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鈍色の虹
勢いとめどなく流れ出てしまったそれを見て、慌てて蛇口をきつく閉める。飛び散った何滴もの粒がカラの水槽の底から跳ね返り、スーツに滲んで焦げ残った。鏡の目線を無視したままに自分の成れの果てを見つめてみる。明らかにネジが緩い感触だった。きっと誰の細工でもないと思う。いつもより不注意さに任せた力加減と、何度も捻られたその経験が重なった。
「もう戻ってやり直すことはできない」
恥も晒して座り込む。冗句が浮かぶ余裕はない。
もう何度も奥に押し込めようとして収まってくれずにそのまま横たえていた過去の記憶は、同時にフラッシュバックした。
あの時もそう。余裕から名前をそのまま借りた慢心が始まり。
たとえ今どうなってもこの後エピソードはいくらでも二人で書いて足して、最初に書いたページの文体はおろか内容もどうであったか分からなくなるのだと本気で思っていた。
実際にその瞬間から言葉は紡がれ、すぐにインクが途切れ、必死な筆圧の跡だけになった。
---ないって言うから、ですよ?
グレーのジャケットを着たまま作業したせいでやたらと目立ったその染みは、色んな言い訳を許さない。
子どもたちの笑い声が教室に響き渡る。
メダカの住処の掃除をしている最中で、僕はみずからがどんな人間かを改めて思い知った。
焦っていて精神に余裕がない時ほど行動のブレーキを踏むタイプとアクセルを踏むタイプがいるとしたら、間違いなく後者だ。日本人には2割以下しかいない珍しいタイプだそうだ。自己啓発を促すWEBの無料自己診断テストにも書いてあった(「自分を知る 診断」と検索したときに出てきた。塾の講師にしてはなんと短絡的な発想か)
1学期定期テスト真っ只中1日目の午後2時15分。
まさに佳境を迎えている個別指導学習塾にも関わらず、それは素知らぬ顔で優雅に泳ぐシロメダカ様の水槽を掃除しようと自習にきた生徒達3名と話になったことがことの発端である。
洗うのは当たり前のように、28歳若くして教室長のこの僕担当。
威厳なんてあったものではない。
---あの時もそうだったな
グレーチェックの襟袖に滲んだ模様は、渇きを待たずに赤を浮かべた。
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