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うちの会社ではこの忘年会シーズン、二年ほど前から禁止されていた飲み会がようやく解禁された。ただ、二軒目は禁止。一軒目で深酒せず、さっと解散しましょう、という方針だ。こんなご時世ではなくとも職場の飲み会なんてものは若者には嫌われがちで、と言ってもまったくなしというのもさすがにちょっと味気ない、という時流に合っているのだろう。合っているのだろうが、うん。それがちょっと、困るな、というのは、私の都合だ。本当に百パーセント完全に私の都合に過ぎない。
「鈴木さん、結構飲んだ?」
会計を終えてぞろぞろと店を出たところで、大久保くんが声をかけてくれた。同期だけど部署が違うから、今日は全然話せなかった。顔が熱くなる。
「……そんなに飲んでない」
私の声はあまり通らないので、身長差のある大久保くんは腰をかがめてくれる。
「そう? 耳赤いけど」
「そんなに飲んでないよ」
「はいはい」
はいはい、の、言い方が優しい。大きい体で、仕事中は淡々としているのに、こういうときは物腰が柔らかくなるのが、よかった。もっと聞いていたい。はいはい、とか、しょうがないなあ、とか、耳赤いけど大丈夫? とか、もっと聞いてほしい。マスクを取った顔も、もっと見たい。
もう少し飲みたい、と、でも言うことができない。言えたら、若手だけで、ということで二軒目に行って、もっと近い席に座れたかもしれないのに。一年に一回ぐらい、そういうご褒美があっても、いいじゃん。
幹事の先輩のお疲れ様です、の声に合わせてみんなで頭を下げて、解散だ。
「はいはいおしゃべりはやめて解散でーす」
ぐずぐずとしている集団に先輩が注意している。時流に合っている。でも、もう少ししゃべりたい、という気持ちがなくなるわけじゃない。大久保くんを見上げると、行こうか、と促すように目元が細められた。口数は多くないけど、目元が雄弁だ。マスクをするようになって気づいた。私は頷いて、大久保くんの隣に並んで歩き出した。私たちは路線が違うけど、ここから最寄りは一緒だ。
「一軒目で解散なの、しょうがないけどちょっと味気ないね」
大久保くんが言ってくれて、嬉しくなる。
「正直、私ももう少し飲みたいかな」
「鈴木さん、結構お酒好きだよね」
そうなんだけど、でも、好きなのはお酒だけじゃないんだよ。
と、言えたらいいんだけど、言えない。勇気が出ない。やっぱり、二軒目に行きたかった。真意を隠してなしくずしに酒を言い訳に二軒目に行くようなのって、時流に合ってないんだろう。私の気持ちは、ださくて古い。なんだか気分がくたっとして、せめて駅までの道を大久保くんを見上げると、大久保くんも私を見ていた。何? って顔で、目元が緩む。
あ、好き。
「あのね、」
立ち止まって、小さな声で言う。冬の繁華街は、以前ほどではないけど人でうるさくて、私の声は通らない。大久保くんはかがんでくれる。初めて会った時からそうだった。ずっとずっと、好きだった。ずっと何もできなかった。時流のせいとかじゃない。本当は二軒目で一緒にお酒飲めたって、ただの同僚としての別れ際は、いつも寂しかった。
「お酒はいいけど、もう少し、一緒にいたい」
大久保くんの目が驚いたように少し開いて、それからくしゃっと、目尻に皺ができる。
「……俺も」
二軒目に行ってなくて、今ここで二人きりで、よかった。
現金だけど時流に感謝しながら、私は初めて、大久保くんと手を繋いだ。
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