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バカじゃない
短縮授業の日の朝、お隣の健人くんの家に寄って玄関にお弁当を置いたら、おばさんに感謝された。
「真由ちゃん、ありがとう。あの子もなんだかわからない無駄な節約をやめてくれるといいのだけれど」
おばさんが困った顔をしているのを見て、不発弾の処理がうまくできていなかったことに改めて気がついた。
「あれ? 真由、どうしたの?」
のん気な声とともに現れた健人くんの頬は確かにこけている。それでも爽やかな笑顔を浮かべるのはいつものこと。
この笑顔に甘えていたんだ…。
「これ、お弁当。よかったら食べて」
その瞬間、健人くんが凍り付いた。
「健人?」
健人くんのお母さんも怪訝な顔で健人くんを見上げる。ぎこちなく動き出した健人くんは私からお弁当の保冷バックを受け取って、バックと私を何回か見比べて、そして叫んだ。
「無理!」
え?
「何言ってるの? せっかく真由ちゃんが作ってくれたのに」
「だから無理っ、食べられるわけがない!」
拒否られた…。意図せず私もフリーズする。
そうだ、世界は終わってしまったんだ。健人くんが私(のお弁当)を拒否するなんて。
もう終わりだ…。終わってしまったんだ…。
「もったいなくて持っていけない。写真撮って、これ冷凍すれば保管できる? 記念に取っておかなくちゃ。永久保存版!!」
「…え」
解凍された健人くんははしゃぎまわる。おもちゃをもらった子犬みたいだ。
「冷凍って、あんた、本当にバカなのね」
お母さんががっかりと項垂れているのも気にせずに健人くんは私の頬に軽くキスする。
「サンキュー、真由。大切にするよ」
そのまま台所に向かってしまった。普通、お弁当は大切に食べてもらっても大切に保存されるものじゃない。給食の検体じゃないんだから。
玄関に取り残されたお母さんと私。すごく気まずい。
「…すみません、もう行かなくちゃなので」
「あ、そうよね。ごめんね、真由ちゃん。いつも通りバカな子で。見限らないでやってね」
はっとして、私は振り返り、姿勢を正す。
「こちらこそ、至らないことでごめんなさいっ。今後、気を付けます」
頭を下げた私をお母さんがギュッと抱きしめてくれる。あ、いい香り。
「真由ちゃーん、あんな息子要らない。真由ちゃんを娘に欲しいー」
…私はお隣の母子に溺愛されている。でも、それに甘えてばかりもいられない。私も社会人だもの。大人だもの。
終わらなかった世界は温かい。この温かさに甘えてちゃ駄目だ。
「こら、離れなさい。真由ちゃんが遅刻するだろ」
お父さんも出てきて、お母さんをパリッと引き離してくれた。
「バカな家で悪いね」
いつもの穏やかな顔、そして時計をつつく仕草。
ヤバい! 時間だっ。
「こちらこそです。じゃあ、行ってきますっ」
「行ってらっしゃい、気を付けて」
二人に見送られて、優雅に玄関、門扉を出たあと、私は猛然とダッシュした。バス通勤なので、間に合わなかったら自転車になる。
走れば間に合う平日の朝。週末はまだ遠い。
健人くんは間に合うんだろうか? 冷凍庫にお弁当を突っ込んで、お母さんに文句を言われ、お父さんに呆れられて…。
「バカじゃない」
ふと気づく。これって…私の愛の言葉…、じゃないな、うん。
バスの姿が見えて、私は真剣に走る。終わらなかった世界のために。
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