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楽させてやっからな
人を笑わせるのが好きだった。幼い頃はテレビで見る芸人の真似をして家族のアイドルだったはずだ。お調子者と言ってしまえば、それまでだが幼い頃から人を笑わせることに生き甲斐を感じていた。
母も兄も祖母も祖父も調子よくふざける俺を見て笑ってくれた。ただ、酒浸りの父だけは常に下らないと吐き捨てていた。父は酒乱だ。祖母や祖父には手をあげないが、母や兄、それに俺には事あるごとに拳を飛ばしてきた。
俺はそんな父が嫌いだった。
父は大工だ。口数は少く何を考えているかも分からない。たまに家族が夕飯をとる横で設計図を描いていたが、むっつりと家族の横で仕事を始める父に俺たちは苦い顔をしていた。
俺が学校にあがってからは、ただ勉強しろの一点張りだった。まるで予定調和のように俺は勉強をしなかった。宿題すらしなかった。早過ぎた反抗期だったのだろう。酒に酔いながら壊れたピアノのように同じ言葉を吐き捨てる父に苛ついていた。
もちろん、学校ではすぐに問題児扱いになり、家族は皆、俺に呆れ果てた。
「どうして、そんなに勉強がイヤなの?」
「なんかやる気になんない」
母の説教ものらりくらりとかわしていたが、とうとう担任がアポなしで家庭訪問に来た。対応したのは母で、ただ平謝りをしていた。
次の日の朝、酒が抜けた父は寝ぼけ眼の俺を何も言わず殴った。何度も何度も。口の中に血の味がした。気が済むまで殴ってから、そのまま仕事に行った。
俺は俺で腹が立ったものだから、学校に行くふりをして家出した。低学年の俺の家出はそこそこ大きな騒ぎになり、夕方には発見されて連れ戻されたが、その日以来、父は家族に暴力を振るわなくなった。
父は変わったが、俺は変わることなく勉強をせずにテレビの芸人の真似ばかりしていた。母を泣かせていたのは、父だけじゃない。俺もだ。
「芸人でもなるつもりなの!?」
中学の頃だろう。母からの説教にそんな言葉が含まれた。説教されながら思ったんだ。それもいいなと。
まず芸人になるには、どうすればいいか。何かできるとしても高校卒業のあとの話だと、練習がてらにクラスで相方を見つけては漫才の真似事をして、文化祭などでは率先してステージに立った。
そこそこに受けたものだから質が悪かったのだろう。
高校卒業後、俺は養成所に行くと家族に宣言したのだ。高ニの夏だった。
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