姫君と魔法の眼鏡[後]

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 一瞥、姫はシュロと視線を交わしたが、何も言わずにそれを受け取った。硝子に触れないように、金細工の施された縁の部分を両手で持ち、高く掲げてしげしげと眺める。しかしのぞきこむのにはさすがに勇気が要るのか、なかなかそれを眼に近づけてみようとはしなかった。 「このめがねで、ふつうの人には見えぬものが見えると、みんなが言っていたのだな、シュロ?」 「え、うん、まあ」 「たとえば、どんなものが?」 「だからそれは、人が心の中で思ってることとか、どこかとおい国のできごととか……うわさじゃ、そんなようなことを」 「ふうん」  半端な相づちを打つと、姫は軽く息を吐いて左の目を瞑り、ゆっくりと右目にそれを押し当てる。  少年は固唾を飲んで様子を見守った。が、やはりというべきか、彼女は冴えない表情で首を傾げるばかりだった。 「ぼんやりとして、なにも見えぬ」  眼鏡を外して、姫は不平を漏らす。 「やはり、まじないをかけなければ、だめなのか?」  すると城代はまた机に手を伸ばし、書類の一枚を取って床に置いた。それから、まだ片眼鏡を握ったままの姫の手首に指を添え、紙から少し離れた位置にゆっくりと誘導した。  訝しげに寄せられていた少女の眉が開き、「おお」とつぶやく。シュロも気になって横からのぞきこむと、書類にぎっしりと並んだ小さな文字が、何倍もの大きさに膨らんで見えた。  なんだ、虫めがねじゃないか、と少年は拍子抜けする。拡大鏡なら、叔父の営む小間物屋でもたまに売っている。ここまで手の込んだ細工の品は珍しいかもしれないが、取り立てて噂の種になるほどのものとは思えなかった。 「これは、見えがたきものを見えやすくするための道具にて」  片目の男が、ようやく口を利いた。 「いかなる(まじな)いをかけようと、見えざるものは見えませぬ」  聞いているのかいないのか、姫はしばらくの間、眼鏡を傾けたり裏返したりしていた。が、やがて得心したように頷くと、それを両手で捧げるようにして、持ち主の前に差し返した。 「ありがとう。おかげで、気がすんだ」  相手もまた押し頂くように受け取って、あとは何も言わずに立ち上がり、自分の座席へ戻っていく。栞の挟まれた書物を紐解いてその上に片眼鏡を浮かべる様子は、まるでもう二人が正座したままでいるのを忘れてしまったかのようだ。  行こう、と横の少女が小声でささやく。大人がもういいと言う前に果たして立ち上がってよいものなのか、説教慣れしているシュロはためらった。しかし姫が着崩れた衣の裾をなびかせながらさっさと歩き去っていくので、少年も城代の横顔を気にかけつつ、小走りに後を追った。  ムカワ・フモンは結局、二人が部屋を出る瞬間も、眼鏡に目を落としたまま顔を上げようとしなかった。
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