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両親の迎えは芽衣だけで行く。
ホテルの客室前で頭を下げあうのもどうか、という話になったのだ。
ドアを開けて芽衣を見るなり、母が「あら」と微笑む。
「素敵なワンピースね」
グレーのチェックのワンピースは、Aラインの少し古い形のものだが、芽衣のお気に入りだった。
「ありがとう。行こうか。春海さん、待ってるから」
店に向かいながら、春海の受け売りの店舗情報を伝える。
クラフトビール、と聞いて、二人共が目を輝かせた。
「ええと、確か、ここらへん……」
八重洲口側に抜け、フロアマップを片手に春海に聞いていた店を探す。
一つの店先に、見覚えのあるベージュのチェスターコートを羽織った男性を認めて、芽衣は、ほっ、と息を吐いた。
「春海さん、お待たせしました」
駆け寄ると、彼は目を落としていたスマートフォンの電源を落としてポケットに入れ、芽衣の後ろにいる両親に会釈をした。
「取り敢えず、入りましょう」
春海に促されて、店に入る。
店内は賑わっていて、これなら隣のテーブルに会話が聞こえることもなさそうだ。
予約の旨を告げた春海に、店員がにこやかに案内してくれたのは奥まったテーブル席だった。
クラフトビールのメニューをわくわくしながら覗き込んで、挨拶をする前にああでもない、こうでもない、と盛り上がる。
それぞれに最初の一杯を決めて、一緒にハムの盛り合わせやサラダ、チキンにピザなどオーダーを済ませてから、春海が居住まいを正して向き直った。
「改めて、初めまして。久世春海と申します。-----本当なら、入籍の前にご挨拶をするべきだったんですが」
「ああ、いいえ、いいんですよ。芽衣から聞いてましたよ。お式を見られないのは残念だったけど。もう挙げちゃったんでしょう」
「申し訳ありません。身内だけの簡単なパーティはまた改めてするつもりですので」
「披露宴の代わりですね。あ、申し遅れました。私、芽衣の母の千寿留です。このたびはいいお部屋をご用意いただきまして。お気遣いありがとうございます」
「いいえ。こちらの都合で慌ただしくしてしまったお詫びと思っていただければ」
頭を下げる母----- 千寿留に、春海も頭を下げる。
千寿留は隣の父の肘をつついた。
「お父さんも」
所在無げな表情でその様子を見ていた父は、「ああ」と姿勢を正してやはり頭を下げる。
「父の、竜太郎です」
こちらにはやや緊張した様子で頭を下げた春海は、その緊張を残したまま口火を切った。
「急いだのには、僕の方の事情があります」
そう切り出したところで、ビールとハムの盛り合わせが届いた。
それぞれが目の前に置かれたビールについ目を落とし、去っていく店員を見送る。
「――――― まずは、乾杯しましょうか」
千寿留の一言に全員が頷いて、グラスを取り上げた。
芽衣と千寿留の視線を受けた竜太郎が、眉を寄せて二人を見比べるが、無言の圧力に負けて一つ咳払いをする。
「では……新しい家族に。乾杯」
竜太郎の掲げたグラスに、芽衣と千寿留が「乾杯」とグラスを合わせる。少し遅れて春海も倣った。
ほぼ同時に呷って、気付けば全員がグラスの半分ほどを一気に飲んでいる。
「あら、美味しい」
「これも美味しい~」
芽衣と千寿留が口々に言う隣で、竜太郎と春海は頬を緩ませてグラスを見て頷く。
サラダとチキンの皿が並び、それぞれ手を付け始めたのを見て、春海が口を開いた。
「今日お時間をいただいたのは、明日の食事会の前に、知っておいてもらいたいと思ったからです」
千寿留が箸を置こうとするのを、「どうぞ、食べながら聞いてください」と微笑んで促す。
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