鶴へのやつあたり

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 昔々、とある一人の青年がいました。町から少し離れた山の中で暮らしていた青年は、家の近くを開墾して作物を作り、その作物を食べたり町で売ったりすることで生活をしていました。  ところがある冬のこと。その年は一年を通じて荒天に見舞われ、青年の畑では思うように作物が実らず、十分な食糧や資金を確保出来ないまま冬を迎えてしまいました。  青年は頭を抱えます。  自分一人だけなら、冬の間だけ町へ下りて仕事を探すことも可能だ。  青年の作物は見た目、味共にとても好評で、そんな作物を作る青年自身もまた町で評判の人物でした。事情を説明すれば力になってくれそうな人物に心当たりもあります。  しかし、青年は体調を崩している母と共に暮らしていました。そんな母が青年と町へ向かうことは母に現実的ではないと同時に、仕事や住まいだけでなく、病人である母の面倒を見てくれるだけの人物は、流石に思い当たりません。  このままだと、母は越冬出来ないかもしれない。  頭を抱えた青年は、ある行動を起こしました。  青年は作物を山に住む獣たちから守るため、簡単ではあったものの獣を捉えるため罠を作る心得がありました。この罠で獣を捉えることが出来れば、肉だけでなく、町で高く売れる毛皮も手に入るかもしれません。そう考えた青年は、家にある材料で作れるだけの罠を作り、畑の周りだけでなく色んな場所に設置しました。  もちろん、今の季節は多くの獣が住みかの奥で眠る冬です。そんな活動している獣が少ない中で、最低限の知識しか持たない青年が作った稚拙な罠で獣を捕らえられる可能性は限りなく低いですが、それでもこの作戦に期待しなければならない程、青年は追い込まれていました。  「母ちゃん、もう少しの辛抱だ・・・きっとすぐに、あったけえ食い物とあったけえ布団用意したる。」  少しずつ元気を失っていく母を元気づけるためか、それともそんな母を受け入れられない自分のためか、青年は母の枕元でこんな言葉を囁き続けました。  数日後、青年は罠の様子を確認しに行きましたが、どの罠にも獣は掛かっていません。  やっぱり、ダメか・・・  肩を落とした青年は、重い足取りで家から少し離れた場所に仕掛けた最後の罠を確認しに行きました。    あれ?何かがおかしい。  最後の罠を見た青年は、違和感を覚えました。その場所にも獣はいませんでしたが、仕掛けた時とまるで変化のなかった他の罠と比べて、明らかに様子が違います。罠周辺では何かが暴れた痕跡があり、さらに鳥類と思われる足跡や草履の足跡も確認出来ます。  これは・・・!  青年が拾い上げたのは、実に美しい羽根でした。この羽根を見た青年は、美しい羽根の持ち主である生き物が罠に掛かっていたこと、そしてその生き物を持ち去った人間がいることを確信しました。そして何かを悟った青年は、静かに涙を流しました。  「お母さんのこと、残念に思う。」    罠のそばで羽根を拾い上げた数日後、青年の母はこの世を去りました。葬式の日、神妙な面持ちで何かと青年の面倒を見ていた呉服屋は話を続けます。    「容態が悪化した時、山は猛吹雪だったらしいな。そんな状況じゃ、医者を呼ぶことも連れていくことも出来ない・・・色んな不幸が重ならなければ、まだあんたの母さんは・・・」  呉服屋は思わず目頭を抑えました。    「ありがとう。でも、仕方のないことだ。あなたのような人に見送られて、きっと母も幸せだ。」    気丈に振る舞う青年の姿を見て、葬儀屋は優しく肩に手を置く。  「あんたの作物を楽しみにしている人間は、町に大勢いる。でも、不便な山暮らしじゃ、いつ今回みたいなことが起こるかわからない。あんたが望むなら、うちの店であんたを雇ってもいいんだが。」  「話はありがたいが、俺はあそこの暮らしが気に入ってる。あなたにはこの葬儀費用だって工面してもらったし、それだけで十分だ。」  そうか、という言葉と同時に、呉服屋は静かに数回頷きました。その後、葬儀を終えた二人は呉服屋の店先まで共に歩きました。  「じゃあ、私はこれで。困ったことがあったらなんでも言ってくれよ。」    呉服屋からの別れの挨拶に応えようとしたその時、青年の目にある物が留まります。    「・・・あんな反物、あなたの店にあったか?」    青年の指摘に、呉服屋は少し嬉しそうな表情を見せました。    「あれはな、あんたの隣に住んでる若い男が持ち込んだ反物なんだ。なんでもえらく織物が上手い女を嫁に貰ったらしくてな・・・てっきりあんたも知っているもんだと思ったけど。」  「おいおい、勘弁してくれよ。確かにあの家は俺の隣かもしれないが、距離で言えばここから隣町ぐらいまで離れているんだ。どこの誰を嫁に貰ったかなんて知らないよ。」    そんな世間話を終えて、青年は山へ戻って行きました。しかしその道中でも、青年の頭からあの反物が離れません。  当然、青年に反物の知識を持ち合わせてはいません。高値の付く上等な着物など着たことも見たこともありません。なのに、あの反物がやけに引っ掛かります。  しかし、青年は自分の手が届かない反物のことばかりを考える訳にはいきません。母を失った悲しみに浸る間もなく既に新しい年を迎え、次に向けて作物の準備をしなくてはなりません。なんとか頭を切り替えようと、家に帰ってすぐ畑作業に取り掛かろうとすると、棚の上においてあったあの羽根が地面に落ちてきました。  この瞬間、青年はあの反物に目を奪われた理由がわかりました。  あの反物には、この羽根が使われている・・・!  気が付いた青年は、家を飛び出し走り始めました。向かう先はもちろん、反物を呉服屋に持ち込んだ男の住む家です。  青年が考えた筋書きはこうです。男は罠に掛かった美しい羽根を持つ生き物を自分から横取りして、その羽根を利用して嫁に反物を織らせたというものです。  青年は完全に冷静さを失っていました。青年が男の家に向かった所で、何も解決はしません。それでも母を失った悲しみ、それと対照的に幸せを手に入れた男への怒りなどの感情を燃やし、青年はひたすらに走り続けました。  長時間青年は走り続け、遂に男の家に辿り着きました。まだ気持ちの整理はついていませんでしたが、勢いそのままに家へと入ろうとすると突然、中から誰か出てきます。青年は慌てて近くの茂みに隠れました。  中から出てきたのはなんと、鶴ではありませんか!その鶴を追いかけるように男も出てきましたが、一言二言言葉を交わした後、鶴は飛び去っていきました。  青年は、目の前で起こったことがにわかに信じられませんでした。二人の会話を聞く限りでは、鶴が自分の身を削って男のために反物を織っていたようです。しかし、鶴が言葉を話すという衝撃的な出来事を、簡単に消化することは出来ず、ただでさえ冷静さを失っていた頭がさらに混乱してしまいました。  どうしていいかわからなくなった青年は、男に話を伺う訳でもなく、鶴が飛んでいった方向へ再び走り始めました。  どのくらい走ったでしょうか。まだ数分しか走っていないかのように体は軽く、何時間も走り続けたかのような虚無感がありました。もはや時間の感覚はおかしくなり、なぜ自分はこんなことをしているのかもわかりません。ただ、足を止めることだけは出来ませんでした。  走り続けた青年はついに、弱って地面に座り込む鶴を見つけました。  「どうやら、お前があの男のために反物を織っていたというにわかに信じ難い話、その姿を見る限りは本当のようだな。」  「・・・どうしてその事を!」    もはや青年は、人の言葉を話す鶴に驚くことはありません。    「お前が、お前が大人しく捕まっていれば・・・」  「人間には色んな人がいるんですね。罠で私たちを捉えようとするあなたのような人もいれば、その罠から救って下さる優しい人もいる。」     自らを蔑むような目で見る鶴に、青年は怒りを覚える。  「お前らだって、生きていくために虫や魚を食らっているだろう。それと同じように、俺たち人間も生きていくためにお前らを捕えようとしただけだ。」  「私たちは、罠を仕掛けるような卑怯な真似はしません。」  「卑怯でもなんでも結構だ!俺が悪者になって母ちゃんが元気になるなら、他にどんな名誉だっていらない。それなのに、あの男が余計なことを・・・」  青年は涙を流し、膝から崩れ落ちました。もう青年に、再び立ち上がる気力は残っていません。  後日、冷たくなった青年の手には、美しい一枚の羽根が握られていました。      
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