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「ああ、」
ようやくまわってきた発言権にわくわくした様子で、老婦が身を乗り出して言う。「あのね、これからどうしようかと思って」
「どうする?」
「うん。どう生きていこうかなって」
「どう生きていく?」
「うん」
オウム返しを繰り返す老夫がおもしろくて、老婦は笑いながらうなずいた。
「美術館は通い続けるとして、あとは何をしようかなって思ったの」
「喫茶店もね」
湯気の出ているコーヒーに角砂糖を落としながら、老夫が付け加えた。ソーサーに載っていたちいさなスプーンをつまみ、ぞんざいな手つきでそれをかき混ぜる。角砂糖がじゅわじゅわと溶けていくのを眺めながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「旅行――そうね、旅行にも行きたいな」
「例えばどこ?」
「どこでもいいの。海外でもいいし、いつも通らない道とか、その一本先の道とか、そういうのでも」
「――僕はまた君に服を買ってあげたいかな」
「あら嬉しい。……来週あたりでも行く?」
「そうだね、そうしよう」
「あとほら、ゲームもしたいわ。昨日新作がたくさん発表されていたし」
「今回は面白そうなのたくさんあったねぇ。家に帰ったら見てみようか」
「そうしましょ」
紅茶の入ったティーポットを傾け、カップに注ぐ。アールグレイの華やかな香りが、ふたりの間にふわりと漂った。その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、カップに口をつける。すこしだけ紅茶を口に含み、こくり、と飲み込む。紅茶のあたたかさが、唇から喉を通り、ゆっくりと身体のまんなかへと落ちていくのを感じる。
「――映画も観たいわね」
「今まで通り、たくさん観よう」
老夫が目を細めて言う。
「今まで通り」
「ええ」
老婦も笑って、うなずいた。
「今晩は何の映画を観ようかしら」
遠い外国の、時を越えるネオン街に思いを馳せながら、紅茶をまた、ひとくち飲む。
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