ー春の夜のできごと

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 白のワイシャツの上に真っ青なカーディガンを羽織って、黒と紺のシンプルチェックのズボンをロールアップしている。  お兄ちゃんはだぼっとした格好をよくしているけど、それとは対照的にあの人はしゅっとしている。  しかも、なかなかのイケメンだ。頬にホクロがある。  首をひねっていたら、とうとうその人がぼくの前にしゃがんだ。  限界まで目を細めている。 「人夢くん。久しぶり。まさかこんなところで会うとは」  ぼくは声を聞いてあっと口を開けた。 「え。いま気づいたの」 「だって髪が……」 「ああ、そっか。あれから会ってないもんな。あのあと学校で重役任されちゃって」  髪色が違うだけでこんなにも印象が変わるものなのか。  お兄ちゃんの幼なじみの伊藤さんは、自分の髪をちらっと見たあと、ぼくの周りに目をやった。 「豪は一緒じゃないの?」 「あ……えーと」  少し悩んでから、ぼくはお兄ちゃんの消えたほうを指さした。 「あっちに……」 「悟られたか」 「え?」 「いやいや。……あ、人夢くんも夜のために?」  伊藤さんが、青いシートに視線を落とした。  ぼくは苦笑いで、そうですと頷いた。 「豪が来るってのは聞いてたけど、人夢くんも一緒だとは思わなかったな」 「ぼくもこうなるとは思ってなかったです」  伊藤さんは一瞬、えっという顔をして、それからなにかに気づいたように首を小刻みに動かした。 「人夢くんも大変だ」 「伊藤さんも無理やり場所取りに駆り出されたんですか?」 「いや、うちはもう宴会始まっちゃってる。親戚一同で」 「もうですか? ……あ、親戚ってことは健ちゃんも?」 「うん。有華も美保もいる。なんかさ、こんな昼間から堂々と飲めるのはきょうぐらいしかないってね。……そうそう。健に彼女できたんだって? 携帯の写真、嬉しそうに見せて回ってたよ」  嬉しそうに、という言葉にぼくの顔も綻んだ。 「ぼくのクラスメートなんです」 「へえ。なかなかしっかりしてそうな感じの子だったな」 「そうですね。クラスの副委員長なんで」  伊藤さんの短い返事のあと、会話に穴が空いた。  なにか話題がないかと探していたさなか、伊藤さんに会ったら訊きたいことがあったのを思い出した。 「あのう……一つ訊いてもいいですか?」 「なんだろう」 「伊藤さんがお兄ちゃんの幼なじみで、学校も同じだから訊くんですけど……」 「うん」 「お兄ちゃんって、いま付き合ってる女の人とかいるんですか?」  伊藤さんは目を閉じ、「うーん」と唸っている。明らかに困っている。 「答えにくいならいいんです」 「そうだね。まあ、人夢くんもわかると思うけど、自分のことを他人から喋られるの嫌じゃん。とくにあいつはさ」 「あー……」  そういえばそうだった。  それに、ぼくが余計なことを訊いたせいで、またケンカにでも発展したら悪い。  知りたかったけど、ここはぐっと我慢することにした。 「そういうオンナ関係はなおさら……。自分の兄貴がどんな子と付き合ってるのか、気になるのもわかるんだけど」 「あ、違うんです」 「……違う?」 「お兄ちゃんが、というより、あのお兄ちゃんと付き合える人って、とっても心が広いんだろうなあ、と。伊藤さんが知ってる人だったら、どんな方なのか教えてほしいと思っただけなんです」  すみません。  最後にそう謝ろうとしたら、伊藤さんがくすっともらした。 「それを言うなら人夢くんもでしょ」 「え?」 「あいつの弟をやれてるなんてものすごいパワーを持ってるなあ、と」 「……」 「美保とさ、そういう話になったことがあって」  ぼくは目を丸くした。  自分の知らないところで、しかも、あの美保さんと伊藤さんに話題にされていたなんて……。恐れ多いというか。もったいないというか。  ぼくはぽりぽりと頭を掻いた。 「そんな、ものすごいパワーなんて……」 「またまた。ご謙遜を」 「そ、それに。お兄ちゃんはまだ本領を発揮していないのかもしれないですよ。伊藤さんたちが知ってるお兄ちゃんと、ぼくの見えるお兄ちゃんは違うのかも」  どこかに遠慮が残っていて、あれでも大人しいほうなのかもしれない。  ……けど、いまのお兄ちゃん以上のお兄ちゃんは想像したくない。意地悪なのはもちろん、優しすぎるのもあれだ。  だから、ぼくの見える「篠原豪」は、いまぐらいでちょうどいいのかもしれない。
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