理性的に会話を楽しめる。  そういえば、ここに採用になってから、そういう職場の飲み会は一切ない。  春海は会食からの流れで別の店で飲む、ということもあるようだけれど(領収が回ってくるからわかる)そこに同席を求められたことは一度もなかった。 「あの、社長。お付き合いでの飲み会とか、私は言われたことはありませんけど、行かなくていいんでしょうか」  乗り込んだエレベーターのドアが閉まるのを待って訊ねると、春海は不思議そうに眼を瞬かせた。 「秘書を同伴する人もいるが……君はそういう場が嫌いだと言っていたから」 「え、言いました……?」  いつ?  まったく言った記憶がない芽衣は眉を寄せて首を傾げる。  すると、春海は「覚えていないのか」と言いたげに僅かに目を細めた。 「面接の時に、私はお付き合いで飲酒には参加いたしません、と。その潔さが気に入ったんだが」  面接……と首を傾げたまま記憶を辿ること数秒。  やっとヒットしたそれに、「あっ」と声を上げる。 「そういえば……そんなことを言ったような……」 「嫌なことをきちんと主張できるのは立派な長所だ。だから会食後の付き合いには同伴しなかった」  しまった、と顔に書いて決まり悪そうに小さくなる芽衣を余所に、春海は減ってゆく回数表示を見上げたまま言った。  ポン、と軽やかな音と共にエレベーターが止まり、静かにドアが開く。  連れ立ってエントランスを歩いていると、通りかかった社員達が足を止めて頭を下げる。 「社長、お疲れ様です」 「お疲れ様」  かけられる声に軽く手を上げて応え、抑揚のない声で返す。  愛想はまるでないけれど、かけられた声には一つ一つ応えている。  春海について辿り着いた店は、高級そうな料亭でもこじゃれたレストランでもなかった。
/111ページ

最初のコメントを投稿しよう!

117人が本棚に入れています
本棚に追加