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そして三次会も終わり、皆と別れた後。
ようやく帰り着いた我が家の最寄り駅は、いつになく閑散としていた。聞けば東京の最西部では、すでに大雪になっているらしい。気の利いた人間はおしなべて、早々に自宅へ引き上げたのだろう。
引き出物の紙袋を提げたまま、スマホでミュージックアプリを立ち上げる。
選んだ曲はスタンリー・マイヤーズの『Cavatina』だ。映画『ディア・ハンター』のテーマ曲。周囲に誰もいないのをいいことに、イヤホンもせずに再生する。
J.ウィリアムスのギターの音色に浸っているうちに、自分が涙をこぼしそうになっていることに気がついた。
ずっと信じていた──働き者は報われ、遊び人は報いを受ける。
だが現実はどうだ。俺よりまっとうに就職してまっとうに人生を歩んでいた働き者から、真っ先に潰れていくではないか。
音楽なんかやめちまおう──頭の片隅で、そんなことを思った。
だって、『アリとキリギリス』の寓話すら成立しないこんな世の中で、愛だの夢だの自由だの理想だのをうたうことに、いったいどれだけの意味があるっていうんだ!
どれくらいの間、そうして立ち尽くしていただろう。ぎりぎりと歯軋りをしながら涙を堪えていた俺の頬に、不意に冷たいものが触れた。
雪だった。粒の大きく重たい、明日の混沌を約束するかのような雪片。雪は静かに、下界の全てを覆い尽くそうとしていた。
富める者も貧しき者も、病める者も健やかなる者も、何もかも。
あいつの言葉が蘇ってきたのは、その時だった。
──お前の曲に、頑張ってるお前の姿に、救われてるんだ。
不意に衝動が込み上げてきて、俺は走り始めた。改札を通過した時には、すでに全力疾走に移行していた。
雪は早くも積もり始めていた。つるつるする革靴の底も相まって、途中俺は何度も何度も転倒した。転んでは立ち上がり、また走り出す。この日のために実家のクローゼットから引っ張り出したスーツは、きっと部屋に帰り着く頃には、クリーニングなしには着られなくなっているだろう。
構うもんか──鼻から温かいものが滴るのを顎で感じ、破れかかった紙袋を抱えながら、俺はなおも己を駆った。とうに息は切れ、運動不足の筋肉は悲鳴を上げていたけれど、それでも前へ進み続けようという気持ちだけは決して萎えなかった。
もう迷わない。帰ったら、真っ先に曲を作るんだ。このクソゲーじみた世の中で、翼を折られてなお飛び続けようともがいている、俺の曲を褒めてくれたあいつのために。生まれて初めて、俺は誰かのために曲を作りたいと思った。誰かのために自由を、希望をうたうことを望んでいた。
あいつの凍えた心を癒やす、とびきりホットな曲を。
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