第2話 学園の現実と現実離れ

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第2話 学園の現実と現実離れ

 朽ち駆けた教室に、傾く机。Fランクの生徒に充てがわれた学び舎は、半ば廃墟のようであった。板張りの床は酷く軋み、裂け目も塞がれずに放置されている。雨漏りもするので、天井やら床の一部分で腐っているのが見ただけでも分かる。  そんな劣悪な環境下で、居心地を悪くする生徒たち。待遇の悪さを嘆くのではない。異様とも思えるクラスメイトを噂して、声を潜めるのだ。 ――あいつ、やっぱりこのクラスだったのか。 ――外周を走り終えたって、流石に嘘だよな? ――でも、主任教官に呼ばれた時、一瞬で飛んだよな。もしかしたら、とんでもなく強いヤツなんじゃ? ――だったらAクラスにでも招待されてんだろ。こんなとこに居る訳がねぇ。  思い思いに囁かれる言葉も、担当教官が入室したことで鳴りを潜める。 「はい、初めまして。私はここの担任シンリックです。宜しくお願いします」  シンリックは、教官とは思えないほど凡庸な見栄えで、中背中肉だ。短く切り揃えた黒髪に青縁メガネ、グレーの制服上下。際立った点といえば瞳だろうか。ひどく茫洋としており、正面を向いていても何を見つめているかが分からない。そんな、どこか頼りない指導者であった。 「早速ですが、皆さんの立場と今後についてご説明します」  シンリックは壁の方を向くと、黒一色の板を出現させた。それを指でなぞれば、白い文字が浮かび上がっていく。 「君たちは全過程を学び終えたら、遊撃傭兵として活躍していただきます。結界の外で暴れまわる魔獣を討伐するのが、主たる役目です。まぁFランク出身なので、戦場の華とは程遠い働き所となるでしょう。雑用や小間使い、あるいは死兵として囮になる、といった所でしょうか」  平たい口調だが、内容は辛辣そのもの。遠からず死ねと宣告するようなものを、顔色ひとつ変えずに言い放ったのだ。  聞かされる方はたまったものではない。俯き、肩を震わせる者も少なからず居た。 「もっとも、そこまで到達出来る者はわずか数名でしょう。毎年、卒業を迎えるのはせいぜい5名。10名を超えた事は一度としてありません」 「10名を超えないって……他のヤツはどうなったんですか!?」 「君の名は……ゲイル君だね。挙手もせずに発言するのは感心しませんな」 「じゃあ、ハイ」 「どうぞ。発言を許可します」 「ええと、ここに居る20人は、半分も卒業出来ないのですか? そいつらはどうなるんです?」 「まぁ、良いでしょう。お答えします」  シンリックは不意に視線を強めた。その気迫に気圧された生徒達は、固唾を飲んで言葉を待った。  その一遍の慈悲もない答えを。 「死にます。1ヶ月でまず半分、卒業までにさらに半分が」 「まず半分って。たった1ヶ月で10人も死んじまうんですか!?」 「20割る2は10です。四則演算の説明から始めるべきですか?」 「そんなのイヤぁ! お家に帰りたいッ!」  とうとう恐怖にかられて泣き出す者が現れた。ヒステリックに喚く女子生徒、呆けて天井を仰ぐ男子生徒と、反応は様々だが考える事は同じだった。  まだ死にたくない、と。 「生き延びたいのであれば、必死になる事ですね。あらゆる訓練を、障害を乗り越え、一人前の傭兵に成長してください」 「フザけんなよ、チクショウ……」 「もっとも、退学という手段もあるにはあります。しかしFランクの皆さんは身売りして入学した経緯がありますので、タダでとは参りません。こちらからお支払いした支度金だけでなく、入学にかかった諸費用を追加の上、返済してきただきます」  ここで騒がしくした生徒たちは、一斉に静まり返った。彼らの故郷に残した親兄弟は貧しく、食っていくのがやっとという暮らしぶりだ。渡した金以上の物を返せと言われても、払うアテなど無い。  現実を理解したから黙る。逃げ道のない袋小路に囚われた感覚が、縋(すが)るものを求めて視線をさまよわせた。その一部はシンリックに向けられたが、彼は庇護者ではない。ただ単に統率を任されたスタッフでしかなかった。 「本日はこの辺で。この後は夕食を終え、寮で休んで英気を養ってください。明日から本格的なしごきが始まりますので」  一礼して立ち去ろうとするシンリックだったが、仕上げと言わんばかりに、最後の一言を残していった。 「ちなみに脱走など考えぬ事です。校舎や寮には結界を張り巡らせておりますが、その外側は、数多の魔獣が放たれた死地です。釘を刺しても毎年数名のバカが食われて死んでますので、皆さんは賢い生徒でいてくださいね」  そして教室のドアが閉じると、大勢が叫びだした。 「嫌だよぉ! こんな所で死にたくない!」 「フザけんなよ。聞いてた説明と全然違うじゃねぇか!」  方々で鬱屈した感情が荒れ狂う。そんな最中、冷静さを保っていたのは、先程発言したゲイルである。燃えるような赤い短髪に精悍な顔立ち、他の生徒よりも二回り近く大きな体つきが、何とも頼もしく映る。落ち着きを払った野太い声も手伝い、室内は彼の話を聞く姿勢に入った。 「皆、冷静になれ。泣き叫んだ所で誰も助けちゃくれない。今は何を為すべきかを考えろ」 「為すべきって、たとえば?」 「オレは団結するのが良いと思う。ここで学ぶにしても、逃げるにしても、1人の力じゃ到底無理だ。だったら、力を合わせて生き残ろうとするのが妥当ってもんだろう」 「確かに、その通りだ」 「だから皆、頼む。ひとまずは従順にしてくれ。万が一逃げるとなった時、それが活きてくる。警戒もされないだろうからな」 「わかった、私、頑張る……!」 「頼りにしてるぞ、ゲイル!」 「よせよ。オレは特別強いとか、そんなんじゃない。むしろランスレイトの方がよっぽど……」  その時視線を向けてみれば、そこは空席だった。ついさっきまで、大あくびを晒していたハズの男が居ないのだ。 「ランスレイトはどこ行ったんだ?」 「腹が減ったと呟いたきり、教室の外へ」 「あの野郎。最初が肝心だってのに……」  柱の時計を見れば、針は18時15分を刻んでいた。授業を終えたのが18時過ぎ。本来なら食堂で夕食を摂る所だが、不可解な待機を命じられている。18時半までの30分を、今もこうして無為に過ごしているのだ。  やがて指定の時刻を迎えた頃、ゲイルを先頭にして教室を出た。別棟であるFランク校舎を出て、渡り廊下で本校舎へと向かい、1階の食堂へと辿り着いた。  そこは大勢で賑わう大部屋だ。既に生徒達は食事を終え、談笑の片手間に一行を出迎えた。 「クソが。他の皆様は先に食ってんのかよ、良い御身分だよな」 「やめろ。オレ達は粛々と食うだけだ」  そうして受け取り口に向かうのだが、カウンターは木戸が閉じられており、食事も残されていない。 「何だよこれ、オレ達の飯は!?」  そんな声があがると、辺りは嘲笑で揺れた。そして返事までも返される。そこにあるから食えよ、と。  最初は認識出来なかったゲイル達は、やがて気付く事になる。床にバラまかれた残飯の存在について。 「これを食えってのか!」  よく見れば、それらには執拗なまでに靴の跡が刻まれている。床にぶち撒けただけでは許されず、更なる悪意が加えられたのだ。  ゲイル達は思い出さずには居られない。脅威的とも思える死亡率について。 「こんな所で、1年も……」  Cクラス以上の生徒には予め説明されていた。Fの連中なら好きにして良いと。そのため女子生徒には邪な視線が飛び、男子生徒には残虐な眼が向けられた。  過酷な学園暮らしの本当の意味を、ゲイル達は今、噛み締めたのである。 ――おら早く食えよFランのクズども! ――スプーンとか使うなよ、豚みてぇに四つん這いで食え。 ――つうか人間気取って服なんか着てんじゃねぇよ、裸になれよ裸に! ――男は脱がなくて良いぞ、汚ぇからな!  止むことのない罵詈雑言の嵐。悪意にさらされた彼らは、尊厳と空腹の狭間で揺れていた。食うべきか食わざるべきか。握り拳を震わせながら、激しい揺さぶりの前に硬直してしまう。  そんな時の事だ、不意に訪れた振動に全員が騒ぎ出したのは。 ――なんだこれ、地震か!? ――いや、それにしちゃおかしいぞ。まるで何かの足踏みのような……。  最後にひときわ大きな揺れが起きたかと思うと、それまでの騒ぎが嘘のように静まり返った。その時、誰かが窓の方を指差し、あれを見ろと叫んだ。窓の向こうは芝生の広がる学園入口であり、巨大な獣が横たわっていた。  結界があるバズなのに、なぜ魔獣が。半狂乱になって騒ぎ出す生徒たちだが、ゲイルは別のものまで見て取った。巨獣の傍で佇むランスレイトの姿に。 「あいつ、何やってんだ!」  ゲイルがすかさず駆け出すと、クラスの全員が後に続いた。彼らが辿り着いた頃には、石畳に火の準備が終えた後だった。 「ランスレイト、これは何の真似だ!」  ゲイルは、咎めるというより困惑の声で問いただした。返された声は対象的に、やたらと落ち着いた響きがある。 「いやさ、ここの飯をつまみ食いしたんだけど、スープも肉もパンも全部がクッソ不味いんだわ。きっと保存食のカピカピしたヤツ使ってんだぜ。最悪だよマジで」 「いや、それよりもその魔獣は……」 「リザードロードだよ。食おうと思って狩ってきたんだ。お前らも食うだろ?」 「狩ってきた……えぇ?」 「ちょっと待ってろよ。今新鮮で美味ぇもん食わせてやっから」  ランスレイトの手際は抜群だった。手刀は分厚い皮膚を物ともせずに断裁。重厚な肉すらも簡単に切り分けていく。  木の棒による串焼きには粉状のものを振りかけて火を通す。脂の燃える音が聞こえ、表面を焦がしたなら完成だ。出来上がり第一号は、先頭のゲイルに差し出された。 「ほら、焼き立てだ。食えよ」 「待て。魔獣を食うだなんて前代未聞だぞ!」 「オレは10年以上食い続けてきた。おかげで毎日健康だぞ」 「信じられん。そんな事が本当に……」 「要らねぇなら良いよ。無理して食わなくても」  ランスレイトは串焼きにかぶりついた。パリパリと小気味良い音を立て、肉汁を滴らせる。そうすると辺りには香ばしい匂いが立ち込め、空腹の身には辛いものを感じさせた。 「アタシは食べる。ひとつ頂戴!」 「ずるいぞ、オレにもくれよ!」 「分かった分かった。焦らねぇでも、独り占めなんてしねぇから」  焼き上がるごとに手渡されていく串。彼らは多少の躊躇を挟みつつも、やがて口にした。観念して歯を立てるのだが、その瞬間に眼を見開いて声をあげた。 「美味しい! こんな料理食べたの初めて!」 「塩味もしっかり利いてる。しかもピリッとした食感も旨いぞ!」 「そうだろそうだろ、秘伝の香辛料だよ。クソジジイに教わった中で比較的まともな方だ」 「あのう、僕は体質から、辛いものが食べられないんだけど……」 「そっか。だったらテイルスープを食えよ。そっちは塩だけだし、ちゃんと美味いから安心しろ」 「……本当だ。肉はとろとろで、スープも凄く濃厚だよ!」 「そうだろ、美味ぇよな? 激マズ料理を堪能してるSクラス様にも食って貰いたいよ、アーーッハッハ!」  ランスレイトが煽ると、ゲイルは顔を青ざめた。そして恐る恐る背後に眼を向けて目の当たりにする。食堂からは憎悪としか思えない視線が向けられている事に。  これは危険だ。さすがに悪目立ちが過ぎると、止めに入ろうとしたのだが。 「おう、お前も食うか。腹減ってんだろ」 「いや、オレはそうじゃなくて……」 「ほい串焼き。騙されたと思って食えよ。みんな喜んでんぞ」  手渡された串焼きを、ゲイルはとうとう口をつけた。彼の味覚をもってしても、やはり美味いと感じる。  しかし、素直に受け止める事は出来なかった。ランスレイトの現実離れした気質、そして能力は危険過ぎではないか。彼は希望と不安をないまぜにしつつ、口の中の肉を飲み込んだ。  
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