第十八話 末っ子流喧嘩の売り方

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第十八話 末っ子流喧嘩の売り方

 あれから十五分も経ったが、一向にベリーの安否がつかめない。  ラムの研究室に入ってすぐに子犬が鳴くような断末魔が続いていたが、今では物音もなく静まり返っている。逆に怖い。  だが、家族を騙して依頼料をキャバクラに使ったのも許しがたい。できるものならラムにはベリーの女癖を治させてほしいものだ。  と、そんなことよりも。 「腹減ったぁ………」  ぎゅるるる、と腹の虫が大きく鳴る。  時計を見ると七時半。一家団欒の夕食はいつになるのやら。 「もうこれ食べてもいいんじゃないの?」  ちゃぶ台の座布団から、ユウキが珍しくイライラした様子で立ち上がる。  キッチンの鍋にはカレーが出来上がっているし、炊飯器のご飯も炊き立てだ。 「でもベリー兄ちゃん拉致られちまったし………」 「自業自得でしょ。アイちゃんがスイカおっぱい抱えてずぶ濡れになってる時に、あっちはキャバクラでおっぱい揉んで遊んでたんだよ? 許せる?」 「許せん」 「でしょ。もう食べよう。俺みんな呼んでくるから」  そう言って、ユウキはリビングを出る。  ひもじそうに膝を抱えるアイスケに、円型のロボット掃除機が床を這うようにして寄り添ってきた。  ポロロン、とコミカルな効果音を発し、中央から青いランプがぴかぴか光っている。 「ロミオ十二号………」  何だか励まされているようだ。アイスケは少し涙ぐんで、愛しのロミオ十二号を撫でる。  十二号というのは…………言うまでもなく、黒野家の切ない事情にある。  ガチャ、と鍵の開いた音がした。 「おっ!」  アイスケはピコピコとアホ毛を揺らしながら、玄関へ向かう。  待ち侘びていた兄が帰ってきた。 「バニラ兄ちゃーん! おかえり~っ何それええええええええ!? でかっ!!」  厚底ブーツを脱ぎ捨てるバニラの横には、紐で縛られた長方形の段ボール箱。  人一人入れそうなくらいの大きさだ。 「どけチビ」  唖然とする弟を一睨みで蹴散らし、細い腕で軽々と段ボールを抱えながら廊下を闊歩する。  一瞬ビクつきながらも、アイスケは慌てて追いかけた。 「兄ちゃん! 遅かったね。買い物?」 「ああ」 「おっきいねぇ、電化製品かなぁ?」 「ああ。海外から取り寄せてきた」 「うわぁ何だろう? すっごくゾクゾクするぅ」 「ワクワクの間違いだろボケェ」  相変わらず憎まれ口を叩きながら、リビングのテレビの前でバニラは箱を開ける。  中から出したのは厚みのある黒いゴーグル、コントローラ、ゲームソフト、そして両手で抱え上げたものは………。 「新作のゾンビパーティー、歩行型VRセットだ」  巨大な円形のランニングマシンらしきものがリビングを占領した。 「……………………」  ベルトコンベア状の踏み台に、腰の位置まで伸びたハーネスとベルト、ギラギラと黒光りする我が家に侵食した新勢力。 「ナニコレ?」 「VRセットっつったろボケてんのか」 「ナニソレ?」 「知らねえのかよこれだから庶民育ちは………」 「兄ちゃんも半分以上は庶民育ちだろ!!」  はあ、と面倒臭そうにため息をつくバニラ。 「ゴーグルつけてこの上に乗っかって電源入れりゃ、クソな現実から離れて仮想世界にぶっ飛べるんだよ」  兄は何を言っているのだろう。 「三百六十度全方位に走ってリアルに迫り来るゾンビを撃ち殺す。中ボスのゾンビの顔がムカつく上司に似てんだよ。最高だろ?」  本当に兄は何を言っているのだろう。  新勢力を横目に、アイスケは震える声で問うた。 「いくらしたの………?」 「本体が二十五万ソフトが一万送料三千四百二十円、計二十六万三千四百二十円だな。まぁモノからすると相応の値段か」  ハッ、とバニラは鼻で笑う。  笑った。  こいつは新勢力を撫でながら笑いやがったのだ。  アイスケは激しく肩を震わす。 「…………俺、あれほど節約しろって言ったよな?」 「あ? 言ったのは昨日だろうが。これ買ったのは三週間も前だ」 「普段からも言ってるよな? 十万以上の買い物する時は家族に相談しろって。これうちのルールだよな?」 「ハッ」  バニラが歪んだ笑みを口元に浮かべた。 「ンなガキの口約束にこの俺がハイ分かりましたって素直に聞くと思ってんのかぁ? テメェみてーなマセガキの小言にいちいち耳傾ける暇なんざねーよボケェ」  ドブに吐き捨てるような言葉に、アイスケはグッと拳を握った。  込み上げる怒りが全身を震わして止まない。 「じゃあ………昨日言ったことも、兄ちゃんは聞く耳持たなかったってことか?」  あれほどみんなのことを考えて、決意したのに。  みんなの悪行も、全部許して、その悪人面すら愛おしいと思えたのに。  みんなのまっすぐな眼差しに、覚悟があるんだって、信じていたのに。 (こいつのことだって…………!)  その細めた紫紺の瞳の奥をじっと見た。 「ちゃぁんと聞いてたぜ?」  バニラは笑いを漏らしながら言った。 「キャンキャン喚く負け犬の遠吠え。大儲けに節約ぅ? ククッ、ンなもんバカ犬同士で勝手に仲良くやってろ。俺の知ったこっちゃねーよ」  ギリ、とアイスケは唇に犬歯を刺す。  堪忍袋の緒があるなら、今、血管ごとブチ切れた。 「ほんっ、とに…………テメェは最低な鬼畜野郎だな…………!」  ゆらゆらとアイスケの瞳が紅く燃え、頭と口に悪魔の骨質が突起する。  憎き敵を指差すように伸びた尾の先端がナイフのように鈍く光っていた。 「あぁ? やろうってのか?」  バチン、とバニラの額から黒い火花が散って、パリパリと静電気が弾けて前髪が浮く。 「やめとけよ。ただでさえバカな脳みそが感電してサル以下になっちまうぜ?」  実に愉快そうに、バニラは嘲笑った。 「尻尾巻いて逃げるなら今のうちだ。俺だって可愛い弟を好き好んでいたぶる趣味はねーよ」 「嘘つけサド野郎。今まで何万回テメェにボコられたと思ってやがる! でも今回限りは俺もその腐った脳みそに一発は食らわせねーと気が済まねー!!」 「おいおいすでに麻痺しちまったのかよ? テメェが俺に一発当てた試しが今まであったってのかぁ?」 「あるわけねーよ」  言葉とは反対に、アイスケは自慢げに笑った。 「だから俺は………俺のやり方で喧嘩を売るッ!!」  バチン!! と必殺尻尾ビンタが乾いた音をたてて炸裂した。  敵ではなく、アイスケ自身の頬に。 「うっ、うぅっ………うわぁぁぁぁん!! 痛いよぉぉ!! ユウキ兄ちゃぁぁぁんん!!」  真っ赤な頬を腫らして、アイスケは幼児のように泣きじゃくった。家中に響くくらいの大声で。 「アイちゃんッ!! どうしたの!? 誰にやられた!? 殺す!!」  神速で駆けつけて弟を抱きしめたユウキ。  普段の穏やかな表情から打って変わって、血走った目で声を荒げている。  アイスケはすすり泣きながら震える指を前に差した。 「あのねぇ………バニラ兄ちゃんがねぇ………無駄遣いしちゃだめだよって言ったら、殴ってきたの………ふっ、ぅぇっ………ひっく、痛いよぉ………」  ギロリ、とバニラを睥睨するユウキはすでに悪魔の姿に変貌していた。 「アイちゃんの殺人級可愛い顔をキズモノにしやがってこのゲス野郎………ぶっ殺す!」 「ハハッ、虎の威をかる狐かよ…………クソチビてめーどの悪魔よりも捻くれた根性してんな」  にやぁ、とユウキの腕の中で挑発的に笑う末っ子。 「アイちゃんが捻くれだって? お前と一緒にするな!! アイちゃんは純粋無垢で清らかな心を持つ天使だぞ!?」 「おいよく顔見てみろ完全に悪魔だぞ」 「うっ………えっぐ………にいたぁんこわぁい………」 「ほら見ろ!! 天使が健気に泣いてるじゃないか!!」 「チッ、めんどくせー………」  ユウキがアイスケの背中を強く抱いて、身を寄せた。我が子を愛でるように涙の跡にキスをして、サラサラの髪を撫でる。その優しい手つきとは真逆に、憎悪に燃えたぎる紅蓮の瞳の眼差しがバニラの双眼を突き刺すようだった。 「まぁ、虎だろうが俺にとっちゃちょっと厄介なガキなだけだがな」 「本当にちょっとかな? その目で確かめるといいよ。できたらだけどね」  ユウキが低く声を押し上げて、親指を噛んだ。 「俺のアイちゃんを泣かした大罪人は、例え兄でも容赦しないから」  ヒュッ、と風を切る音。 「ハッ」  目に見えない斬撃にバニラはテレポートで飛んで身を躱した。  ビュンビュン! と風の踊る音。  バニラがかすかな残像を見せながら空間を幾度も移動する。その背中を黒血のブーメランは回転しながら飛行し追い回した。床、壁、天井一面に熊の爪痕のような傷が刻まれてゆく。毛皮の絨毯が裂け、ソファの脚が崩れ、クッションが爆発して、血に濡れたビーズが繁吹いた。 「は、(はえ)ぇ………」  まるで突風をすり抜ける弾丸のように、瞬きせずとも目で追える範囲ではなかった。 「この程度じゃ掠りもしないか」  ブーメランがユウキの手にとんぼ返りする。  家具が悲鳴を上げるばかりで、標的の兄はキッチンのカウンターに立って飴を舐めるほど呑気に暇を持て余していた。  ユウキは不機嫌そうに眉を寄せて、指先の傷口を犬歯で抉る。  血が滴り、床に落ちる前に吹き荒れる風が三回連続で吠えた。  空中に飛散する三日月型の影が分身を作るように増えていく。  三つのブーメランだ。  バニラは飴を咥えたまま虚空に消えた。 「逃がすかッ!」  縦横無尽の、乱れ打ち。  返すはテレポートの連打。  もう残像すら目に見えることはない。目に見えない二つの魔法がすり抜け合い、天井の電球が一瞬で花びらみたいに粉砕していく。 (や、やっぱユウキ兄ちゃんは怒らせちゃダメなやつだわ)  見上げた先の兄は殺気を孕む目で嗤っていた。 「っ!」  銀色の糸が、蝶のように宙を舞う。  ひらひらと床に落ちる一本の糸ーーーではなく、髪の毛。絹糸のような銀髪は、この家族でバニラしかいない。 (髪に触れた!)  ユウキの神速の追い討ちが、時空間魔法と互角に並ぶほどスピードを跳ね上げている。  その証拠に、両統の大悪魔の髪を四、五本も掠め取っていった。  しかし三つのブーメランは、またもやユウキの手に返る。  バニラの空間移動も止み、タイルの捲れたフローリングに体を着地した。 「さぁ、そろそろ復讐、させてもらうよ?」  ユウキは邪悪な笑みで、思い切り己の腕に噛みついた。 「にい、ちゃん?」  激しく脈打つ血管の太い箇所に猛然と牙を立てて、ブシャ! と飛沫の音がしたかと思うと、宙に浮かんで広がる十の愛武器。 (……………ブーメラン十連撃!? 兄ちゃんどこまで魔力をコントロールできるんだ!?)  形態化のうえに魔法の分裂まで成功させるのは、かなりのテクニックが必要だ。名門校の星ノ木学園の実践授業でも、音を上げてしまう者は多い。  特に魔法が使えないアイスケからしては、未知なる至難の業だった。それも同い年の兄。いつもの物腰の柔らかな笑顔からは想像もできないほどの、威圧。 「アイちゃんの痛みを味わえッ!!」  十のブーメランが、四方八方から嵐の如く強風を吹かせ敵へと放たれた。  クク、と密やかに嗤う声。 「!」  バニラの体から暗黒の電撃が網状に全方位へと羽ばたいて、ブーメランを弾き飛ばした。  床に黒い血溜まりが広がる。それはもう、天性の魔力のかけらも失ったただの体液に過ぎない。  ライゴウーーー青空ですら一瞬で黒雲に変え十億ボルトの雷を落とす、魔界最凶の雷系黒魔法。その使い手のレヴィアタン一族は、銀色の髪に、好戦的かつサディストな性格で、ディアボロスも手を焼くほどの不良貴族と知られている。  バニラは、まさにレヴィアタンの鑑だ。  漆黒の雷光越しに嗤う悪魔の目が、そう語っている。 「この前やり合った時よりはちったぁ成長してんじゃねーか。さすがは俺の弟だな」  汗一滴も垂らすことのない余裕に満ちたバニラに、チッ、とユウキは顔をしかめて舌打ちする。 「だが速けりゃいいってもんじゃねーな。お前らは、この俺の顔に一発でもかましたいんだろ? だったら………」  ビリリッ、とバニラの額から紫黒のツノが生える。 「このライゴウを突き破るぐれー死ぬ気で来やがれってんだボケェ!!」  嵐も裂くような轟音が地震のように部屋を揺るがし、伸びたツノは矢になって襲いかかった。
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