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1.上郡空(1)
「おい、」
返事はない。
「なあ、」
まだシカトしている。仕方ない。ガンッ。
「ちょっと、あんたねえ。」
「悪い。脚、長くてどーしても当たっちゃうんだよ。」
「だから気を付けてって言ってんの。毎回、ガンガンやられる身にもなってよね。」
眉間に皺を寄せて口を尖らせている。怒っているのに何でだか可愛げがある。
「サリーさあ、」
「はあ?何いきなり聞いたばっかのあだ名使ってんのよ。」
「良いだろ、別に。それとも嫌なの?」
一瞬呆気にとられたように俺の顔をまじまじと見つめて下を向いた。何なんだ?
「おい、おいってば。」
やっとこっちを向いた。
「何よ。」
「あれ、えーと何だっけ?」
「あんた、おちょくってんの?」
「いや、んじゃなくて、俺確かにあったんだよ、訊きてーこと。でもそのふくれっ面見てたら、忘れちまった。」
頭を掻いてるうちに、大きな溜息をついて般若(俺にとってはサリーよりこっちの方がしっくりくる)は前を向いてしまった。ほんとに俺何を訊こうとしたんだっけか。さっぱり思い出せねえ。
HRの後の一限目は古典だ。古典…勘弁して欲しい。何で同じ日本語なのにこんなに変化してんだよ。書き文字とか文法とか。まあ語彙が変わってんのは仕方ないとは思うけど。今でも死語とかあるもんなあ。そういや中学時代に張り切って使ってた「ナウい」とか、今は恥ずかしくて死んでも口にだせねえわ。
あー、眠ぃ。絢なんていきなり爆睡してるもんなあ。なのになあ、何だって般若は当てられてスラスラと答えてんだろう。
「あっ。」
気が付けば大声を出していた。やべ。クラス全員がこっちを見ている。絢だって身を起こした。
「おう、上郡、何だ?やんごとなき質問か?」
およそ古典を教える雅な雰囲気からは程遠い強面で、マルボーが睨んでいる。確かバスケ部の顧問だったよな。古典でバスケって何だよ?しかもマルボー。
「上郡?」
「あ、はい。すみません、何でもないです。」
クスクス笑い声が聞こえてきた。思い出した、何を訊こうとしたのか。って全然大したことじゃないんだけど。
休み時間になるやいなや、俺は前の椅子を軽く蹴った。ガンッ。
「ったー、あんたね、だから尾てい骨に響くんだって。」
「大げさだろ。ちょっと突いてるだけじゃん。」
「もうその脚、無駄に長いんだったら切れば?」
「はあ?切ればって何だよ、切ればって。髪の毛じゃねえんだぞ。」
「ああ、そうねえ、そう言えばあんたの髪型も何とかした方が良いわね。」
般若がほくそ笑んだ。わけわかんねえ。
「髪型?何だよ、俺の髪型がどうしたよ。」
「学校来る前にちょっとは鏡見たらどう?何でそんな寝ぐせだらけなのよ。それでよく電車乗ってこれるわ。」
そう言いながら、般若はカバンをごそごそやって鏡を見せてきた。
「はい、これ。ちょっとは見てごらんよ。」
小さな水色の鏡を渡され覗き込むと、確かに後頭部がおったってる。
「あ、やべえ。」
「でしょ?」
そう言って俺の手から素早く鏡を取って前に向き直った。何でこういつも向き直るんだ?
「おい、」
反応なし。
「おいってば。返事しないとまた椅子蹴るぞ。」
ぐるりっと風を巻き起こすような勢いで般若が振り向いた。
「蹴るな。」
「こっち向けば蹴らないよ。」
まただ。何だ、何でこう時々フリーズしたように俺の顔を見たまんまになるんだ?
「おい、」
「何よ?」
「俺思い出したんだよ、さっきの質問。それでマルボーに怒られたんだけど。」
「ああ、さっきの大声のやつね。」
「マジ?そんなに大声だった。」
「うん。だって質問に答えてた私の声よりずっと大きかったもん。」
「あちゃ、そりゃマズいな。」
「うん、まあね。まあそうでなくても、あんた、もうあっちこっちから目を付けられてると思うけど。」
「何でだよ。」
「まず図体がデカすぎんのよ。何で日本人で高一で185あんのよ?」
「知んねえよ。牛乳が死ぬほど好きだからだろ。」
適当に答えたのに、目が大きくなっている。
「うそ、やっぱ牛乳?効果あるんだね。私も今から飲もう、沢山。」
その素直な反応に思わず笑いが込み上げた。
「何だ、素直なことも言えるんじゃん。」
「は?」
「いや、何か朝からずっと般若みたいだからさ。」
「は、般若?」
「ああ。すげーこえー。何か俺ブルっちゃってその勢いで椅子蹴っちゃうみたいな。」
「蹴るな。」
こいつは面白い。俺は笑った。結構腹の底から。
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