アリの歌、キリギリスの働き

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 午後十時のカラオケ店には、どこか諦めたような倦怠が漂っていた。  居直ったように流行歌をがなり立てる声。ひっきりなしに鳴る各室の電話。毎度のことながら、よくもまぁ店員はこの喧騒に耐えられるものだと感心してしまう。俺ならバイト初日で辞表を提出しているか、あるいは発狂しているだろう。  友人の結婚式の、三次会の会場である。いい加減にとりとめのない会話にも誰それの噂にも飽き飽きした俺は、雉撃ちを口実に離席したところだった。  トイレの中にも、ルーム内に負けず劣らず退廃的なムードが漂っていた。破れ落ちた注意喚起の貼り紙が、灰色に汚れた床で足跡に塗れている。 『ここで飲食をしたり、睡眠を取らないでください!』  そんなら鼻唄くらいは許されるだろう──吐き捨てられたガムめがけて小便をしながら、俺は空いた方の手でビートを刻み始めた。  心愉しさは微塵もなかった。そうでもしていないと、不安に潰されそうなのだ──次の曲はもう永久に出てこないんじゃないかという不安に。  あくまで音楽に携わる者の一つの見解に過ぎないのだけど、作曲とは無から曲を生成することではなく、あらかじめ己の中に備わっているマテリアルを抽出し、昇華する作業なのだと思う。  新曲を作ろうとする時、俺はいつも思い出す物語がある。夏目漱石の『夢十夜』だ。高校時代にはさっぱりわからなかった運慶と仁王をめぐる話が、今の俺にはうっすらとだが理解できる、気がする。  彫刻とは、土の中から石を掘り出すが如し。作曲も然り。  もちろん個人から抽出できる曲のマテリアルには限りがある。かの天才ジム・モリソンでさえ、アルバム数にしてわずか六枚分の曲を発表した末に、薬物のオーバードーズであっさりと死んでしまった。しかも彼の中の最良の要素は、すべてあの伝説的なファースト・アルバムに集約されているのだ。  かつて多くのロックミュージシャンがアルコールやドラッグに溺れて身を滅ぼしたわけが、バンドのドラマー兼作詞作曲担当の俺には痛いほどわかる……気がする。酒や薬というのは、確かに己の内面へアクセスするには有効な手立てなのだ。もっとも俺は、まだ薬には手を出していないけれど。  とはいえ──こんな状況がいつまでも続くようなら、そろそろ試してみるのも悪くないかもしれないな。  一瞬脳裏をよぎったそんな反社会的な考えに、我ながら身震いする。  なおも尽きない小便を便器めがけて送り出しながら、俺は長いながいため息を吐いた。この頃の俺が手がけた曲ときたら、まったく犬も食わないようなシロモノばかりなのだ。流行りの曲の上っ面だけを真似していたり、過去の成功体験を自己模倣していたり。  俺の中のマテリアルは、もう底をつきかけているのだろうか。ここらがいい加減に潮時かもしれない。幸せの絶頂にいる高校時代の同級生の姿が、焦りに拍車をかける。  そもそもその同級生が、なんでこんな与太者を披露宴に招待する気になったのか、式を挙げるどころか恋人さえいない俺にはさっぱり理解できない。学生時代にどこかへ遊びに出かけたこともなければ、親しく話をした覚えさえない。いい歳してなおフラフラしている俺へのあてつけなんじゃなかろうかと、一瞬そんな僻んだことを考えてしまい、たちまち自己嫌悪の念が込み上げてくるのを覚える。  いい加減に帰りたい。うちに帰って、作詞の世界に没入したい。兎にも角にも、今の俺にあるのは音楽だけなんだから。  ようやくチャックを上げ、惨めな気持ちで手を洗い始めたところで、不意にトイレの戸が必要以上に大きな音を立てて開いた。  戸口に立った男は、俺の鬱屈をたちまち吹き飛ばしてしまった。  木口勇翔。時には喧嘩もしたけれど、だからこそなんでも本音で語り合える、高校時代の親友。いつだって俺を笑顔にしてくれる、太陽のようなやつ。 「うぃーっ」既婚者だなんてことは微塵も感じさせない、高校時代のノリそのままの声で、勇翔は言った。「でっかいウンコ出た?」
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