ロブ、旅に立つ。

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 どんなにがんばっても、死ぬようにできている。  彼が僕に残した言葉のなかで、今も口ずさむ言葉だ。彼が何を思って言ったのか、今となっては知るすべもない。しかし、僕はついつい口ずさんでしまう。テーブルを拭くときも、床を箒で掃くときも、眠りにつき、目覚めるときも、意味もなく。  そんな彼も死んだ。息を大きく吸って。もしくは吐いて。外界を見ずに、瞼の裏か、走馬灯の中で死んだ。老衰というのは、眠りとどこが違うのか、わからなかった。二度と目覚めない眠りであるということや、全ての機能が停止するということはわかる。ただ、どこかへ旅立つのか、もしくは何もないのか、それは全くわからない。  僕は彼を、地中深くに葬った。パソコンや、プリンターや、複雑怪奇な機材と共に、砂漠の迷宮に押し込んだ。それらはいつか遺産として、またはロストテクノロジーとして発掘される可能性がある。僕は少し、それを夢見ている。 「やってるのか?」  顔を上げると入口に男が立っていた。無精髭を生やした顔は、浅黒く日焼けしていた。袖のないジーンジャケットに、同じような色のジーンズを穿いている。白いスニーカーは顔と同じように汚れている。嫌な気配がした。不吉を纏っているかのようだった。 「いらっしゃいませ」  それでも僕は誰にでも言うように、言った。 「水と食料が欲しい。あと、酒」 「ここへはお車で?」 「砂漠を突っ切る道路を歩くやつなんかいるのか?」 「一度だけ」僕は頷いた。「遭難者が」 「車だよ」  僕は冷蔵庫へ行き、冷えたミネラルウォーターのボトルを出した。そして、足下にある段ボールの中から常温のミネラルウォーターのボトルを出す。カウンターにそれぞれを置いて、説明する。 「冷たいのが4ドル。常温のが3ドル」 「高いな」 「砂漠ですから」 「もう3時間近く運転してるのに、景色が変わりゃしねえ」 「そんなもんです」 「なんか食うものは?」 「ナッツか、チョコバーか、チーズか、リンゴならあります。あと、バケット。時間をもらえれば、ハンバーガーとフレンチフライくらいなら作れます」 「ここはダイナーじゃなかったのか」 「バーみたいなものです」 「バケットとチーズと、チョコバーでいい」 「お水は?」 「冷たいのを3本」 「お酒はボトルで?」 「ビールはないのか?」 「冷えてるのは7ドル。冷えてないのなら6ドル」 「冷えてるやつをくれ。2本」 「運転手は誰です?」  僕は横に一歩動き、見えない車を男越しに見ようとした。しかし、壁に阻まれて見えない。無理なものは無理だ。透視能力がなければ見えはしない。 「運転手は俺だ。悪いか?」 「ここで買ったと言わないでくれます?」 「もちろんだ」男はニヤけて言った。「俺は何も買ってない」  僕は頷いた。 「ところで、どこへ行くんですか?」 「そんなことより、この店繁盛してんのか? 客はいるのか? 常連とかさ?」  男は両手をカウンターに置いた。それから左手をそのままに、右手を引っ込めた。 「たまに来ます。あなたみたいに。あとは顔馴染みが少し。それと月2回、警察官が寄ってくれます。顔を見にね」 「へえ。前はいつ来たんだ?」 「一昨日。ハンバーガーをコーラで流していきました。ああ、コーラは今、品切れです」 「そりゃ残念だ」 「荷物はなんです?」 「荷物?」 「あなたの車にある荷物です。盗んだ金か、死体といったところですか? あとは絵画とか、宝石とか?」 「クソみたいな冗談はよせよ」 「すみません。クソみたいな冗談しかいえなくて」  僕は両手をカウンターに置いた。この方がよかった。 「はやく、頼んだものくれよ」 「最初から殺す気でしょう。僕を。ジーンズに挟んだ銃で」 「銃?」 「そう」 「頭おかしいのか?」 「両手を頭の後ろにつけて、背中を見せてくださいよ」  男は一歩後退りしようとした。だから、僕は男の左腕を掴んだ。 「おい! 離せよ」 「僕は銃を持っていない。離したら撃たれる」 「狂ってる。銃は持ってるが撃ちはしない」 「じゃあ手を上げてください」  そう言ったかどうか。男は腰に手を回し、やはり銃口を向けてきた。  僕は握った男の手を捻り潰す。出口と入口が間違えられたように、肉と骨と神経がぐにゃりと曲がる感覚が頭に伝わった。  発砲音が鳴り、壁棚にある瓶が割れた。  僕は腕を引き千切り、カウンターに飛び乗り、男の上に足から降りた。男は血飛沫を浴びながら声にもならない声をあげている。森の獣のように。まあ、実際に聞いた事はないが。  僕は銃を拾い上げ、男の頭に撃ち込んだ。獣は去り、砂漠に静けさが戻り、僕は安堵した。 「どんなにがんばっても、死ぬようにできている」  男を担ぎ、店の外に出た。太陽が僕たちを刺す。停めてあった車は、白いSUV車で、これも汚れていた。車輪の跡が微かに南へ伸びている。幸いにもロックはかかっていなかった。後部座席のドアを開け、男をねかせた。息は絶えている。  僕はトランクを開け、男の荷物を確かめる。  ペットボトルや新聞紙、スナック菓子のゴミの他に大きなアタッシュケースがひとつ、乗せられていた。僕はそれを持って、店の中へ戻った。カウンターの内側へ回り、冷蔵庫の前に置いた。それから僕は、また車へ戻った。男のジーンズのポケットからキーを見つけ出し、運転席に移った。エンジンをかけると、ガソリンが半分ほど残っているのを確認した。車を店の裏側へ停めると、鍵をかけ、また店に戻る。バケツにミネラルウォーターを入れ、モップを浸し、床を拭いていった。血が伸び、または床に染み込み、嫌な臭いがした。彼の死のにおいとはまた違うものだった。店の出入口から、車があった場所へと点々と続く、砂の上の血痕も箒で消していった。モップを貴重な水で洗い、バケツも洗った。ここまで15分。上出来だ。  僕はもう一度店に戻り、ありったけのタオルをボトルが入っている段ボールに入れ、抱える。ドアにクローズドの札をかけ、車に乗せた。死体は動いていない。生きていないようで、安心した。  捨てる場所は決まっていた。ここから車で10分走ったところにある砂漠の一等地のようなところで、人間は誰も来なかった。もし行き着いたのなら死はすぐそこだった。  エンジンをかける。車はガンガンに生きている。運転手は死に、僕は生きているかどうかわからない。  アクセルを踏み、ハンドルを回した。砂を押し潰しながら進む音が聞こえる。 「どんなに、がんばっても」僕は強弱をつけて言ってみた。「死ぬように、できている」  汚れた服を洗い、体を拭いてから、僕はアタッシュケースを地下室にある作業場に持っていった。ケースの中身はなんだろうかと、死体を捨てるときも気になってムズムズした。早く解決したい代物であり、一緒に捨てたほうがよかったのではないかと考えるくらい不気味でもあった。発売前の試供品のような、握らされたお釣りのような。しかし、好奇心がその他全てに勝った。知識や経験をできるだけ得るように、僕はできているのかもしれない。  ケースには鍵がかかっていたが、丁寧に開けるのはややこしかった。力を込めると壊れながらも開いた。 「動物」  その動物は寝ていた。もしくは彼と同じ理由で死んでいた。しかし、死のにおいはなく、オレンジ色の短毛には艶があった。触るとざわりとした、軽い痛みのような触覚を得た。  僕はそれを抱きかかえ、作業台の上に置いた。尻尾を触り、持ち上げる。お腹をなぞり、三角の耳を摘み、黒い鼻を軽く押す。  首の後ろに触れると、毛の中に硬い場所があるのを発見した。毛を跳ね除け、確認すると小さな丸いポートがあった。 「嘘だ」  自分の右後ろの腰を人差し指で確認した。僕の充電ポートと同じ形状だ。  冷蔵庫の形をした充電器から線を引っ張ってきて、動物のポートに差し込んでみた。何も起きないが、充電器は低く唸った。表示されているエメラルドグリーンの数字が淡く点滅している。一分後には246521が246520になった。  こいつもロボットなんだ。でも、なんで充電できるんだろう。彼が作ったのだろうか。だとしたら、どこに行ってたのだろう。なぜあの男が持ち、どこに向かっていたのだろう。  自分なりに解析してみるが、わからなかった。  5分経つと動物の耳が僅かに動き、皮膚に温かみが戻ってきた。 「戻ってきた」  僕は思ったことを口に出してみた。この動物が以前に生きていたと、なぜか僕は容易く想像ができた。  瞼の下で眼が動いている。夢を見ているのか、もうすぐ起きてしまうのか。  僕は作業椅子に腰掛けた。どっと疲れが出てきて、僕も充電したかった。とはいえ、一年に一回充電すれば充分なくらいの省エネ設計で、この疲れが本物なのかどうかわからない。この穴がなければ、彼から教えられていなければ、自分がロボットだとは思わなかっただろう。そもそも彼がなぜ僕を作ったのか、知らない。僕は20代の男の姿で作られ、彼の店で3年一緒に働いた。店は砂漠を突っ切る道路沿いにある。昔はこのあたりに金脈があり栄えていたらしいが、それは今は昔。彼には妻がいて、息子がいて、そして彼らは、ここにはいなかった。寂しさから僕を作ったのか、それとも趣味なのか、労働力ほしさなのか。結局、聞かなかった。怖くて聞けなかったというのもある。なぜ怖いのかはわからない。  彼はいろんなことを教えてくれた。モップの使い方、商品の発注方法、酔っ払いのあしらい方、銃の扱い、フレンチフライを揚げる温度、力の制御。  僕よりも長身で、細身の短髪の白髪頭。背筋が伸びた彼の姿。彼曰く、無駄に健康で風邪一つひいたことがない。 「どんなにがんばっても、死ぬようにできている」  僕は思い出しながら呟いた。  いつの間にか俯いていた顔を上げると、動物も目を開け、むくりと立ち上がった。  そうだ。犬だ。この動物は犬だ。一度か二度、見たことがある。  犬はぐるりと回転し、それから僕を見た。黒い瞳でじっと見つめ、しっぽを振ってくれた。 「振ってくれた」  僕は思ったまま、呟いた。  犬は甘えるような声で鳴き、僕に寄ってきた。優しく抱きしめると、熱を感じた。 「君はどこから来た」  聞いてみるが、もちろん教えてくれない。  ロブ。彼は僕をそう呼んだ。じゃあ、僕は君をなんて呼べばいいだろう。オレンジ色の毛をもう一度撫でる。タム。タムがいい。 「君はタムだ」 「ワン!」 「よし、タム」 「ワン!」  僕はタムの顔をくしゃくしゃに撫で、抱き寄せた。 「じゃあ、タム。君はまだ充電しておいてくれ」  僕はそう伝えると、作業場を出て、同じ地下にある自室に向かった。クローゼットを開け、彼から貰ったボストンバッグにアンダーウェアやシャツやパンツを入れていく。  彼はこのボストンバッグを僕に投げてよこした。お前は自由なんだぞ、と言いいながら。ここにとどまる必要はなく、外に出てもいい。自殺をしてもいい。何に縛られることもない。そう言った。僕は頷いたが、よくわからなかった。そんな僕を見て、彼は浅くため息を吐いていた。  チャックを締めると、思い出はメモリの奥底に揺れながら落ちていった。一度、彼に聞いたことがある。僕はロボットなのに、覚えていないこともあるし、思い出せないこともある。なぜ忘れるのか、と。彼は答えた。ロボットだからという理由は意味がない。人間だから、記憶を無くすのか? ロボットだから記憶は無くさないのか? 馬鹿馬鹿しい。俺はこう考えている。人間は記憶なんて無くしていない。シュレッダーにかけた物語を、さらにバラバラにして、脳の引き出しに入れているだけだ。あるのに引き出せないだけだ。ロブ、お前も同じだ。引き出せないだけだ。お前には、全てがある。そして、全てを思い出す必要もない。  僕は作業場に戻り、タムの首元から線を抜いた。床に下ろすと、タムは尻尾を振って四つん這いに座った。  僕は充電器のドアを開け、ポータブルバッテリーをあるだけ出した。折れ曲がったアタッシュケースを可能な限り元に戻し、そこに入れていった。30個もあれば100年は動かなくなることはないだろう。 「どんなにがんばっても、死ぬようにできている」  確かにそうだ。僕も動かなくなるだろう。いずれではなく1秒先の未来に事故や故障で爆発炎上する可能性もある。充電器が止まることも考えられる。永遠はないんだ。 「タム、行こう」  僕が歩くと、タムは付いてきた。利口な犬だった。  外はまだ日が落ちきっていなかった。車に乗ると西日が眩く、目に入った。助手席のドアを開けると、タムが乗った。  そういえば、人を殺したのは初めてだ。  僕は気付きながら、エンジンをかけた。  そこに感情的なものはなかった。自分が問題に立ち向かい、無事に対処できたという事実があるだけだった。 「帰りたい?」  僕はタムに問いかけた。タムは黙っている。 「向かいたい?」 「ワン」  僕は頷いた。  北に向かうことにする。男が来た南には行かない。  今更ながら、男にいろいろ聞きたかったと思う。でも、難しかった。 「どんなにがんばっても、死ぬようにできている」  なぜ彼はこんな言葉を残したのか。僕は今からそれを探しに旅に立つ。
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