姫君と魔法の眼鏡[前]

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姫君と魔法の眼鏡[前]

「やめておこうよ、やっぱり」  紅色の袖を引っ張りながら、少年は声を殺してささやいた。 「うまくいってもいかなくても、ただじゃすまないよ」 「ただじゃすまない?」  まっすぐな黒髪がふわりと舞って、少女が振り返る。あどけない小さな顔に不釣り合いなほど、大きく切れた眼。その眦をわずかに細め、悪戯っぽい笑みを口元に湛えている。 「そんなにこわがらなくても、わたしたちはまだだ。首をうたれたりするものか」 「首はうたれなくても、きっとおしりをぶたれる。それに、すごくおこられるよ」 「それぐらいですむなら、どうもない」  少女はまた前を向き、隠れている茂みの葉陰から城館の外廊下を凝視する。日が長くなってくる時季とは言え、太陽はもう西に傾いていて、そろそろ吊り行灯に火の入る時分が近づいていた。 「アルハさまはそれだけですんでも、ぼくなんか、にわの木にしばりつけられて、こってりおしおきされるんだ。ごはんも食べさせてもらえないかもしれない。もう、おしろへは近づくなって言われるかもしれない」 「シッ、声が大きい」 「ぼくがそんな目にあってもいいの? ねえ」 「わかった、もうシュロはかえれ。あとは、わたしひとりでやる」  こう言われて、少年が帰れるはずもない。説得も無理そうだ。相手は自分と同い年──厳密には半年ばかり年下だけれども、物心のついたときから、主従の関係は歴然としている。少女は従える側であり、自分は従う側なのだと、半ば絶望しながら覚悟を決めるしかなかった。  そもそも、本を質せば、悪いのは自分だ。巷の悪童たちから聞いた噂話を、幼い主人の耳にうっかり入れてしまったのが間違いだったのだ。
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