『本の虫』と呼ばれた少女の逃避行。

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 私は、物語の世界から抜け出せない。ママに怒られても、クラスの子たちにバカにされても、成績も視力も下がっても、物語が私を離してくれないのだ。 ―――――…  気づけば眠くて目が充血して、ちょっと涙を流しながらも、わずかな明りを頼りにページをめくる。私の夜はとっても長い。ママに怒られても読み続けているから、バレないようにスマホの鈍い光で本の文字を追う。  クラスの男子が、どれだけ本の虫とか、居眠り女とか私を馬鹿にしても、私は本を読むのをやめられない。視力はどんどん下がって、小学5年生なのに眼鏡をかけている。ママが眼鏡を買ってくれたけど、ため息をつきながら『女の子なのに、もう眼鏡なんて……本ばっかり読んでるからよ』と小言を言った。  たしかに眼鏡をかけている子は少ないけれど、生まれつき目が悪い子もいるのに。女の子だって掛けてるのに。ママと私の見る世界は、レンズを通してるか通してないかで全然違う。ママは私の容姿をかわいいと褒めてくれるし、クラスの子たちには綺麗で素敵なママだっていつも言われる。  それでも私はいつも乾いてる。いつも目が充血している夜みたいに、私の目も心も乾いている。  「ママ、行ってきます」 ボソッと私が声をかけると、ママは「行ってらっしゃい」とこちらを振り向きもせずに言う。ママは朝が弱いから、いつもご機嫌斜めでイライラしている。 *** 教室の中は騒がしい。クラスの子たちに友達と呼べる人はいなくて、いつも男子のからかいの的にされている私を、女子たちはクスクス笑いながら遠巻きに見ている。私は現実がうるさくて仕方ないから、いつも教室に来るときはイヤホンを付けて、音漏れしないギリギリまで音量を上げ、ロックなBGMを流しながら小説を読む。  クラスの男子に、小説や曲をバカにされても知らない。変な小説とか、お前にそんな曲似合わないとか言われても、きっと男子たちにはわからない。  担任の先生が入ってきたら本を閉じてイヤホンを外す。私は一人でも大丈夫と言い聞かせながらテキストを開くけれど、小説の内容が気になって頭に入ってこない。  「はい、加藤 咲菜(さな)さん!この問3の問題の答え、わかりますか?」  「え……すみません、わかりません……」  「ボーっとしてないで、ちゃんと授業聴いてくださいね?」  「はい、すみません……」  クラスの子たちが聞こえよがしに笑っている声がしていた。私は恥ずかしくて腹立たしくて仕方なくて、頭にカーっと血が上った。先生がみんなの前で私に注意したのも、クラスの子たちにバカにされたのもイライラして、早く家に帰りたいと願った。  「咲菜さん。今回もテストの点数が下がってましたよ。もう少し頑張ってくださいね」  「す、すみません……」  昨日の授業終わりに抜き打ちでやった小テストの答案が配られて、私はうつむいたままテストの答案を受け取った。まさかのクラスで一番低い点数。初めて20点以下を取った。赤字で書かれた点数を見て、ママにはとても見せられないと思った。  放課後になるまでの時間がとても長い。それでも小説の続きが気になって仕方がないし、早く家に帰って読もうと思った。家に置いている小説は文庫本でなく重いハードカバーの小説だから、家でないと読めないのだ。  家の玄関を開けると、ママが私の部屋から出てきた。私は不思議に思いつつママに「ただいま」と声をかけたけど、ママは何も答えなかった。  嫌な予感がして部屋を見ると、ちょうど読もうとしていた本がなかった。分厚くて重いハードカバーの、表紙が箔押しで彩られた、綺麗な冒険小説。  「ママ!!私の小説知らない!!?」  「ああ。あれなら、捨てたわよ」  こともなげにママが言うのを、私は信じられない気持ちで聞いた。ママにとっては私の小説なんてどうでもいいんだ。ふつふつと怒りが湧いてきて、頭が沸騰したように熱くなった。  「なんでこんなヒドイことするの!?私の大事なものだったのに!」  「そんなこといったって、あなた、最近全然勉強してないじゃない。いつも部屋に籠って本ばっか読んでるのも知ってるのよ!あなた、寝ないでいつも本ずっと読んでるでしょう?ママが知らないとでも思ったの?成績もどんどん下がってるし、貴方のことを心配してるのにっ……!もう、話しかけないで!」  ママが癇癪を起して、リビングから出て行ってしまった。私は只ママが部屋に入ってガチャリとドアを閉める音を聞いていた。その音を聞いた瞬間、先生にテストを返されたときのことを思い出して、私は恥ずかしさと怒りで顔が火照って熱くなっていた。  「なんで私って、こんな何だろう。私だって、もっと……」 私だって、もっとみんなと同じように明るく笑い合って放課後は友達と遊んで、本なんか読まなくても話しているだけで楽しいみたいな、学校生活を送ってみたかった。私だって、できれば本なんか読まずに勉強してもっと成績が良くなって、ママに褒めてほしかった。 本を捨てられたことで、私自身が捨てられたみたいな気分になった。 『あの本は、私だ』なんて、ばかばかしい。馬鹿みたいだけれど、私はランドセルを放り出して家を飛び出した。ママなんて、嫌いだ。先生もクラスの子たちも、全然帰ってこないパパも。そして私のことも。私は私が、大嫌いだ。  息が切れるくらい、靴が脱げそうなくらい走った。全然行ったことのない道を選んで、なるべく遠くに行くために走った。 走って走って、気が付けば全然知らない場所にいた。人気もないし辺りも暗くなってきていて、上着を着ているのに寒気がしてきた。 川べりの道にはあまり電灯がなくて、おまけに空も曇っていてどんより暗い。いつの間にか迷ってしまったようで、自分がどこから来たかもわからなくなった。 闇雲に歩けば余計に迷うという知識だけがあって、慌ててスマホの電源を付けると、電池が僅かしかなく、もう切れる寸前。地図を開こうとしたら、残量が足りずそのままプツッと電源が切れた。 「そ、そんな……」 こういうとき、大声で泣くことも出来ないし助けを呼ぶことも出来ない。こんな自分が惨めで仕方がない。川辺に立つ一軒の家のインターホンを見ても、押す勇気が出なくて立ち尽くしてしまう。 家出といっても、どこにも行く当てがないのだ。どこかの公園で寝ようかと思っていたけれど、寒いし何より、暗くなるとどんどん怖くなる。 「きみ、何をしているの?」 「ひゃあぁっ」 すぐ後ろで男の人の声がして、思わず変な声が漏れてしまって、すごく恥ずかしくなってしまった。私は恐る恐る振り返った。 「あの……」 「あー、ごめん。驚かせてしまったね」 辺りが暗くなってきたせいで、白いパーカーのフードで顔に陰りが見えた。何となく不審者感もあり、つい身構えてしまったけれど、よく見るとふわりと笑う顔は整っていて、よく物語に出てくるみたいな、色白の美少年という雰囲気だった。 「私、迷子になってしまって、この辺を歩いていたらどんどん暗くなって、それで……」 「ふーん、じゃあこの家に用があったわけじゃないんだね。そこ、僕の友達の家なんだ」 「そ、そうなんですか……」 何となくだけれど、話しやすくて穏やかそうな人、という印象だった。ただママが怪しい人に着いていったら絶対駄目だと言っていたし、あんまり信用しすぎたらダメなんじゃないかと思った。 「家はどの辺にあるの?送ってあげようか?」 「えーっと、石田スーパーが近くにあって、あと、鈴代小学校が近くにあるの」 「え!?そこって、こっから1時間くらいかかるよね?随分歩いて来たんだね」 「うん……ママと喧嘩して、こんなところまで来ちゃった」 あんまり個人情報というものを教えてはいけないけれど、そうしている間にも段々空は暗くなってきて、どこだかわからない場所を一人でさ迷うくらいなら、騙されていても着いていった方がマシだと思ってしまった。 行ったこともない知らない場所で、見たことないくらい綺麗なお兄さんと出会うなんて、ちょっとした物語みたいだとも思ったのは、自分だけの内緒である。 「じゃあ、石田スーパー辺りまで、送って行ってあげるよ」 「えっ……でも、交番とかあったら、そこでも……」 「え?でも、家出しちゃったから、交番に行ったら困るんじゃないの?お巡りさんがお家に電話するだろうし、こんな時間に女の子一人で歩かせないでしょう」 交番まで行ければ、地図を見せてもらえるかもしれない。そう思ったら、お兄さんが思いもよらないことを言うので、私はぎょっとして見てしまった。 私、『家出』したって、言ったっけ? 「だから僕が送ってあげるよ。大丈夫、僕は迷子になったりしないから」 「……じゃあ、知ってる道に出たら、そこからは一人で行くので、その……よろしくお願いします」 私はペコっと頭を下げた。こんなに綺麗な顔をした人を見たのは初めてだったから、余計に怖くなってしまったのかもしれないし、そんなに悪い人とは思えなかった。そう思いたくないだけかもしれないけれど、こんなに遠い場所まで遅い時間に歩いているのだから、『家出』してきたと思っても仕方ないかもしれない。 「お手数をおかけして、すみません……私、ママに本を捨てられて、それで怒ってそのまま家を飛びだしたの。でもそれで、お兄さんに迷惑をかけちゃいました。私……なんでこんななんだろう」 段々、だんだん、心がふさいでいって、皆は見えているはずの道が見えなくなってしまった。私だけ真っ黒で、みんなはハッキリと道が見えているのかもしれないとさえ、思う。本を読んでいる間だけは夢見心地でいられたのに、ママやクラスの子たちは、現実を見ろと取り上げてくる。 「きみにとっては、大事なものだったんでしょう?そんな簡単に捨てられないものだったんでしょう?だったら、怒らなくちゃダメだよ。ずっと自分の中でためていると、いつか爆発して、取り返しがつかなくなるからね。まぁ、きみの場合は、もう溜めに溜めた後だったのかもしれないけどね」 「そ、そうなのかもしれません。私、ずっとママに言いたかった。お勉強できなかったら、私に価値はないの?本を読むのはいけないことなの?って」 本当は、本を読み続けていたのは、私なりのママへの小さな反抗だったのかもしれない。勉強できなくても愛してほしい、そのままの私を好きになってほしい。そういう、抗いだったのかもしれない。 「ママは私に勉強しろ勉強しろって、そればっかり言ってきます。本当は私も勉強したいのに、ずっと本を言い訳にして勉強から逃げていました。私は、誰かから与えてもらったものばかりを楽しんで、自分では何もママにもパパにも、返せてなかったのかもしれません」 ずっとため込んでいた気持ちを、ようやく吐き出せたような気分になった。気が付けば見たことのある公園の近くで、少し家から遠くて遊具もあまりない小さな公園だから、最近まったく来ていなかったところだ。 「この辺、知ってるところなの?きみが本当にやりたいことが、見つかるといいね」 「……はい」 目の前にいるはずなのに、なぜか姿がはっきりしていないような、本当は幻なんじゃないかと思うくらい、儚げで綺麗な人だ。辺りはもう真っ暗になっていて僅かな街頭で道が照らされているけれど、もう少し歩けばコンビニや、夜でも開いている居酒屋等がある道に出る。 「じゃあ、僕はここまでしか来られないんだ。元気でね」 「えっ……待って!もうちょっと、話しを……!!」 さっきまで隣にいたはずなのに、一瞬目を離したすきにいなくなってしまっていた。辺りを見回してみても、元々そこには誰もいなかったかのように影も形も見えなかった。 「私……ありがとうって言えばよかったな」 帰ったらこっぴどく怒られるだろうと思ったけれど、ママは昔から心配性だったことを思い出した。こんなに暗くなるまで外を出歩いていたら、きっとすごく心配しているだろう。 「親不孝者だな、私は」 誰もいなくなり、段々と背筋が寒くなってきたので、駆け足で家へと向かった。遠くに見えるコンビニの光が、安心させるように光っていて、なぜだか私はまた頑張れるような気になった。 ―――――… 目覚ましの音が鼓膜に響いた。私は、朝の寒さに心がくじけそうになりつつも、布団から少しずつはい出て、昨晩枕元に置いておいた服に着替えた。今朝は昨日よりも冷え込んでいて、ママもきっと余計に機嫌が悪いかもしれない。 「……ママ、おはよう」 「おはよう、咲菜!今朝はちゃんと早く起きれたのね」 ママはいつもより機嫌が良さそうで、私に笑顔を向けていた。昨晩家出から帰って来たときは、鬼のように泣きながら怒っていて怖かったけれど、抱きしめてくれた腕は優しかった。ママはきっと、今日は私に優しくしようとしてくれているのだろう。 「ママ、昨日はごめんね」 「もういいのよ、でも、もう二度とあんなことしないでね」 「……うん、約束する」 ママが焼いてくれた目玉焼きとトーストを食べながら、テレビに目をやると、また芸能人の自殺報道が流れていた。私は全然芸能人に興味がないから知らない人だったけれど、どこかで見たことあるような、とても綺麗な顔をした元子役の少年だった。 「こんな成功していて綺麗な人でも、自殺するんだな……」 昨晩どうやって帰ってきたかは覚えていないけれど、もう道には迷わないような、そんな気がした。
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