47人が本棚に入れています
本棚に追加
/315ページ
ーエピローグー
ん?あれ?
「夢野さん、昨夜入った患者さんなんだけど、」
「あ、はい。」
師長に呼ばれて慌てて視線を戻した。
「まだペインコントロールが上手く行ってないみたいだから、頻回にチェックお願いね。」
「わかりました。クーリング可、ですよね。」
「うん、OKです。あと患者さんによくアセスメントしてドクターの方にも情報流してあげてくれる?」
「はい、了解です。主治医は…おっと、」
「おっと?」
「いやすみません。」
そう言えば昨日はエースが当直だったのか。聖トマスの看板の一つのうち(整形外科)の医長藤堂芳樹。「外傷の王様」。あれ、でもだったら何でペインコントロールが上手くいってないんだ?
「それが、」
師長が耳打ちしてくる。
「“自然派”の患者さんで。」
「ああ…」
たまにいらっしゃる、出来るだけ“人工的なもの”を使わずに治療を望まれるタイプ。でもなあ、橈骨遠位端(手首)骨折で、相当な疼痛のはずだけど。
「オペも嫌がっておられて。」
「ええっ?でもじゃあ何で入院なんでしょう。」
「それはほら王様マジックよ。」
うわあ、出た、“王様マジック”。にっこり微笑んで「じゃあとりあえず入院して様子を見ますか。それで気が向かれたら手術されるということで」と仰る。ただでさえ麗しい外見でその上医長のオーラまで漂わせられたら、大抵の患者さんは皆自動的に頷いてしまう。いったん入院して頂ければ、あとはわずかな説得で手術へなだれ込むことになる。それを見越して入院時にオペ室は押さえておくので日数のロスもない。
「では明日オペですか。」
「うん、そうなると思う。でもやっぱり諸々気をつけて見てさしあげて。」
「了解です。」
今日はインチャージ(リーダー)業務だから、折を見てお部屋に伺おう。
「悪いね、いつものことで。」
背後から深い声が聞こえてきて一瞬肩がびくついてしまった。
「あ、ごめんごめん。」
クッと笑われている。
「いえ、すみません、こちらこそ。昨晩お忙しかったみたいですね。」
と態勢を整えて答えれば、
「んー?まあいつもの感じ。」
飄々と返される。疲労、いらだち、焦り、そう言ったものはこの医長には無縁なのだろうか?何で当直明けでこう爽やかなんだろう。
「明日オペですかね。」
「ん、だと思う。押さえてあるから。」
でしょうね、ですよね、あなたですもんね。と、あまりにもいつものパターンでちょっと笑えてしまった。
「ところでさ、」
いつもあっという間に立ち去る王様が今日はどうした風の吹き回しか、まだ話し足りないらしい。
「はい?」
「あそこのレジデント(研修医)、夢野さんの知り合い?結構俺睨まれてる気、するんだけど。」
えっ。
慌てて目を上げればアーモンドの瞳とかち合う。だいぶ離れたところで三年目のドクターから何やら説明されている空がジロリとこちらを見ていた。やっぱりさっきの後ろ姿、あれそうだったんだ。あっという間に笑顔になってしまって我ながら焦ってしまった。
「おいっ、上郡、お前聞いてる?」
先輩ドクターの苛立った声がこっちにまで届いてきて思わず首をすくめた。
「すんませんっ。」
「ったく良い度胸してんなあ、一年目のくせに。図体だけじゃなくて態度もデカいとか。」
初日からブツブツ言われている。空らしくて笑えて来る。
「ふうん。」
うわ、まだいたのか。すっかり存在を忘れていた。ギョッとして見上げると、
「付き合ってるとか?っていうか、早くない?あいつ一年目だろ?しかもうち今日からだし。」
と面白そうに訊かれる。
「あ、えーと。」
こうなることはわかっていたはずなのに、何も答えを用意していなかった。空とも相談していない。どうしよう。一人で青くなったり赤くなったりしていたら、
「ま、いいや。上郡だっけ、あのタッパのやつ?しごきがいありそうだよな。何かスポーツでもやってたのかねえ、あの身体。」
「あ、バレーです。」
即答してしまって慌てて口を押える。王様の目が一瞬大きくなって、それから楽しそうに笑い出した。
「やっぱり夢野さん、丸出しだな。愉快愉快。」
え、あの、違うんです、としどろもどろな私を置き去りにして、笑ったまま王様は医局の方へ歩いて行ってしまった。
昼休憩の直前、午前中の締めの記録をしているとPCに影が差した。と同時にミントが香る。
「理沙子、」
「うわっ。」
「シッって。やべえよ。」
レジデント姿の空が人差し指を口に当てている。ああ、本当に来てくれたんだなあ、聖トマスに。どれほど大変でも、空は言ったことは必ず守る。守ってくれる。うっとりして見上げていたら、
「俺言うかも、今日もう。」
早口で言われて何のことか頭がついていけなかった。
「へ?」
「俺たちのこと。」
「えっ?」
「婚約してるって。だから何か言われたりしたらごめんな。」
かみごおりーっ、と件の三年目が大声で呼んでいる。
「あ、マジでやべえ。なんか早速目つけられててさ。じゃ、行くわ。また夜な。」
それだけ言うと空は「すんませんっ」と大股で歩いて行った。笑いをかみ殺しながらその後ろ姿を見送る。
やっぱり空は空だ。頑張れ上郡空。良いドクターになってね。いつだって応援してるよ、私の全部で。
大好き、空。
ー終ー
(→スター特典や今後のお知らせをつぶやき欄にて。是非ご覧下さい)
最初のコメントを投稿しよう!