前編

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前編

 信じられない。  何でこんな事をされないといけないんだ。  左頬を殴られて硬い土の上に転がった。  腹が立って相手を睨みつけたら、生意気だと言われて今度は腹を蹴られた。  これが上の人間のやることかと怒りで血管が切れそうなくらいだ。  やり返したくても、相手は鍛えられた屈強な成人男性で、それに比べて俺はガキで体は小さくて手足も骨しかないみたいに細い。 「二度と生意気な口を聞くな。殺されなかっただけでも幸運だと思え」  捨て台詞を残して他の上官達と笑いながら男は消えていった。  悔しくて悔しくて、俺は地面を殴って震えた。  ぜってーいつか、ボコボコにしてやる…!  砂を掴んで怒りに燃えていたら、ふと我に返った。  そもそも、俺はなんでこんな事をしているんだろう?  確か話ではお気楽な恋愛小説の世界だと聞いていたのに……。  想像していた世界とあまりにかけ離れた状況に、何かまた間違えられているとしか思えない。  そう、間違えたと言われて呆然としたあの時を思い出した。 「はい? もう一度言ってくれませんか?」 (だから間違えだ。そもそもお前が急に助けようとなんてするから、代わりに来てしまったんだ) 「おっ…俺のせい?」  神、というやつは実体はなく眩しい光だった。  俺は死後の世界、というところでその神と会話をした。  どうもフランク過ぎるというか、軽い感じの喋り方だったが、初めて聞いた第一声が、あっこれ間違えね、だった。  前世、と言えばいいのか、前の世界で俺はホストとして順風満帆に生きていた。  歳も二十代の終わりで、やっと独立して自分の店が持てるところまで上り詰めた。  しかし帰宅途中、目の前で車に轢かれそうになっていた人を助けるために思わず手が出てしまった。  押し出して自分も一緒に倒れるはずが間に合わずに俺が轢かれてしまった。  そんなわけで、その場で即死したのか、真っ白な世界に吸い込まれて、同じように集まっている魂達と天国ゲートに入るための列に並んだ。  そうして俺の順番になったがゲートはいっこうに開かなかった。  慌て出した門番に上司である神のところに連れて行かれて、開口一番、間違いだったと告げられた。 「じゃあ戻してください。俺けっこう頑張って成り上がったし、俺がいなくなると泣く子が多いと思うんですよ」 (……確かに、ずいぶん努力したようだな。恋愛面では……これはまた、女も男も……ずいぶんとモテたな) 「まあ、自慢じゃないですけど、小さい頃からモテました。それでホストになってど貧乏だった実家の借金も返済して、家も建ててやりました。バイで節操なしだったのは認めますけど、色恋で揉めたことは一度もないですね」 (残念ながら元の肉体には戻せない。だが…、なかなか強い魂だからこのまま消滅させるのはもったいないな……) 「しょ…消滅……」  天国ゲートにも入れなくて、このまま消えていくなんてあんまりだと思っていたら、神はある提案をしてくれた。 (恋愛が得意なら、恋愛小説の世界で生まれ変わるのはどうだ? すぐに送れるのはそっちの方だけなんだ) 「生まれ変わり……? 小説の世界? そんなことできるんですか?」 (ああ、記憶の方は、慣れた頃にならないと思い出せないと思うが、どういう話でどういう人物になって、何が起こるか、事前に教えてやる。その通り生きてもいいし、別の生き方を選んでもいい。こんな楽なものはないだろう?) 「……なるほど、宝くじの番号を事前に知ってるみたいなやつか。いいね、消滅するより、そっちの方が面白そうだな」  神の提案に俺は乗った。  そしてその後、色々と説明を受けた。  ずいぶんとハチャメチャな世界でマジかよってドン引きしたが、その通りに生きなくてもいい、という言葉を信じて転生することになった。  ようやく世界に慣れた、ということなのだろう。  俺は十歳の誕生日に前世の記憶を思い出すことができた。  なるほどこれでやっと、思い通り楽勝な人生を歩むことができる。  そう思っていたのだが……。  小説の舞台になるのは俺が二十歳くらいの時なのだ。  ご丁寧に少年時代から記憶を思い出させてくれたのだが、こんなにキツイ人生を歩んであそこまで至ったなんて聞いていなかった。  いや、肩書きがそれなりに立派であるなら、楽してあの地位まで行くはずがないのは想像できる。  どうやら俺の想像力が足りなかったようだ。  ため息をつきながら、目の前の腐臭のするスープに口をつけた。  食堂の椅子には座らせてもらえない。  寒空の中、外へ出て地面に座って一人で腹を満たす。  きっとすぐに腹を壊して苦しむことになりそうだ。  仕方がない。  これしか食べられるものがないのだ。  今は何の力もない、ただの痩せこけた下っ端の生意気な新人剣士には、これが普通の対応ということだ。  俺が生まれたこの世界は、恋愛小説の世界だと簡単に説明されたが、ここは男主人公が男と恋愛を繰り広げるBL小説の世界だ。  世界の下地としては、同性同士の恋愛や結婚が問題ないとされている、剣や魔法なんかが出てくる西洋風のファンタジー世界だ。  人間達は全員西洋風の顔立ちで、俺ももちろんそういった容姿をしている。  そして俺はモブではなく、名前のあるキャラクターだ。  主人公はいわゆる総受けと呼ばれ、男キャラクター全員から愛されて、行為においても受け手の側の人間となる。  ハーレム、と呼ばれるほどではないが、主人公は男キャラ達に愛されて次々と体を重ね、最終的に一人と結ばれる。  確か神に選ばれた美しい容姿で神子と呼ばれて、国を疫病から守る力を持っている。その力を維持するために、体の相性が最高にいい相手を探さなければいけない、トカナントカ…。  彼を愛する男達は、体の相性が悪いと次々とフラれるわけだが、実は俺はそのフラれる一人目、国の聖騎士団所属の若き騎士団長、ガヴェイン・マクシミリアンなのだ。  公爵家の次男で容姿端麗、涼しげな目元で男女ともにモテるが硬派で剣一筋で生きてきた男。  主人公は嫌だと言ったら、男キャラの中から誰か一人選ぶように言われて、俺はガヴェインを選んだ。  聞かされた設定は前にあげた簡単なものだったが、騎士団長なんてカッコいい! 公爵家の令息だし何かあっても安心の高スペックじゃん! という単純な理由で選んだ。  それに他のメンバーは、国の王子やら宰相、魔導士、隣国の王子、教皇などバラエティには富んでいたが、周囲の期待が大きかったり、やることが未知過ぎるので、騎士なら分かりやすいと思ったのだ。  バリタチの俺としては、体でフラれるという状況にどうにかしてやりたいという衝動に駆られるが、君子危うきに近寄らず。  わざわざフラれるために主人公に近寄るつもりはない。カッコ良くて立派な仕事と、モテモテ恋愛ライフを謳歌させてもらおう、そう思っていた。  しかし神は、完璧な攻めとして出来上がった状態での設定をチラッと見せてくれたにすぎなかった。  このガヴェインというキャラだが、騎士団長まで上り詰めるまでが一筋縄ではいかない苦労人キャラだったようだ。  公爵家の次男だと聞いていたが、今のところ俺は平民だ。  物心ついてからは小さな農村で、畑を耕しながら生活していた。  母親とされる人は俺の生まれについて、何も言わずに俺が五歳の時に病で亡くなった。  俺は母親の弟で、叔父にあたる人に引き取られた。  叔父は町で宿屋を夫婦で営んでいて、息子と娘がいたが、俺が増えることにいい顔はしなかった。  置いてやる代わりに働けと言われて朝から晩まで働かされた。  そして俺が十歳になる頃、王国の兵士募集の張り紙を見て、少年剣士団に入団すると入団資金としてわずかな金が手に入ると知った。  自分の前世を思い出したその日、俺は少年剣士団に売られるように入れられた。  少年剣士団は、十歳から十六歳までの平民の子供が、主に剣の訓練を積んで、将来王国の兵士として必要な腕を身につける、という事を目的とされる。  だが、実際はほとんど剣など触らせてもらえずに、先輩兵士達の身の回りの世話や雑用をさせられ、憂さ晴らしに殴られたり蹴られたりするというひどいものだった。  そのため、平民でもよほどのことがないと、こんな所へ入団させる親などいなかった。  こんな状況で前世の記憶を思い出しても何の役にも立たない。  お気楽に恋愛ごっこを楽しもうなんて浮かれていたのに、待っていたのは過酷な現実だった。  納得できなかった俺は何度も逃げ出そうとして見つかって殴られた。上官に目をつけられてからは、何もしていなくても怒鳴られて、暴力を受けるようになり、おかげで骨と皮しかない体はアザだらけだ。  ろくな食べ物を与えてもらえないので、いつも腹を空かせているし、だんだん考える力も無くなってきた。  こんな状況で俺は本当に主要キャラクターになれるのだろうか。  これこそ何かの間違いではないのか、頭の中には疑問ばかり浮かんでくるが、腹が鳴る音で正常な思考能力はかき消されていった。  何でこんな人間に生まれ変わってしまったのだろう。  神を恨み、ガヴェインを選択した自分を恨み、嘆き続ける日々を送っていた。 「お、いたいた」  腐ったスープをすすりながら吐きそうになっていると、背中の方から声が聞こえてきた。 「お前が、ボリス上官を怒らせたってやつか」  振り返ると、俺と同じくらいの背丈の子供が立っていた。  この世界の平民の多くと同じ、地味な茶色の髪に茶色の目をした少年だったが、その目には他には見たことがない強さを感じた。 「おっ…おい、ひどい食事だな。こんなものしかないのか?」  同じ歳くらいだが、少年剣士団では見たことがない顔だった。  新入りにしてはどうも落ち着いているような気がする。  俺はそうだと目で訴えて頷いた。  他の剣士達は別のものを食べているが、俺は生意気だと目をつけられてから、この食事以外は食べてはいけないとされていた。 「ちょっと待ってろ。すぐに戻るから、あっ、それはもう食べるな。お前、体力も無さそうだし腹を壊して死ぬぞ」  声を出そうとしたが、少年はあっという間に走って建物の奥に行ってしまった。  上官に逆らう少年剣士などいない。  ここでは死を意味するからだ。  死についてはもちろん嫌だが、一度経験した身なので変に耐性がついてしまった。  それよりも、ただゴミが目につくからと言われて理不尽な理由で殴られるのが我慢できなかった。  あの少年は俺を頭のおかしいやつだと笑いにでも来たのだろうか……。  残ったスープをどうしようとスプーンでぐるぐるとかき混ぜていたら、パタパタと走る音が聞こえてきた。 「お待たせっ、遅かったからこれぐらいしか残っていなかったんだけど」  走ってきた少年が布にくるんで持ってきたのはパンだった。それも、三つもだ。  コロンとした丸い形をしていていい焼き色で、甘い香りがした。  それを膝の上に載せられたのだが、どうしていいのか分からなかった。  ここに来て初めて見るまともな食事だ。  もしかしてこれを食べたら誰かに怒られるのかもしれない。  それを思うと手をつけられなかった。 「どうしたの? これじゃ…嫌だったかな」  ありえない! そんなはずがない!  俺は違うのだと首をブンブン振った。 「……おれ……た…食べて……いいの?」  喉から出てきたのは掠れた声だった。  連日声出しと言って先輩騎士の訓練の際、掛け声で大きな声をずっと出していて喉が枯れていた。  水も生臭いものしか飲ませてもらえない。  とにかく草花なら枯れて萎れているような状態だ。 「いいよ。これは俺が持ってきたものだから、誰も何も言わないよ」  ちぎったパンを口元に寄せられて思わずかぶりついた。涎が止まらなくてどうにかなりそうだったのだ。  少年がちぎってくれた分だけでは足りなくて、持ってきてくれたパンを自分の両手で持って、バクバクと食べた。  急いで食べすぎて、ゲホゲホとむせてしまったが、ひとかけらだって落としたくなかった。 「これ、今汲んできたばかりだから新鮮な水だよ」  少年はたぶんそうなるだろうと予想していたのだろう。水も用意してくれていた。  俺は筒状の木のコップに入った水をゴクゴクと飲み干した。  パンが喉に落ちるように背中もさすってくれた。ここに来て初めて触れる優しさに涙が出そうだった。  いや、ここだけではない。  この少年にとっては大したことではないかもしれない。  でも、俺にとっては、叔父の家でも俺に優しく触れてくれる人などいなかった。  この世界で母親以外の人から初めて向けられた優しさだった。 「ボリス上官の耳に噛み付いたんだって? そんな面白いことするやつ初めてだよ」 「……面白い?」 「ああ、俺もさ。アイツが嫌いだったんだよね。威張っていて、うるさいし」 「……上に立つ者がやることじゃない」  水を飲み干した俺が遠い目をしてそんな事を呟いたからか、少年は大きな瞳をもっと大きく開いて笑った。 「いいね、俺と同意見だ」  やはりそうだ。  一見平凡な髪と瞳の色だが、顔立ちは整っていて、笑った顔には上品さが漂っている。  少年であるのに左目の横についた黒子が色っぽくすら見えた。  これは将来相当な色男になるに違いない。  俺と同じ薄汚れたシャツとズボンだけの剣士の格好だが、明らかに違いを感じた。 「話には聞いてたけど、平民なのに変わった容姿だっていうのは本当だったんだね。藍色の髪も金色の瞳も綺麗だな」  明らかに気品があるのに、地味な色合いの少年に対して、俺は公爵家の次男……、だいぶ自信がなくなってきたが、たぶんそうであるので、平民にしては珍しい髪と瞳の色だった。それがまた、先輩達や上官からよけいに目障りだと言われる所以でもあった。 「俺達、気が合いそうだな。俺、騎士見習いのエディ、よろしく」  エディと名乗った男は顔に優しい微笑を浮かべて俺に手を伸ばしてきた。  やはりそうだった。  騎士見習いは年齢的には同年代の少年達だが、ただの平民の少年剣士と違い、子爵や男爵の貴族の息子か、平民でも金持ちの息子達がなるものだ。  彼らは通いで、近くの訓練場を使って日々剣の稽古をしている。  立場的には同じ上官の下での訓練生だが、立場も待遇も天と地の差がある。  エディは漂う気品から、きっと貴族の家の次男以降ってやつだろう。  騎士見習いは十八を過ぎると王国の騎士になることが確定している。  なぜ俺がこんなやつと、と頭によぎったが、それでもまともに接してくれたのはこの世界で今は彼だけだ。  他のやつは手なんて伸ばしてもくれなかった。  勝手気ままに殴ってくるようなやつらばかりだった。  だから俺はエディが差し出してきた手を取った。 「ありがとう、エディ。俺はガヴェインだ……よろしくな」  これが俺と騎士見習いのエディとの出会いだった。  たった一度、優しくしてくれただけ。  そう思って期待しないようにしていたが、エディは俺の何を気に入ったのか、その後も度々現れて俺に食料を持ってきてくれるようになった。 「ガヴェイン! こっちだ!」  大げさに手を伸ばして頭上でブンブンと振っている男を見て、俺の方が恥ずかしくなって顔を伏せた。 「エディ……お前そんな大声で……」 「何恥ずかしがってんだよ。今日から俺と同じ騎士見習いのガヴェインだろう!」  歓迎するよと言って近づいてきたエディに、背負っていた荷物を半分取られてしまった。 「言っただろう、ガヴェインは絶対騎士になれるって。俺が腕を見込んだんだから、やっぱり間違いなかった」  エディと出会ってから五年。  同じ歳だったエディと俺は、十五歳になった。  薄汚れて骨と皮だった俺は、エディからまともな食事をもらうようになり、あっという間に肉がついた。  その間も相変わらず先輩や上官からの暴力は続いていたが、エディの手引きで夜に訓練場を使わせてもらった。  毎晩仕事が終わり、エディから食事を分けてもらった後、二人で秘密の訓練をする日々が続いた。  目的は少年剣士から騎士見習いへの昇格だ。  これは家柄、身分に関係なく、年に一度試験があり、実力が認められた者だけが騎士見習いに上がることができる。  五年目の試験でようやく騎士見習いへの昇格が認められた。  一年で体を作り体力をつけて、二年目から剣の腕を磨いた。  エディは騎士見習いではあるが、本物の騎士と見間違うくらいの腕を持っていた。  俺の体は筋肉がついて逞しくなったが、エディには遠く及ばない。  五年前のエディは可愛らしい少年だったが、今は俺の一回りくらい体もデカくて、毎日手合わせしているが未だに一度も勝ったことがない。 「それで、ちゃんとやってきたのか?」 「ああ、全員ボコボコにして、縄でぐるぐる巻にして全員木に吊るしてきた」  俺が胸を張ってそう言うと、エディは大口を開けてゲラゲラと腹を抱えて笑った。  騎士見習いになったら、俺に暴力を振るってきたやつらを全員叩きのめすと決めていた。  エディは手を貸すと言ってくれたが、これは俺の積年の恨みでもあるので、自分でケリをつけると言っておいたのだ。 「今頃向こうは大騒ぎだよ。近くで見たかったなぁ」 「くくくっ…ボリスの焦った顔と言ったら……、顔にしっかり泥を塗ってやった。俺がやられたことからしたら軽いものだがな」  思い出したらおかしくなって噛み殺すように笑っていたら、近づいてきたエディに背中を撫でられた。 「良かったよ。ガヴェインがそんな風に笑えるようになって」 「………俺だっていつまでもやられっぱなしのガキじゃない」 「あーあー、カッコ良くなっちゃって。五年前は俺にパンをもらって震えて泣いていたのに。あの頃は可愛かったなぁ」 「っっ…! エディ! いつまでもその話をするな!」  俺のパンチをひらりと避けたエディは、嬉しそうに笑いながら宿舎の方へ向かって先に歩いて行ってしまった。  調子のいいやつだと思いながら、俺もクスリと笑ってその後を追った。  エディは男爵家の四男で、一応貴族の端くれだと教えてくれた。  浮気者の男爵が外に作った子で、認めてはくれたらしいが家に居場所がなく、自分から志願して見習い騎士になったそうだ。  家に居場所がない、と言うところが俺と似たような境遇だと思った。  貴族の息子達は通いで訓練場に来ているだけの連中が多いが、エディは見習い騎士用の宿舎住まいだった。  昇格したので俺も宿舎を移ることになったが、慣れないことも多いだろうからとエディが同室になるように話を付けてくれていた。  ここまで相当苦労したが、やっと騎士見習いだ。時々俺は転生者でこれが小説の世界だということを忘れそうになる。  そもそも神が用意してくれた小説というのが、タイトルすら分からず登場人物とあらすじだけサラッと聞いただけだった。  自分の歩んできた道が小説の通りなのか、すでに違うのかもさっぱり分からない。  ただ騎士団長に向けての小さな一歩を踏み出したことにはなっている。  ということは全て決められている小説の通りに進んでいるのか。  エディの登場と、ここまで力になってくれたのも決められたシナリオ通り、そう思うと何だか胸がチクリと痛んだ。  騎士見習いになってからは、日のあるうちから堂々と剣の練習に取り組むことができた。  やはりこのガヴェインというキャラには潜在的に騎士のスキルが備わっていた。  鍛錬すればするほど、どんどん腕が上がって、先輩の騎士見習い達をあっという間に追い越していった。  将来の就職先にと習い事感覚で適当にやっている貴族の坊ちゃん達は話にならないし、デキると言われている連中もバタバタと倒していったが、どれだけ必死にやってもエディには勝つことができなかった。  手から剣が落ちてカランと音を立てて地面に転がった。もう指を一本も動かせないくらい体が重かった。 「つつっ……、あーーー、さっきはいけると思ったのに!」 「前に出た時に右側の軸がブレた。そこが隙になったんだよ」  息を切らして地面に座り込んだ俺とは対照的に、エディは長い剣を肩に載せて涼しい顔で爽やかに笑っていた。  まったくバケモノ過ぎて勝とうという気持ちはとうの昔になくなった。  今は単純にエディと剣を合わせる時間が好きで、懲りずに毎日手合わせを続けていた。 「はっ…、丁寧に教えてくれるのがエディらしいな。これで直してもどうせ別の手でくるからな……。まあ、助言はありがたくいただこう」 「ははっ、じゃあ、いつかガヴェインが俺に勝ったら、何でも一つ願いを叶えてあげるよ」 「……その言葉、忘れないぞ。巨万の富か、絶世の美女か……」 「いっ…美女は…ちょっ…」 「ああ? なんだ?」 「いや…何でもない。とにかく、約束だ」  俺が適当にいかにもな願いを口にしたら、エディはもごもごと何か言っていたがよく聞こえなかった。  きっと俺が大それた願いを言ったので慌てたのだろう。  さすがにそこまで頼むつもりはないが、勝った時には飯でも奢ってもらおうと考えていた。 「ガヴェイン、夕食は? 今日は肉が出るらしいよ」 「ああ、悪い。今日はデートなんだ」 「………」  騎士見習いになってもうすぐ一年。  原作に記されていた通り、将来の騎士という身分に箔がついたからか、俺はモテるようになった。  ガヴェインは剣一筋の硬派なキャラだったのかもしれないが、俺に変わったからには人生はそれとして楽しませてもらうつもりだ。  今のところ声をかけてくるのは女の子だけなのだが、この世界の女の子を知るために、日替わりで色々な女の子達とデートを楽しんでいた。  騎士見習いになってから自由に外出できるようになったし、訓練に支障がない範囲でモテモテライフを満喫している。 「……今日は、どこの子だ?」 「花屋の娘、サリーちゃん。先週デートして気に入ってくれたみたいだから、今日は夜店を回る予定だ」 「みんな話しているよ。ガヴェインは頻繁に違う女の子と次々とデートするのに、どうして喧嘩にならないかって……」 「ああ、それは企業秘密だ」 「は? き…なんだ?」 「秘密ってことだ。じゃ、寮母さんによろしく言っておいてくれ」  ポカンとした顔になっているエディを置いて俺はさっさと訓練場を出た。  汗臭いのはデート相手に対して失礼だ。  汗を流してから清潔な格好に着替えないといけない。  歩きながらエディの顔を思い浮かべた。  口を開けた顔のエディは昔の幼さが残っていて可愛かった。  エディはいつも俺がデートして帰ってくると何故か機嫌が悪い。  土産に菓子でも買って帰ってこようかと考えた。  俺をどん底から救ってくれた人でもあるし、エディには嫌われたくないし特別な思いがある。  それにしても女の子達とデートをしていても、度々エディのことを思い出してしまうことがある。  ホスト時代に、相手の前で集中できない男なんて失格だと散々後輩達に言い聞かせていたのに、すっかりそっちの腕は落ちてしまったようだ。  成り行きでそのまま騎士を目指してはいるが、本来のこちらへ転生した目的である恋愛を楽しむという方も、そろそろ本格的にやっていくかと俺は気合を入れた。  時が流れるのは早い。  十八になり、俺はエディと共に見習い騎士から卒業して王国の騎士となった。  俺の生まれた国、ナインフェルト王国には国を守る一般的な王国の騎士と、王族を守る聖騎士団がある。  国の騎士団から選りすぐりの精鋭達を集めたのが聖騎士団で、出世のピラミッドでは最高峰になる。  騎士になった俺は、騎士の身分を与えられた。ただの平民だった少年からしたら大出世になるだろう。  当然、やっかみや嫉妬があり、よく知らないやつからも睨まれたり文句を言われるのは日常茶飯事だ。  しかし、今年騎士になった中でも俺の腕はトップクラスなので、表立って絡んでくるやつはいない。いたら叩きのめしてやるところなのでつまらないものだ。  相変わらずエディとは一番仲のいい友人だが、交友関係は広がって他にも友人はたくさんできた。 「よう、ガヴェイン。また女からフラれたんだってな」  新人騎士は王国の警備に就くことになっている。担当の区域の警備が終わり城の詰所に到着したところで声をかけられた。 「アントンか。耳が早いな」  赤髪のアントン。  同期だが、一つ年上で別の領から選抜でやってきた男だ。俺はまだまともに手合わせしたことはないが、かなりの腕を持っていて誰からも一目置かれている。  浅黒い肌に顔にできた傷が目立つ野生的な男だ。入団式で話しかけられてから気が合って、今ではエディも交えてよく三人で飲んでいる仲間だ。 「なんだよ。落ち込んでるかと思えばこれだ。さすが女を泣かさないプレイボーイ。次があるからなんて言わないでくれよ」 「残念ながら、次の予定はまだない。仕方がないだろう、結婚するって言うから手を振って別れてきた」 「はあ? 相変わらず、お前もエディもそっちは歪んでるなぁ」 「俺は恋愛を楽しんでいるんだ。それにエディは違うだろう」  前世と同じく恋愛のいいとこ取りだけして楽しんでいるつもりだったが、この世界の人間からしたら変わり者に見られる。いや、前世でも似たようなものか。  しかし、浮いた噂のないエディまで同じだと言われるのがよく分からなかった。 「お…お前、まさか、本当に気がついてないのか?」 「何がだ?」 「いや…、マジなのか…。こりゃ、お兄さん一肌脱ぐしかないな」  意味深なことを言って顎に手を当てたアントンは、何か思いついた顔で背伸びした後、ニヤニヤしながら俺の背中を叩いてきた。 「お前、男はどうだ? 男だけどすげー可愛い子知ってるんだけど」  企んだような顔が気に入らないと思ったが、そういえばそっちはこちらの世界では未経験だったなと気がついて俺は目を輝かせた。 「遅かったね」  遅い時間なので静かにと思いながらパタンと小さな音でドアを閉めたら、背後から声をかけられてビクッとして振り向いた。 「うわっ…! なっ…なんだ、エディか。お前、今日は西壁で夜勤じゃなかったのか?」  薄暗い部屋の窓辺にエディが立っていて、驚いて声を上げてしまった。  騎士になって騎士用の立派な部屋を与えられた。もちろん一人部屋なのだが、エディとはずっと同室だったこともあって、気軽に行き来していた。  こんな風に帰ってから俺の部屋でエディがくつろいでいるなんてことはよくあったが、照明用のランプも付けずに立っているなんて何かあったとしか思えなかった。 「用がある人がいて交代したんだ。ところで、今日はどこへ行っていたの?」 「え……? 俺? あっ…ああ、アントンが紹介したいやつがいるって言うから、三人で飲んできたけど……」 「それって……、サミーっていう男だよね?」 「ん? よく知ってるな。ああ、もう聞いていたのか。そうそう、従兄弟らしいが可愛い子だったな。さすがに親族は気まずいから、楽しく飲んできただけだ」  なぜかエディ相手にこの手の話をするといつも言い訳みたいになってしまう。自分でも焦っていて不思議だった。 「………ガヴェインは、男でも…いいのか?」  エディの声がいつもより低くてまるで別人みたいでゾクっとしてしまった。  前世バイで節操なしだった俺は、基本女でも男でもウェルカムだ。  どちらでも勃つし抱ける。喜ばせ方も知り尽くしている。  この世界では女の子しか経験がないが、どうせなら男も試してみるかと思ったばかりだった。しかし、アントンが紹介してくれたのは親族だったので、気軽に恋愛を楽しむなんてことは気まずいので先には進まなかった。 「そうだな、別にどちらかとか決めていないな」 「…っはあ!? 今まで女の子としか付き合っていなかったじゃないか!!」 「その機会がなかっただけだ。俺は恋愛を楽しめるなら誰だって……」 「またそれだ。ガヴェインはいつも楽しむ楽しむ、そればっかりだよね」  俺がデートをした日は機嫌が悪いのは昔からだが、今日はやけに突っかかってくる。  おかしいなと思いながら、仕方なく話に付き合うことにした。  あまりに暗すぎるので廊下から灯りをもらって、部屋のランプに灯した。  ベッドに座ってからエディに向かって声をかけた。 「どうした? 今日は何かおかしいぞ。俺が気の触ることでもしたか?」 「……ガヴェインは、本気で人を好きになったことがある?」  ドキンと心臓を突かれたような質問だった。  前世は三十路近かった俺にとって本気になるというのは職業柄死活問題だった。  疑似恋愛を商売としていたので、常にそういう付き合いだけでいっぱいいっぱいだった。  そのおかげで成り上がって店を持つ所までいったのだ。  本気、なんてものは邪魔な感情でしかなかった。  しかし一方で、時々無性に寂しくなる時があった。  あくまで疑似の世界。  輝いて見えるけど、瞬きをした瞬間に全て消えてしまいそうで、本当はいつも恐怖を感じていた。 「ないな。本気というのが……よく、分からない」 「だから誰でもいいなんてことを言うんだね」  エディに言われた通りだった。  本気というのはまるで断崖絶壁に立っているようなもので、もし相手から手を離されてしまったら、下に落ちるしかない。  そんなことになるのなら、安全な場所で夢でも見ていた方が幸せ、そう思っていた。 「誰でもいいなら、俺にしろよ」 「……は? エディ? どうした?」 「どうもしていない。ずっとガヴェインは女の子しかだめだと思っていた。でも、男でもいいのなら、俺だっていいだろう? 俺と付き合えよ」  月明かりに照らされたエディは、もともとの整った顔がより磨かれたようにとんでもなく美しく見えた。  どうしていいか分からなくて立ち尽くす俺に向かって近づいてきて、腕を掴んできた。 「ほ…本気か? 俺達…友人だろう?」 「俺にはガヴェインがただの友人なんて言葉でくくれない。特別な人だ。本当はずっと前から、ガヴェインが好きだった」 「……エディ」  本当は俺よりモテるのに浮いた噂もなく、女や男とも必要以上に親しくすることなどなかったエディ。  俺だけ特別に思ってくれているのではないかと優越感があったのは確かだ。  それが恋や愛なのかと言ったらよく分からない。とにかくそういう感情は前世でもずっと昔に置いてきてしまった。 「俺だけを見てよ、ガヴェイン……」  エディの顔が近づいてきた。  避けないと、逃げないとと思うのに体が動かない。  まるで魅入られたみたいに目が離せなくて、ずっと友人だと思っていた男の顔が近づいてくるのをじっと見つめていた。  なぜかエディの瞳が青く輝いていているような気がした。  ちゅっ…と、唇が重なって小さい音を立ててすぐに離れていった。 「ガヴェイン?」 「……え?」 「嫌だった?」  柔らかかった。女の子達のそれよりももっと柔らかい。それでいて、重なったところから熱が膨れ上がってきて、すぐに離れてしまったのが寂しく思えてしまった。 「いや……じゃ……ない」 「じゃ、もっとするよ」  そう言ったのが最後、エディは俺の唇に食らい付いて、柔和な外見から想像もできないくらいの激しいキスをしてきた。 「んっ……くっ…っ………ちょ……でぃ……」  俺をベッドに押し倒して、むしゃぶりつくように唇を吸われた。わずかに開いた隙間から舌をねじ込んできて、俺の舌を捉えたと思ったら、じゅるじゅると吸いながら頭を上下に動かしてきた。  大人しめの相手とばかり付き合ってきたので、いきなりそんな舌技を使って責められたのは初めてで信じられなくて頭が真っ白になった。  そもそもベッドの上でリードするのは俺の仕事だった。相手に奉仕だってろくにさせたことがない。いつも気持ちよくさせて感じてもらって、そういうので満足していた男なのだ。  まさかこんな風に自分が翻弄されるなんてありえない。 「かっ、…はっ……くるし…は…はぁ…ぁ」 「ガヴェイン…可愛い……、こんなに真っ赤になって……、俺で感じてくれたの?」  エディのキスはまるで手合わせした時の彼そのものだった。  力強くて鋭くて隙のない、いつも俺が圧倒されて苦しいくらい憧れているあの剣さばき。  そんなものと、同じだと思えるくらい、俺は全て魅入られてしまった。  ねっとりと下半身を押し付けられた。俺のアソコに硬いものが当てられてハッとした。  エディが勃っている、そして俺も……勃っていた。 「ガヴェイン……」  ピッーーーと笛の鳴る音が聞こえた。  すぐにドタドタと複数の足音が聞こえてきて、俺の部屋のドアも叩かれる音がした。 「チッ、こんな時に……」  強制点呼。  どこかの領地の急襲や王国内で問題が起きた時に一斉に集まらなくてはいけない合図だ。 「エディ…集まらないと」 「ガヴェイン、次は抱くから」 「えっ………」  俺のおでこにちゅっとキスをしてから、ベッドから降りて窓枠に手をかけたエディは、俺にウインクして笑った後、窓から出て行ってしまった。 「……おいおい、窓から出入りしているのか。猿か…アイツは……」  エディが出て行った後の窓を見ながら俺は片手で口元を覆った。  ずっと友人だと思っていたエディが俺のことを好きだったなんて、信じられなかった。  しかもアイツ…… 「俺を抱こうとしているのか……」  確かに体格はエディの方が少しばかりデカいが、俺もデカいし、そもそも前世でも今世のキャラとしても俺は攻め役だ。  その俺が抱かれる。  想像もできなかった。  そして一番信じられないのは、エディに煽られて勃っているアソコと、使ったこともないのに疼いている後ろ……。  なぜこんなことになっているのか、点呼係に早く起きろと怒鳴られて再びドアを叩かれるまで、俺はベッドに座ったまま動くことができなかった。 「ガヴェイン。様子はどうだ?」 「ああ、こっちは特に何もない」 「そろそろ交代の時間だ。温かいスープがあったぞ」  寒空の中、見張り番で何時間も立たされて、やはり南にしておけば良かったと思った。  寒さに身を震わせながら、真っ暗だけどチラチラ雪が落ちてくる空を見上げていた。  点呼で呼び出された王国騎士達は、国の北と南で同時に他国からの領土をめぐっての急襲があったことを知らされた。  王国は広い領土を所有していて、他国との小競り合いは頻繁にあるが、こうも合わせたようなタイミングは計画性を感じた。  とにかく人手が足りなくて、全員駆り出されるように北と南に分かれて派遣された。  南の方が戦力のある国からの急襲なので、実力のある者が揃えられて南に送られた。  エディやアントンもそうだった。  俺も南行きを命ぜられたが、北行きに変更してもらった。  今の王国の力ならそれほど問題なくどちらも制圧できるだろう。  俺は思うところあり…、エディと少し離れて考えたいと思って変更を願い出た。  エディやアントンは出発する部隊に俺がいなくてきっと驚いているだろう。  任務で行動する時はだいたい一緒に組まれていたからだ。  派遣されて北の中間地点に着いてから間も無く、南の制圧が終わったとこちらに一報が入った。  北の軍も兵士達が健闘していて、他国の兵をほぼ追い詰めていた。  後少しすれば勝利が伝えられそうな状況だった。しかし全く聞いていなかったのだが、北の居城には、お忍びで王女一行がなんと雪見見物に来ていたのだ。  聖騎士一人を護衛に付けて、何ともお気楽な状況に到着してすぐに言葉を失った。  という事で、国の騎士達は居城の警備に回されて、外に通じる出入り口を二十四時間体制で守ることになった。  そろそろ、制圧も完了するだろうが、早く終わってくれないと、慣れない寒さに体がおかしくなりそうだ。  俺の吐いた白い息が空に向かって消えていく。  前世は子供の頃、寒い地方に住んでいた気がするが、そこでもこんな雪を見たのだろうか。  もう、思い出せない。  実は最近、前世の自分の記憶がやけに不鮮明になって出てこない時がある。  魂がこの世界に馴染んで定着しようとしているかのようだ。  特に子供の頃なんてもう何も出てこない。  思い出せるのは毎日浴びるように酒を飲んでいた頃。  俺はなぜあんなに必死になっていたのだろう。必死に金を稼いで、自分の店を持って……。  疑似恋愛を繰り返し、本当の愛がなんだかはサッパリ分からなくなっていた。  気を許したやつに金を奪われてからはひどかった。  男でも女でもいい、自分のそばにいてくれる人なら、誰でもよかった。  恋愛のゴタゴタなんてウンザリだ。  楽しいところだけ。  それだけ見ていたい。  でも本当は感じていた。  気軽に近寄ってきたやつらは気軽に消えていく。  女性を泣かさない、トラブルなんて縁がない。  そんな風に持ち上げられて、すごいすごいと言われていたけど、何もすごいことなどない。  泣いて別れを惜しんでくれるような、離したくないともがいてくれるような相手がいなかった。  そういう付き合いしかしてこなかった。  優しいけど可哀想な人。  いつか誰かにそう言われたのを思い出した、  笑って聞き流したけど、本当は……。 「人を愛することが……怖かった」  神の前では俺が死んだら泣いてくれるやつがたくさんいるなんて言ったが、あれは大嘘だ。  最初は可哀想だと言われても、次の日には俺のことなんてきっとみんな忘れてしまう。  他人を助けて車にはねられた時も、誰の顔も浮かんでこなかった。  空っぽの城に住んでいた。  俺の前世。 「空っぽの城の王なんて……笑えるよな」  そんなもの……もう  そんな王様になんて…… 「なりたくない」  静かな城に、敵襲を知らせる鐘が鳴り響いた。  まさか…、壊滅状態だと見せかけて本体を突く力を残していたか……。  そして夜を狙って森を抜けた……。  いっきに頭の中に血が巡って寒さを感じなくなった。  王国の騎士として最優先は王族の命。  塔の上にいる王女様を死んでも守り抜かなければいけない。  俺はゆっくりと自分の剣を抜いた。  吐く息が白い。  真っ白だ。  身体中がこれで最後だと命を燃やしていて、熱くなっているのが分かった。  刃先がボロボロになっている剣を持って、俺は死の淵に立っていた。  三日前の夜、隠れていた敵の部隊から奇襲された。  兵はほぼ交戦地にいて、手薄だった城は一気に混乱に陥った。  切り立った崖があり獣も出る森を抜けてくるなど想定していなかった。  二日間なんとか城を守っていたがついに橋が落ちて、敵国の部隊がなだれ込んできた。  次々と仲間がやられて、指揮官だった聖騎士が討ち取られてしまった。  俺は王女を連れて脱出する最後の策にでた。  上手く隙をついて城を出て馬に乗ったが、すぐに見つかって追いかけられた。  奇襲があった事の連絡はいっているはずだ。  必ず援軍が来ている。  そう信じて馬を走らせた。  時々弓を放ちながら何人か倒したが、こちらの馬も弓を受けてしまった。  限界を感じた俺は王女だけ乗せて馬を行かせた。  敵が追ってくる前に立って剣を構えた。  一人でも多く、一人でも多く。  呼吸をする度にそう繰り返して、剣を持つ手の震えを抑えた。  ここが死の淵だ。  もうキャラがどうとかという話はではない。  きっと原作のガヴェインは真面目にこつこつと腕を磨き、貴族だと分かってから騎士団長に任命されたのだろう。  チャラく適当に遊んでいた俺とは大違い。すでに原作とは離れていると感じていた。  だからこそ、ここで死ぬことはありえることだとだ。  こんな状況になって頭に思い浮かんだのはエディのことだった。  辛い状況から助け出してくれた。  それからずっと側にいてくれた。  辛くて苦しい時も、楽しくて腹を抱えて笑う時も、いつも隣にはエディがいた。  俺にとってかけがえのない存在。  近すぎて側にいてくれることが当たり前だった。  だから、何も考えていなかった。  死が見えてから、こんなにも思うのはエディのことだけだ。  死にたくない。  悔しい。  いやだいやだ。  エディに会えなくなってしまう。  二度と触れることも、あの笑顔を目に写すことも。  どうして分からなかったのだろう。  俺にとって大切で離れることなどできない存在。  死を前にしてエディのことしか考えられない。  これを愛と呼ばずになんと呼ぶのだろう。 「エディ……会いたい……」  雪道を走る、馬の蹄の音が聞こえてきた。  後何人いるのだろうか。  そんな事はもうどうでもいい。  やるしかない。  俺は雄叫びを上げた。  死んでたまるか。  剣を構えて走り出した。
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