ステイゴールドーアクアリウム

3/3
前へ
/21ページ
次へ
 ぼくは最後のおかずを口に入れ、ランチボックスのフタを閉めながら勇気くんへ顔を向けた。 「うん?」 「弟? 妹? ……結局どっち?」 「あー……」  ぼくのお母さんに赤ちゃんができたことは、勇気くんにも話していた。やっぱり嬉しかったから、クリスマスに会ったときにすぐに話した。  年末にうちで宴会するとなったとき、次郎さんにも話した。小林先生や、行田のおじいちゃんとおばあちゃん、川淵のおじさんのところにも。  一清さんの提案で、ぼくから伝えさせてもらった。 「お母さん……はっきりとは教えてくれなかったんだ。でも、お兄さんたちは男の子じゃないかって言ってる。ぼくとお兄ちゃんは、女の子希望なんだけど」 「あとのお楽しみってやつか。にしても、びっくりだよな。兄ちゃんが六人もいるなんて」 「うん……そうだよね」  五人もお兄さんができると聞かされたとき、ぼくもすごくびっくりした。しかも、初めて会う日に言われたから、そのあとはどんな話をしたか、いまだに思い出せない。  それにしても、その「兄ちゃん」の中にぼくもいるんだと思うと、不思議で、嬉しくて、照れくさくて、どういう顔をしていいのかわからなくなる。 「ただね、名前はもう決めてるんだって」  なになにと、勇気くんが身を乗り出した。  ぼくは左の手のひらに右の人差し指でその名をなぞった。 「虹に歩くって書くんだ」 「虹? 珍しいな」  勇気くんもテーブルに書いてみている。 「それで『なゆむ』と読むんだって」 「数字に関するものもちゃんとつくんだ。七の『な』?」 「それは篠原さんちの伝統だからね。で、歩くっていう字はお父さんの名前なんだけど……。行田のお父さん。あゆむっていうの」  ぼくが行田の名字を口にすると、勇気くんの表情がちょっと堅くなった。 「お父さんが、篠原のお義父さんとお母さんを引き合わせてくれたから、どうしてもつけたかったって、お母さんが言ってた」 「うん」 「篠原の──」  そこでぼくは言葉を切った。  テーブルに肘を乗せ、聞く態勢を作っていた勇気くんが、あれ? という顔をした。 「どうしてやめんの」 「なんか、あんまりいい話じゃないかもって」 「いいのも悪いのも、お前に関することなら、なんでも聞きたいよ。おれは」 「うん……」 「でも、無理には聞かない。お前がつらいならやめてもいいし」  ぼくは首を横に振った。  よし、と頷き、勇気くんはぼくの頭を撫でた。 「篠原のお義父さん、次郎さんのことでお父さんに会いに行ったことがあるらしいんだ。でも、そのときはお母さんに会えなくて」 「うん」 「お父さんのお通夜で初めて会って、それから何回か食事に行って……なんだけど。ぼく、お母さんがお父さんのことで立ち直れたのは、お母さんの強さだとずっと思ってた。でもほんとは、篠原のお義父さんが元気づけてくれてたお陰なんだって、このあいだわかったんだ。そしたら急に、篠原のお義父さんに会いたくなっちゃった。……これって、お父さん怒らないよね?」  すぐになにか返してくれると思った勇気くんが、その持ち前の太陽を翳らせ、黙ってしまった。  そんなに深刻な顔をされると思ってなくて、ぼくはすごく焦った。ごめんねと慌てて謝る。 「いや……。おれのほうこそ、なんにも言えなくなってごめん。おれは、人夢みたいに身近な人を亡くしたことないし……そんなやつがなに言っても逆効果かなと思った。なんでも聞きたいとか言っときながら、気の利いたこと言えなくて、ほんとごめん」 「ううん。変なこと言っちゃったぼくが悪いんだから」 「変なことじゃないって」  そこは力強く言って、勇気くんは真っ直ぐにぼくを見た。 「人夢が幸せなことがお父さんの幸せだってこと。おれ、これだけは絶対だと思うんだ」  うんと、ぼくも固く頷いて、勇気くんを見返した。  勇気くんらしい心遣いと、たしかなまなざしに胸がきゅっとなった。 「さて、と。そろそろ行こっか」  勇気くんが立ち上がり、カバンを肩にかける。  ぼくは急いで、テーブルへ広げていたものをリュックにしまい、勇気くんのとなりを歩いた。  きょうのメインイベントであるイルカショーの時間までお土産屋さんを見て回った。  勇気くんが、お弁当のお礼だと言って、白イルカのストラップを買ってくれた。そんなのいいのにって断ろうと思ったけど、携帯にストラップがないのはやっぱりさみしいから、素直にありがとうと受け取った。  イルカショーは相変わらずかっこよかった。大きいのも小さめなのも、ビュンビュンジャンプしてクルクル回っていた。イルカの背びれにつかまって人が乗ったりもする。  この水族館には家族で来たことも何度かあって、イルカショーは必ず観て帰っていた。でも、一度だけ、なにかの理由で観れなくなって、楽しみにしていたぼくはわんわん泣いたんだ。  プールに目をやったままぼくは首をひねった。  わんわん泣くぼくを宥めているお父さんのとなりには、お母さんじゃないだれかがいる。  ……そうだ。あれはいつのことだろう。それとも、水族館へ行くのが楽しみで見た夢なのかな。  頭を、ちょっとよそへやっていたら、不意に話しかけられた。  変な声が出た。勇気くんが不審げにぼくを見ている。ぼくは、なんでもないと手を振って、目の前のショーへ顔を戻した。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

65人が本棚に入れています
本棚に追加