第一話 四つ子は似ているようで似ていない

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第一話 四つ子は似ているようで似ていない

『ああ姫よ 君は逝ってしまった 僕の頬に口付けだけ残して 君は天使になった』  喪服を纏う王子は歌った。頬に縫うように涙を流しながら、張り裂けそうな激情を掻き混ぜ、繊弱に震える声で歌った。 『ああ君は残酷だ 僕の心をあれほど掻き乱して 悪戯に笑ってキスをした』  冠を投げ捨て、腰の剣を抜き、殺意に震える切っ先に一粒の涙が光った。 『復讐さえも許されない 君は愛を望んで死んだ  僕じゃない男を選び 僕じゃない男を愛し 僕じゃない男に捧げ 死んだ きみは死んだ ああ死んでしまった』  歌声を天高く響かせ、咲き乱れる白百合を猛然と切り裂き────王子は、低く囁いた。 『許しなど、いるものか』  微笑みの仮面をつけた裏切り者たちを、斬る。  斬って、斬って、斬り殺す。  殺して、殺して、殺し尽くす。  禁を犯した王子は、血に飢え暴れ狂う鬼と化した。  乱れ舞う血染めの剣。  貫き咲かすは赤き血の花。  咲かして、咲かして、狂い咲く。  狂いに狂った鬼の嗤い。  悲鳴も、命乞いも、心の臓ごと押し潰す。  地に転がる屍の山。  ふと、唇についた赤い花びらを、舌で舐めた。  刹那───鬼は剣を捨てた。 『君がいない世界に 未練などない』  そう静かに零すと、鬼は抵抗を忘れ、消えることのない唇の感触が残る頬に手を当て、脆げに破顔した。紅い斬撃が降り落ちる。血飛沫を浴びても、血潮に浸かりながらも、男は頬に手を離すことはなかった。最後の、最期まで。  唇だけが微小に動いて、声なき声で囁いた。    愛している、と。 「うううぅぅぅぅ〜っ! 透間(とうま)ーっ! 好きだああああああああっ! あああああああああやばい尊い泣くぅぅうううううううう!」   幕が降りた瞬間、アイスケは全身をもって号泣した。  そこは二階建ての一軒家。間取りはそこそこ広いが、ゲーム機やマッサージ機やランニングマシンなど幅広いジャンルの物が多く置かれ、チラシやゴミも散らばっている。そんなリビングにある四十インチのテレビに縋りついて号泣する末っ子に、長女のココロはジト目で見ていた。 「うっさいアイスケ、エンディング曲聞こえない。ていうかこれ何百回目再生よ?」 「さんびゃくにじゅうろっかいめぇっ!! うわぁぁぁぁあああん!」  アイスケをここまで泣かせるのは、百花繚乱鬼(ひゃっかりょうらんき)と書かれたDVDのパッケージに凛とした表情で写る美青年、ミュージカル俳優の星条透間(せいじょうとうま)だ。青年、と言っても二十年以上舞台で活躍し続けているベテラン俳優で、この作品は昔の名作の一つなのだが、彼の風貌は最近出たDVDと並べて比べると、ゾッとするくらい、何一つ変貌していないのだ。老若男女トリコにしてしまうほど色気のくるんだ美声と美貌を持ち合わせる、年齢不詳のミュージカル界の貴公子。  アイスケはそのファンの一人、いや、ファンクラブの自称代表だ。 「うっ、ううっ、透間あああああああああぐしゅんんんんんっ!」 「うわきったな!! テレビに鼻水こすりつけんじゃないわよバカ! やだもうキモ!」 「だってぇ! だって透間がああ──ぐふっ!」 「さっさと拭け!」  ティッシュの箱を顔面に投げられ、アイスケはようやくテレビから引っ剥がされた。かと思いきや、ちーん! と鼻をかむと、起き上がり小法師の如く勢いで立ち上がる。まだ号泣モードから戻っていない。 「だってさぁ! ほら見てよここぉ!」  ピッとリモコンの再生ボタンを押すと、画面が王子役の透間の最期のシーンに切り替わった。 『愛している』 「きゃあああああああああっ!! 透間がっ!! 俺に向かって!! 愛してるって!!」 「いやアンタに向かって言ってんじゃないわよ!!」 「いや言ってるもん! 目ぇ合ってるもん! こっち見てるもん!」 「え、何。ガチのファンってここまでイカれちゃうの? 嘘でしょ」 「ううううう〜どうしよう! 次の公演の時俺透間に客席降りでプロポーズされるかも!! やばい他のファンに妨害されないためにも一列目確保しなくちゃ!!」 「もしもし、精神科ですか? 弟がやばくてキモいんですけどどうしたらいいですか」 「ひどいぞココロ! お前は弟を心から祝福できないのか!? さては嫉妬だな! ハッ、旦那はやらんぞ!」 「もしもし、ちょっと入院レベルなんですけど。今すぐ隔離病棟にぶち込んでもらっていいですか?」 「やだっ! どうせ入院するなら透間と一緒に隔離されたいっ! 腐った世の中から離れて二人きりで愛を誓うんだ!!」 「もうやだ!! こんなヤツの家族だと思われたくない!! てか鼻水拭け!」 「ふがっ!」  どちゃん! ばちゃん! と床が激しく揺れる中、キッチンから七男のユウキが顔を出した。 「にぎやかだね。仲良くするのもいいけど、もう昼食の時間だよ」    そう朗らかに笑って、ユウキはちゃぶ台にお皿を運んでいく。  絨毯の上で取っ組み合って転がる二人を見下ろし、クスクスと笑っていた。 「これが仲良しに見えんの?」 「ていうか兄ちゃんはもう見ないのか?」 「あはは、俺も透間は好きだけど、二百五十七回目辺りでそろそろ洗脳されるんじゃないかな、と思って。もうお昼の時間だし」  言いながら、皿をちゃぶ台に並べていく。それぞれがワンプレートで、焼き餃子、エビチリ、唐揚げの三皿と、どんぶりに並々と盛られた真っ赤な担々麺。シンプルな中華オンリーだ。 「あーっ! ご飯の匂いだー!」  バタン! と勢いよくドアを開け、姿を見せたのは次女のユメカ。食欲旺盛で鼻が効きやすく、いつもご飯の時間ピッタリに現れるのがお決まりだ。  アイスケ、ユメカ、ココロ、ユウキ。四人は似ているようで似ていない、黒野家の四つ子。だらけた上の兄たちとは違って、ファミリーズの仕事では最も活動的な四人だが、今日から学校は三連休で、特に急ぎの依頼もなく、依頼人と繋がるスマートウォッチも微動だにしていない。 「あれ~? まだ透間見てたの? ユメも百八十八回目くらいまで見てたけど、晩餐会のシーン見続けたらお腹が空いちゃって、なぜかココロちゃんに怒られるからやめた!」 「アンタが腹空かせるたびに私に噛みつくからでしょーが!」 「だって落ち着かないんだもん! うううううっ! がぶっ!」 「いっだー!! こんっの! バカユメカー!!」  ユメカがココロの背中にがぶがぶ噛みつく様は、まるで飼い主とじゃれ合う大型犬のようだ。当の飼い主はかなりご立腹の様子だが。 「あーっ!! ちょっとアンタそれ! 私の服じゃない!」  いつも通りの流れかと思えば、いつもとは違う、ユメカが身に纏うラベンダー色のレースとリボンが縁取る華やかなワンピースに、ココロはびしっと指差した。 「ルイ・シャンネルのバーゲンでラス一で買ったやつ! 何でアンタが着てんのよ!?」 「えー、だってあの時ココロちゃんとおばちゃんがこのワンピの争奪戦で、ユメが黒タイツでおばちゃんを目隠ししたから勝ち取れたんだよね? だからユメも着ていーじゃん!」 「よくないわよ! 私が払ったんだから!」 「いやおばちゃんが可哀想だろ! バーゲンでおぞましいコンビネーション発揮させてんじゃねー!」  アイスケの冷静なツッコみも無視して、二人はきーっ! と服を引っ張り合った。 「とにかく脱ぎなさいよ! 家で着るようなもんじゃないし!」 「やだーっ! 買ったのに全然着てないココロちゃんが悪いんじゃん! ユメの方が似合ってるーっ!」 「ふざけんじゃないわよ!! じゃあアンタがマダムと争奪戦になったあのカバンも、私がマダムに洗ってない兄貴の靴下嗅がせて勝ち取らせてやったんだから、私が使ってもいいわよね!」 「だめーっ! あれはユメが買ったからユメのだもーん!」 「ほら人のこと言えてないじゃないの!!」 「お前らその内捕まるぞ!?」  アイスケのツッコみには聞く耳も持たず、二人は引っ張り合いをやめない。 「だから脱げって言ってるでしょーがっ!!」 「やだっ! ココロちゃんのえっち! 強引なんだからぁ!」 「キモい言い方してんじゃないわよ!! 私のだから脱げって言ってんの!」 「俺の女だから脱げって!? ひどい! そーゆーのモラハラって言うんだよ!」 「クソバカ黙ってろ!! 窓開いてんだから、大声で誤解されるようなこと言うんじゃないわよ!!」 「誤解されるような関係だって言いたいの!? 所詮愛人扱いなんだね! 奥さんにチクってやるから! バレたくなかったらこの服ちょうだいよ!」 「めちゃくちゃに誘導してんじゃないわよ!! こんなふざけた脅しに乗ると思ってんの!? てか奥さんって誰よ!?」 「こーら、二人とも、じゃれ合うのもいい加減にしなさい」  ぱんぱん、と手を叩いたあとに、ユウキは二人の肩をがっちり掴んで引き離した。 「だからこれのどこがじゃれ合ってるのよ!?」 「ユメ悪くないもん!」  ぽん、ぽん、と膨れっ面な二人の妹の頭を撫でて、兄は優しく言葉をかけた。 「もう着ちゃったものは仕方ないんだから、ココロも可愛い妹に免じて、今日一日だけは許してあげよ?」  む、とココロはむくれたが、兄は優しく頭を撫で続けるので、しぶしぶといった様子で、小さく頷いた。 「ユメカも!」  そんな姉の様子を見てにやついていたユメカに、兄が喝を入れた。  「これからは勝手にお姉ちゃんの服着ちゃダメだよ? 自分がされて嫌なことは、人にしちゃダメ。小さい頃からの約束でしょ?」 「は~い、分かりましたぁ」  ちょっぴりしょぼくれながらも返事をしたユメカに、ユウキはよし! と二人の背中を軽く叩いた。 「ココロちゃん! 仲直りのちゅー!」 「むぐっ!」  ユメカはココロの肩を抱き寄せ、ちゅっ! と唇に熱烈なキスをする。 「ココロちゃんからも~!」 「…………うぅ」  両手を広げてほろ酔うようににまぁと笑う妹に、ココロは赤くなりながらも、そっとほっぺたに軽く口付けした。 「むぅ、何で口にしないのー?」 「うっさい、お腹空いてんの。早く食べたい」  ぶーぶーと唇を尖らせるユメカに、ふん! と照れくさそうにココロが顔を背ける。  その様子を見て、ユウキは満足気に微笑んだ。 「さっ! ご飯の時間にしよう! 今日は腕を振るってみんなの大好物を全部作ったよ!」 「作ったって………冷凍じゃん」 「わ~い! (さい)さんのシリーズだ~!」  中国の天津出身の天才中華料理人の斉さんのシリーズは、子供にも大人にも大人気の定番中華料理を冷凍食品で再現し、一般家庭でも簡単に本格中華を味わえるという人気商品だ。リーズナブルな価格で、冷凍とは思えない美味しさで話題を集めている。ちなみに、本店は学校の近くにあり、四つ子はすべてのメニューを食べ尽くした常連客でもある。  四つ子は大抵、アイスケは餃子、ココロはエビチリ、ユメカは唐揚げを好み、そして辛党なユウキは── 「うわぁ……今日もすごい色だねぇ」  燃えるように真っ赤に染まった担々麺を見て、妹二人はいつもながらも唖然とした。 「まぁ、今日はストックが少なくて、七味五十振りしかできなかったけど」 「十分すぎるでしょ………ほんっと、アンタの味覚麻痺してんじゃないの」 「辛党の人は一日で七味三本は消えるんだよ」 「消えんわ!」 「ははっ、アイちゃ~ん、ご飯の時間だよ~。アイちゃんの好きな餃子だよ、早く食べないと冷めちゃうよ」  兄が声をかけても、アイスケはテレビに夢中で見向きもしない。 「やだ。今日は水餃子の気分なの~」 「ワガママ言わないの。こないだアイちゃんが店員にぶりっこかまして店の水餃子全部試食しちゃったから、しばらく入荷はしないんだよ? 焼き餃子で我慢して」 「んー……今透間のダンスがセクシーすぎて目が離せない」 「アイちゃぁん」 「ひぃっ!」  いつの間にかキッチンから背後に瞬間移動していたユウキにアイスケはびくっ! と振り返った。  兄はドス黒い瘴気を漂わせながら、にこにこ口だけ笑っているが目に光がなかった。  この笑顔は危険レベル五の内の三だと、アイスケは経験上察知する。 「ミュージカル好きなのはいいことだし俺たち四つ子もみんな好きだけどね? アイちゃんはたまに度が過ぎて見てるこっちが嫉妬で煮え繰り返りそうだよ? さっきから好きだの愛してるだの連発してしまいには結婚だって? あれ? おかしいなぁアイちゃんと結婚するのはお兄ちゃんだよねぇ? だって物心ついた時からおおきくなったらけっこんするって婚約したよねぇ? だからアイちゃんはお兄ちゃんだけのものだよねぇそうだよねぇ? それなのに浮気するの? そんなの許さない…………アイちゃんの心を奪ったヤツはその心臓を抉り取ってアイちゃんをいやらしい目で見るヤツはその眼球くり抜いて骨も残らず皆殺しにしてやる…………ねえ、アイちゃんアイちゃんアイちゃぁん。アイちゃんはお兄ちゃんを殺人鬼にしたいぃ? ねぇぇぇ」  だらだらだら、と滝の如く冷や汗が流れる。 「アイちゃぁん、アイちゃんはお兄ちゃんのご飯と透間、どっちが大事?」  ユウキはかくん、とカラクリ人形みたいに首を傾けて、問うた。 「ご飯です。お兄ちゃんが作った焼き餃子が食べたいです」  裏返った声で即答し、すぐさまテレビの電源を切った。ごめんよ愛しの透間、あなたに罪はないんです、と心で謝罪しながら、そそくさとDVDも片付ける。ここで選択肢を間違ったら命取りだ。 「いい子。一緒に食べようね?」  ようやく目が笑って、唇にキスして頭を撫でる兄は瘴気も引っ込んでいて、ホッと胸を撫で下ろすことができた。  ちなみに、こういう病みモードは少なくても一日三回くらいは訪れるが、もはや日常の一種なので特に気にしてはいない。
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