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3.一番美しいとき
愛莉ちゃんの家に着くと、ちょうど玄関で引っ越し業者と話しているところだった。
「では4月4日の午後、搬入となりますので」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
ちょうど終わったところだったようだ。
「愛莉ちゃん終わった? これ、業者の方によかったら」
「あ。ありがとう……すみません、気が利かなくて。移動中に飲んでください」
「お金をいただいてますから、お気遣い不要なんですよ。でも、ありがとうございます。せっかくなのでありがたくいただきます」
コーヒーを受け取ると、業者の方々がいい笑顔で帰っていった。
この後大家さんが最終点検に来ると言うので、家の中で缶コーヒーを飲みながら待つことにした。
「みっしーって大人な気遣いできたのね」
「俺が一番いろんな気を遣ってるのは愛莉ちゃんなんだけど?」
「同じくらい失礼なこと言われてるから忘れてた」
「恩知らずめ」
そんなふうに言っても愛莉ちゃんは笑っている。ものがなくなった部屋を見渡して、愛莉ちゃんがぽつりと言う。
「ねーこの部屋ってこんなに広かったんだなぁと思わない?」
「ほんとだね。狭い狭いと思ってたけど」
「みっしーいっつも寝た後体痛いって言ってたよね」
「そりゃソファで寝ればね」
「いつもソファで寝かせてごめんね」
愛莉ちゃんは全く悪びれもなく笑っている。釣られるようにして俺も笑ってしまう。他人の家なのに、ここで過ごした4年間があまりにも濃かった。
「次はさー大きいソファ買おうかな?」
愛莉ちゃんがふと思いついたように言って、俺は目を瞬いた。
「ベッドになるソファみたいなやつがいいかなー。それより社会人になっても家に呼んでくれるの?」
「え? 当たり前でしょ、友達なんだから」
「今みたいに飲み会から連れて帰ることはほとんどなくなるけど」
「みっしーがいなくなったら困るなぁ」
「頼むよ。ちゃんと意識を保って家に帰って。手当たり次第に男と寝ないでね」
「そんなことしないよ……なんか三島の私像やばくない?」
「愛莉ちゃんはやばいよ」
俺が真剣な顔で言うと、しばらく二人の間に沈黙が落ちた。が、まもなく二人で耐えきれなくなって吹き出した。
「あーひどい言い草。でも笑っちゃう」
「こんなふうに言える相手がいなくなると寂しくなるなー」
「ほんとだよね、最近妙に感傷に浸っちゃう」
「知ってた。愛莉ちゃん妙に寂しそうだから面白くって」
「おい」
愛莉ちゃんが俺に肩パンする。こういう時、愛莉ちゃんの肩パンはしっかり痛い。
「あ、大家さん来た」
呼び鈴が鳴って駆けていく愛莉ちゃんを見ながら俺も立ち上がる。ゴミをまとめ、スーツケースを持って、忘れ物がないか部屋を見渡す。いよいよこの部屋とも別れの時だ。
「お世話になりました。ありがとうございました」
愛莉ちゃんが大家さんに鍵を返し、頭を下げているのを少し離れて見守る。散々お世話になったので一緒に頭を下げようかと思ったが、変に同棲していたみたいに思われても困るだろう。
「さぁ行こっか」
振り返ってこちらに歩いてきた愛莉ちゃんの目は夕陽を受けてきらきらと輝いていた。愛莉ちゃんが泣くところは何度か見たことがあるが、涙は溢れるよりその前が一番美しいのだと愛莉ちゃんを見ていて気付いた。ようは、その時の愛莉ちゃんは美しかった。
からかおうかと思ったのに、なんだか俺の方が照れてしまって何も言えなかった。スーツケースを受け取ろうとする愛莉ちゃんの手をいなして、しばらく二人で黙ったまま歩いた。
「……今日さ晩飯カレーだって」
俺の実家に向かう道すがら、言うに事欠いて俺は夕飯のメニューを伝えた。子供か。
「カレー嬉しい、好きだよ」
愛莉ちゃんがふにゃっと笑う。
「いっぱい食べてね。母親も喜ぶ」
「うん。最後……だもんね」
あぁまた、センチメンタルな雰囲気になってしまった。俺のバカ。話題の選択ミス。
「あっ、ねぇ、駅で手土産買ってっていい? 用意するの忘れてた!」
「あ、あぁもちろん……でもそんなのいいんだよ」
「そんなわけにいかないでしょ。おばさん何が好きかな? 甘いもの好き? お酒とかの方がいいかな」
手土産なんてなくても愛莉ちゃんがきてくれること自体を喜んでいる両親だったが、このセンチメンタルな雰囲気を払拭する話題にこれ幸いと全力で乗っかるのだった。
「お酒もいいけど、いっぱい家にあるかも。甘いのはうちの母親喜ぶと思う」
「あ、じゃあ駅前のケーキ屋さんのプリン買ってこうかな。あれみっしーも好きだよね」
「うん、あれうまいよね。母親も好きそう」
「よしいこ!」
元気を取り戻した愛莉ちゃんにほっとしていた。しんみりした愛莉ちゃんにも、それをからかえない俺にも調子が狂ってしかたなかった。
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