第一章 聖なる夜の贈り物

1/2
前へ
/13ページ
次へ

第一章 聖なる夜の贈り物

 時は遡り十数分前。 「……もう、三年か」  壁も床も天井も真っ白な部屋。同じく真っ白なベッドに横たわる夏樹(なつき)の妻――椿(つばき)の傍。夏樹は来客用の丸椅子に腰掛けカレンダーを眺めていた。  薬指に指輪を輝かせる左手の中には所々小さな皺のついた一枚の紙切れ。『尊厳死申請書』と一番上に大きく書かれたその紙には、尊厳死に関する説明やそれに纏わる法的な文言が長々と続き、最後には医療担当者用と患者親族用の二つの記入欄が設置されている。  内、医療担当者用の欄については担当医名とその記入日――『2018年12月24日』が掠れた文字で埋まっている一方で、患者親族用の欄は空白のままになっていた。  静かな部屋にノックの音が響く。  夏樹が振り返るのと共にドアが音を立てて開く。  そうしてドアの向こうから顔を出したのは一人の若い女性――海美(みみ)。彼女は夏樹と目が合うや否や驚いたように目を丸めた後、少し淋しげな微笑みを浮かべてみせた。 「ナツ兄、来てたんだ」  海美が室内に入り、入り口傍に置いてあったポールハンガーにコートを掛ける。  夏樹は「ああ」と暗い声で返すだけ返してその視線をベッドの方へ向けた。  海美もまた、そんな夏樹の声色を写したような面持ちでベッド傍に歩み寄り、彼の横に置いてあったもう一つの椅子に腰を掛ける。  そして、夏樹の手元にあった紙を見て。その目を逸らした。 「もう、三年だね」 「だな」 「それ、書くの?」  夏樹は黙り込む。海美はそんな彼を咎めることもなく、ベッドの中で眠る椿の顔に目を向ける。海美の瞳に映った椿の顔は酷く(やつ)れてはいるものの海美に似ていた。 「――お姉ちゃん、治る見込みないってさ」  天井を仰ぎ、苦笑混じりに海美は呟く。 「今日も訊いてきた。ここに来るたびに訊いてる。けど、今日もいつもと変わらない返事だった」 「そりゃそうだろ。なんせ脳の大部分をやられた。生きてるだけで奇跡だ」 「ははっ、そだね……知ってる」  海美の目がゆっくりと動く。捉えたのは彼女の横に置いてあった小棚の上の花瓶。彼女はそこに活けられた花の緑の葉を撫で始める。 「お姉ちゃんが昔言ってた」 「何を」 「植物も、痛み感じるんだってね」 「……らしいな」 「それでね、こうとも言ってた」  海美の植物を撫でる手が止まる。 「痛くても何もできないって、辛いだろうねって」  夏樹は唇を固く結び、顔を顰める。握りしめた左手が申請書に大きな皺を増やした。  海美は花瓶の花の葉を眺めたまま、それ以上の言葉は発さなかった。  静まり返った部屋に再び『声』がしたのはそれから数分後のことだった。 『贈り物を』  突然、部屋中に澄んだ女声が響く。 「え、今」  海美が驚き周囲を見回す。  そんな義妹の隣、夏樹は、  外からか?  と冷静に病室の入り口に目を向けた。その時だった。  病室の中央に眩い光と共に一つの人影が顕現した。 「――うっ!?」 「きゃっ!?」  夏樹達が腕や手で目を覆う中、弱まっていく光。  そして光の強度が穏やかに落ち着いた頃、 「初めまして。迷える仔羊達よ」  先の美声がもう一度響いた。  恐る恐る腕と手をどかす夏樹達。そうして彼らの目に入ってきたのは、大きな銀色の蝋燭を両手の上に乗せた金髪白翼の女天使であった。 「私はサリエル。大いなる主の使い。この聖なる夜、迷える仔羊の魂の嘆きに導かれ、参上致しました」  * * *
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加