アリの歌、キリギリスの働き

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「話したいこと、かい?」 「や、全然大したことじゃないんだけどな……」  俺は一瞬、おやと思った。  というのも、この勇翔という男がこんな回りくどい話の切り出し方をしたことは、ついぞなかったからだ。  単刀直入、歯に衣着せないストレート勝負。それが俺たちの交友関係における、言ってみれば不文律だった。もちろん時には、その不文律が原因で喧嘩になったこともあったのだけれど。  おそらく勇翔も、自分が常ならぬ話し方をしていることには気づいていたのだろう。話したいことがあると言っておきながら、彼はなかなか二の句を継ごうとはしなかった。小便器に向き合ったまま、バツが悪そうにもじもじする。  いささか気まずい沈黙が、薄汚れたトイレの中に降りた。  ややあって、口火を切ったのは俺の方だった。「ユイカさんは元気?」  ユイカさんは勇翔の妻だ。最後に姿を見たのは、確かオンラインでの同窓会の席上(と言ってよいのだろうか?)だった。思い出の品や記念写真の数々を背景に、旦那共々幸せそうに笑っていたのを覚えている。  いささかホッとしたように、そいつは微笑した──そのどこか自信のなさげな、卑屈とさえ言ってよい笑みは、なんだか嫌な感じがした。 「ああ、元気にしてるよ。今はポケモンの新作にハマってる。買った? 新しいやつ」 「いや、当分は買えねーなぁ。なにしろほれ、相変わらず自転車操業みたいな暮らしだから」 「そっかー。余裕ができたら、やってみるといいぞ。グラフィックとかめっちゃ進化してっから」 「そーかい? うーん……でもさぁ、なんか最近、新しいコンテンツに手を出すのに、すごいエネルギー使わねぇ? アウトプットはともかく、インプットが下手になった気がする」 「あー、わかるわ。昔みたいに、気軽にアニメとか漫画とか手ェ出せなくなったもんな」  当たり障りのない話題で盛り上がりつつも、俺はますます気に入らなかった。  前にリモートで顔を合わせた時だったなら、こいつはきっと、こんなじじむさいボヤきにあっさり同調したりしなかっただろう。「おいおいおい、老け込むには早いんじゃねーのかい?」とかなんとか言って、俺を奮い立たせてくれたに違いない。  思えば披露宴の席でも、呼ばれればいささかハイテンションすぎるくらいに明るく応じていたけれど、時折ふっと物思いに沈むような表情を見せることがあった。高校時代の勇翔は、部活の大会で敗退した時も初めての彼女にフラれた時も、思い煩うなんてこととは無縁で通してきたのに。  何があったのだろう? 式の間はテーブルが別々だったからなかなか話すチャンスがなかったけれど、こりゃ本格的に相談に乗った方がよさそうだ──そう思って、あらためて向き直った時だった。 「転職活動中なんだ」  まるで絞り出すように、勇翔が呟いたのは。
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