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1.一番の友達
愛莉ちゃんには男友達が沢山いる。
大学で工学部に入った時から、それはもう仕方ないことだと思う。その中でも俺、三島は愛莉ちゃんの一番の友達だと自負している。……愛莉ちゃんは、そう認めないけれど。
「愛莉ちゃんさぁ、もっと自分を大事にしなよ」
「してるよ? 自己犠牲とかしないタイプだよ」
「まぁそれは否定しないけど。将来刺されても知らないからね」
「みっしーが助けてくれればいい」
「俺は無理。軟弱だから」
「うーんそれは否定しないけど」
愛莉ちゃんと話すのは楽しい。なんの気遣いもいらなくて、面倒な駆け引きもない。男友達といる時より、かえって楽だとさえ思う。
「とにかくさ、あんまりすぐ男と寝ないんだよ。面倒なやつもいるんだから」
「分かってるってば……」
愛莉ちゃんは頭が良くて、顔も良くて、でも変に女を感じさせないので友達としては最高にいいやつだ。男友達といる時にするようなゲスな話もでないので俺としては最高の話し相手だった。ただ一点難があるとすれば、とてつもなく尻軽なことだった。
「大体さ、なんで三島に言ってないのに知ってんの」
「だって小山が自分で言ってたから」
「ほんと口が軽い男ってサイテーだわ」
「小山なんかと寝る愛莉ちゃんが悪い。俺みたいないい男がそばにいるっていうのに何が不満なんだか」
「みっしー軟弱だからなぁ」
小山も大して変わらねーだろと思いながら、小山のどこが良かったか聞くのも癪なので黙っておく。あんなやつと愛莉ちゃんのベッドシーンを想像してしまうのは胸糞悪い。間違えて夢にでも見てしまったらどう考えても寝覚めが悪い。
「まぁいいや小山のことは。どうせ付き合うわけじゃないんでしょ」
「小山なんかと付き合わないよ」
「愛莉ちゃんの100人切りが現実味を帯びてきたなぁ」
「小山は酒の過ちだから数に入れないで」
「愛莉ちゃんは大体酒の過ちでしょうが」
俺だって酒の過ちくらいは経験がある。でも俺と飲む時、愛莉ちゃんはどんなに酔っ払っても絶対に間違いを犯さない。
愛莉ちゃんを家に送っていって、終電を逃した俺が愛莉ちゃんの家に泊まっても、一度も酒の過ちなんて起こさなかった。
なのにこうまで酒の過ちでいろんな男と寝てしまう愛莉ちゃんが理解できなかった。
最近は愛莉ちゃんが参加する飲み会にはなるべく顔を出して、愛莉ちゃんを家に連れて帰るようにしていたのでずいぶん減ったと思っていたのだが。
「もうすぐ就職するんだから、就職したら会社の人と寝ないでね。既婚者とやったら面倒なことになるよ」
「寝ないよ。これでもわたし、本当にまずい失敗はしないんだから」
「はいはい。俺とは絶対寝ないもんね」
「みっしーは友達だから」
「俺が一番の友達だもんね」
「そうだね」
あれ。俺はしばらく目を瞬く。
「ど、どうしたの? 今まで一番の友達って認めたことなかったじゃん」
「ん? みっしーは一番の友達だよ。入学してからずっと」
「えぇ?! ちょっとなに急に! 気持ち悪いんだけど」
「就職したらっていうのに感傷的な気分になったから」
「あぁそう……」
愛莉ちゃんの言うことを間に受けて馬鹿みたいな気持ちになった。俺は、愛莉ちゃんの一番の友達っていうのを結構大事にしているのに。
「まぁいいや。言質とったからね。今度から堂々と愛莉ちゃんの一番の友達を名乗ろっと」
「そんなの名乗る機会ある?」
愛莉ちゃんが楽しそうに笑う。ある、あるよ。俺は男友達の世界では実はよく口にしている。愛莉ちゃんと寝たという男が両手の指くらい、愛莉ちゃんと付き合ったという男が片手の指くらいいる中で、愛莉ちゃんの一番の友達は一人しかいない。俺にとってはそっちの方が価値のあるものだった。
「そういえば愛莉ちゃんいつ引っ越すの」
「30日。ぎりぎりにしたよ、実家遠いし」
「新居に入るまでどうするの? ホテル?」
「どうしようか悩み中」
「そっか。うちくる?」
東北の実家から進学とともに出てきた愛莉ちゃんは一人暮らしをしている。4月1日の入社日まで社宅には入れないと以前に聞いて知っていた。そしてきっと、適当な男のところにでも行くのだろうと思っていた。愛莉ちゃんが尻軽なのは分かりきっていることだが、一番の友達として、少しでも阻止したい健気な気持ちが少なからずあった。
「みっしー実家じゃん」
「来たことあるじゃん。愛莉ちゃんならうちの母親も歓迎するよ」
「うーんでもなぁ……さすがに泊まるのは悪いよ」
「愛莉ちゃんとはこの4年間何もなかったってうちの母親も知ってるからさ」
「その知られ方も複雑なんだけど」
愛莉ちゃんが苦笑する。でももうあと一押しすれば愛莉ちゃんが折れる、と長年の勘で察知する。
「もう最後でしょ? 社会人になってからうちの実家来ることなんて絶対ないからおいでよ」
「んー」
愛莉ちゃんが目を逸らして遠い目をした。
大学を卒業して今までの生活が変わってしまうことを、みんな大なり小なり寂しく思っていた。俺も、こうして愛莉ちゃんや他の友達に気兼ねなく会って楽しく、時には怠惰な時間を過ごすことへの名残惜しさが澱のように胸に溜まっていた。
けれどその中で一番、本人は決して言わないけれど、愛莉ちゃんが寂しく思っているのも分かっていた。
最後のゼミ、卒業式、最後の飲み会、最後のバイト。毎日ひとつずつ最後を迎える。自意識過剰かもしれないが、愛莉ちゃんは俺との最後の日を一番名残惜しく思っている、そんな気がしていたのだ。
「おばさんとおじさんが迷惑でなければ……」
「実はね昨日言っといた。愛莉ちゃん来るかもって。喜んでたよ」
「なんか根回しよくない?」
「最後だからね」
納得できない顔をしつつも、ダメ押しに最後と言われて何も言えなくなったようだった。
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