もう少しだけヤッてみよう

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「すみません、由里(ゆり)先輩。今日限りで辞めさせていただきます」  デスクに辞表を置く。  足を組み、新聞を読んでいた先輩はそっと新聞から目を上げた。 「マ?」 「はい、マジです。給料がよかったから入ったのですが、もう駄目です。無理です。足を洗わせていただきます」  頭を下げ、出ていこうとした私を、先輩は引き留めた。 「ちょっと待って! もう少しだけ考えてみてもいいんじゃない稲穂(いなほ)ちゃん? ほら! 私たち一緒に温泉入った仲じゃない! ただならぬ関係でしょ? 私と仕事どっちが大事なの!」  まるで彼氏に捨てられる寸前の彼女だ。  面倒臭さにため息がでる。 「……新人歓迎会の旅行で入っただけでただならぬ関係にはなりません。それから先輩と仕事のどっちが大事かなんてわかりきっています」  私はにっこりと微笑んだ。  先輩は安堵の笑みを浮かべる。 「そ、そうよね、私の方が大事よね……それじゃあこの辞表はいらな――」  先輩が破ろうとした辞表を、私は奪った。  今度はデスクにたたきつける。 「仕事が大事に決まってるじゃないですか。生活していかなきゃいけないんですよ? 出会って三か月の上司を大切に思えるほど私は人間出来てません。それでは、今度こそ失礼して――」  背を向けて歩き出した私の足首をがしっと掴む先輩。 「いやああ! やめないで稲穂ちゃん! あなたが辞めたらこの会社の社員は私だけになってしまうのよ!」 「知りませんよそんなの。人望のない由里先輩が悪いんです」 「まだ、まだ先輩って呼んでくれてるじゃない!」 「それはあなたが強要したんです。呼ばないとキスするって脅してきたんでしょうが!」  新人歓迎会の夜。  わざわざ私のベッドにもぐりこんできて延々駄々をこねた末の暴挙だった。 許すまじ。 「わ、わかった、わかったわ! じゃあ、先輩呼びはもうしなくていい! しなくていいから辞めないで稲穂ちゃん!」  涙目で見上げてくる三十路間近の上司って……。 「……由里社長」 「ああん! 他人行儀! 冷たい感じがいやああ!」  絶叫を無視して私は続ける。 「あの、申し上げにくいのですが、辞めたい理由は新しいことにチャレンジしたいだけじゃないんです」 「……マ?」 「マジです。面倒なので、もうここで辞表の内容を確認してください」  私は辞表の封を開け、中身を由里社長に読ませた。  社長はふんふんと読み込んで、立ち上がった。 「えっと……つまり、仕事の内容に不満があるってこと?」 「いえそういうわけでは――」  と、首を振りかけて。  延々とゴミ掃除の後始末をさせられる日々が脳裏をよぎる。 「……あ、やっぱりそうですね。やりがいを感じないんです」 「きっぱり! 稲穂ちゃんすごいきっぱり言うわ! で、でも私、そんな稲穂ちゃんのことが……好・き」  ぽっと顔をあからめてくねくね腰を振る由里社長。  うわぁ……。  ゴミを見るような目を向けると、「ああん! もっと見て!」などと苦悶し始めた。  きっつ……昼ごはんのざるそば吐きそう、おえ。 「あの、体調悪いんで仕事辞めていいですか? というかもう見てらんないんで辞めます」  今度こそ出ていこうとすると、我に返った由里社長が私の腰に抱き着いた。 「嘘嘘嘘! 嘘だからまって! わかった! わかったから! やりがいある仕事させるから! ほ、ほら、作業着に着替えて! ちょうどぴったりの現場があるの!」  社長はまくし立てていつもの清掃用作業着を渡してきた。  ――郷見(さとみ)特殊清掃――  作業着に縫い込まれている社名ロゴは目に優しくない虹色。 「社長。いつ見ても死ぬほどダサいので変えた方がいいですよ? このロゴ」 「おだまり! 行くわよ稲穂ちゃん! 辞めさせないからね!」 「ええ……」    現場は廃墟同然のマンションだった。  そこかしこにゴミが散乱し、ひどいありさまだ。  由里社長はとある部屋の前で足を止めた。  掃除用の装備の点呼をして、私たちはうなずきあう。 「じゃ、行くよ稲穂ちゃん」 「いつでもどうぞ由里社長。ですが、慎重にお願いします」 「わかってるわかってるう!」  インターホンを押すと、出てきたのは長身でサングラスのいかつい男だった。  酒瓶をぐびぐびあおっている。 「ういー、ひっく……あんたら何の用で? 俺らは忙しいんですけどねぇ」  男は恫喝するように由里社長と私を見下ろした。 「忙しい人は平日の昼間のこんな場所で酒に酔っていないと思いますが……」 「ああ? てめえ、今なんて言った?」 「まあまあ、すみませんね、この子思ったこときっぱり言っちゃう子なんで……でもそんなところが稲穂ちゃんの可愛いところなんだけどね!」  抱き着かれて私は眉を顰める。 「社長、加齢臭がきついです……」 「え、嘘! 私まだおばさんじゃないわよ! そんな臭い……え? うそ、よね……」  服をすんすんする社長を私は押し退ける。  男は私たちのやりとりに毒気を抜かれたようだった。 「なんなんだてめーら、その恰好清掃員か? そんなの頼んだ覚えはねーぞ? 帰ってくれ。ちっ飲み直しだぜまったく……」  扉を閉めようとした男を社長は引き留めた。 「ああ、すみませんねぇ。私たち郷見清掃と申します。依頼でゴミ掃除を頼まれたんです~」 「ごみ掃除ぃ?……へ、お前の目は節穴かぁ? こんな汚ねえ場所を掃除したって意味なんてねーだろが! ぎゃははは!」  愉快そうに笑う男。  社長は柔和な笑みを崩さない。 「そうですよねぇ。こんな場所のゴミ片づけても仕方ないですよね~。でもまあ、依頼なんで、掃除させていただきますね」 社長のにっこりの笑みがにやりに変わる。 「なにいってやが――」  由里社長は相手の言葉が終わる前に掃除道具を取り出して一振りした。  男の喉から鮮血が飛び散る。 「――へ? あ、なん……」  何が起こったかもわからない様子で男の頭が落ちた。  ついで膝から崩れるように倒れる体。割れた酒瓶からこぼれた酒が、床を濡らす赤と混じった。 「ふう、まずは一人」  社長が掃除道具――お掃除用解体包丁――を拭ってすがすがしく呟く。  酒瓶の割れる音に気付いたのだろう、部屋の奥からどたどたと足音が近づいてくる。  面倒なことになりそうだ。  私は由里社長を睨んだ。 「慎重にやってくださいって、言いましたよね?」 「やーん、怒らないでい・な・ほちゃん?」  三十間近の上司の投げキッス。  ……きっついなぁ。 「これが終わり次第辞めさせていただきますので、覚悟しておいてください」 「そ、そんなぁ!」    部屋の中にはよくわからない機械類が所狭しと並んでいた。  そのどれにも鮮血がこれでもかと飛び散っている。部屋のそこかしこには頭を落とされた男の遺体が積み重なっていた。  全部、由里社長がやったのだ。私は毎度のごとく部屋と死体の片づけ。 「それで……これのどこにやりがいがあったんですか? いつも通り後片付けですよ私? どこが……」 「え? なあに稲穂ちゃん」  社長は血で汚れた掃除道具――お掃除用解体包丁――を活き活きと拭いていた。 「あ、ああ! そうだそうだ! ヤりがいでしょ! 忘れてないわよ! はい!」  と、社長は足元の遺体を蹴った。 「げはっ!? な、なんだ!? こ、これは!」  遺体だと思ったら生きている人間だった。  そうか、社長がやったら頭が落ちているのだから、頭と体がくっついているのは生きていてもおかしくない……。なんて冷静に思いながら、私は驚愕に目を見開いた。 「え? 生かしておいたんですか? 由里社長が?? 掃除対象は喜々として抹殺するバーサーカーの化身のような社長が? ……偽物ですか?」 「稲穂ちゃんの私に対する偏見がひどすぎるんだけど……」 「それはお掃除中の自分を見ていないから言えるんです」  同業者を見たことがないからわからないけど、社長のやり方は引くレベルだ。複数人の首を笑顔で切り落としまくる姿は鬼神。 「マ? うそん。私ってそんな感じなの? ええ……」 「で、そこの足元のはなんで生かしておいたんですか?」  尋ねると社長はその男を立たせた。 「や、やめろ! はなせ! 俺はな、選ばれた人間なんだよ! 金持ちのジジババから金をだまして何が悪い! 死にぞこないのおいぼれが持つより、俺みたいな優秀な人間が使った方がいいに決まってんだろ! 」  とても自分勝手な理屈を述べている……依頼人に興味はないけど、これは恨みを買っていることだろう。  社長も残念な生き物を見る目で男を見ていた。 「まあ、自分で言ったようなもんだけど。これ、最近のオレオレ詐欺グループのリーダーなの。この部屋の機械は全部詐欺の為の道具」 「なるほど……」  つまりここは詐欺グループの隠れ家だったわけだ。 「おい! てめーら! 俺の話を聞けや! こんな血なまぐさいところで談笑とか神経いかれてんのか、おいこら! 俺様を離しやがれ!」 「うるさい黙れ。……さ、稲穂ちゃん。組織のボスって殺りがいあるでしょ? 一思いにサクッとやっちゃって! それで辞めないでいてくれると嬉しいな!」  社長はじたばた暴れる男の口元に素早くガムテープを張りつけ、体を縄で縛り付けながら笑顔を浮かべた。 「……一つ聞いてもいいですか? なんで今まで私に殺しをさせなかったんです?」  ここ数か月、殺し屋として働いていくつもりだった私はその存在意義を社長にことごとく奪われ続けてきた。だからこその素朴な疑問だ。  社長は神妙な顔で言った。 「え? だって稲穂ちゃんに頼れる先輩って姿を見せたいじゃない!」 「てめーら、こんなことしてただで――」  男の口元を押さえていたガムテープがはがれた瞬間、私は男の脳天にお掃除用解体包丁を突き刺し永遠に黙らせた。 「すみません社長……やっぱり辞めさせていただきます」 「なんでぇ!? なんでなんでどうしてどうして辞めないでやめないでやめないでよいなほちゃあああん! やだやだやだやだ!」  由里社長は血でべったりの畳の上でじたばたと暴れた。  三十路間近のおばさんのじたばた……うわぁ……。 「え、何その冷たい目は……ああ、すっっごくいい! もっとさげすんで!」 「この部屋掃除したら辞めますね。今までありがとうございました由里社長」 「捨てないでええ!」  私が部屋の遺体と血痕の掃除を始めても、社長はずっとじたばたヤダヤダ駄々をこね続けた。血痕がこびりつくんですが…… 「大人しくしてください三十路でしょ!」   「よし……」  一月後、私はビジネススーツに身を包み外に繰り出していた。  今の私はどこからどう見ても普通の会社員だ。  元殺し屋なんて誰が見ても思わないだろう。  今日こそ面接に受かって会社勤め人になってやる!  ――――。 「えー、ではあなたのわが社への志望動機はなんですか?」 「はい。御社は24時間365日やりがいを与えると企業説明欄に載っていたので、希望しました! 私は前職で殺し屋関係の仕事をしていました。給料がよかったのでやりごたえのある仕事だと思っていたのですが、社長が女の子を釣るためのただの餌で――」 「……結構です。おかえりください」  1分で今日の面接が終わった私はふらふらと歩道を歩く。 「これで23……いや、24? 私落ち過ぎでは……このままでは社長の歳と同じ数に……」  絶望しているとスマホが振動する。  知らない電話番号からだった。  出るかどうか迷ったが、もしかして採用を考え直した会社からかもしれないと思うと自然と通話ボタンを押していた。 「も、もしもし?」 『いなほちゃあああん、かえってきてよおおお、さびしいよおおおう! うえええん!』  私は通話を即終了した。  ……おかしい。  着信拒否するたびに新しい番号になってかけてくる……。  三十路間近のおばさんが『うええん!』もおかしい。  何もかも狂ってる。  再びスマホの画面に知らない番号が……。 「……もしもし」  震える声で出ると。 『お願いします、帰ってきてください稲穂さま。待遇も見直しますし、稲穂さまが殺りがいを見つけられるように弊社も努力する所存でございます!』  先ほどの取り乱しようとは打って変わって、由里社長が別人のように告げた。  こんな普通の会社員にすらなれない私にどうして社長は必死になれるのか。  私はもう何が何やら、つい愚痴をこぼす。 「はぁ……社長、私は社会に必要のない人間なんですかね?」 『なに言ってるのよ!! 必要に決まってるじゃない! 少なくとも私、稲穂ちゃんが一緒ならなんでもやれるから! だから、もう一度郷見特殊清掃で働いてください!』  まるでプロポーズだ。  でも、必要とされていると分かって安心してしまった自分がいる。  悔しい。 「……わかりました。でも就活はつづけます。もし働ける会社が見つかったらそこに転職するつもりなので」 『ええ、そんなこと言わずに~、ずっと私の会社で働いてよ~稲穂ちゃ~ん』  電話越しの社長の声が少し調子に乗ってきた。  早計だったかもしれない。でもまあ……。 「それは社長の頑張り次第ですかね……私がやりがいを感じられるように、努力してください。ね、社長――」 「稲穂ちゃん! 愛してるうう! ストーカーしててよかった!」 「!? ちょ、社長いつから……抱きつかないでください! 殺りますよ」 「ああん、稲穂ちゃんに殺されるなら本望よ! さあ、ヤッてちょうだい!」 「嘘です。気持ち悪いんで近づかないでください。会社に戻りますよ社長」  私の郷見特殊清掃での日々はもう少しだけ続く。 「冷たい! でも、そんな稲穂ちゃんもス・テ・キ」  ……やっぱりすぐ辞めたい。
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