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11 トラゴイディアじゃない
今になって思えば、不可解な点が多かったように思える。僕を呼び出した理由やあっさりと話し合いが決着した事。やけに芝居がかった話し方をしていた事。でもそれについて考える時間は無かった。僕はほんの少し、浮かれていたのかも知れない。
「人質?私がか?」
「そうだ。」
ハンバーガーを咀嚼しながら答える。山のように積まれていた固形物たちはほとんど消滅していた。日比野の食欲恐るべし。
「辞書さんの祖父を、表舞台に引っ張り出すためにな」
「……私は何をすればいい?」
「辞書さんの携帯電話を貸してほしいな。大丈夫。すぐに返すから」
日比野は躊躇いがちにその携帯電話を渡した。形はスマホではなく折りたたみ式でよくこんな古めかしい物を持っていたなと突っ込みたくなるシルバー具合だった。
僕は打ち込みづらい鍵盤を一つ一つ押していく。全てを打ち込み終えると、着信音が鳴り始めた。
『日比野かね?何か用事か?』
日比野の運命を縛り付けている主犯が携帯を取った。声はあの時聞いた通り嗄れていて、年相応な声をしていた。
「いえ、私は日比野の友人です。日比野は今私の隣で気絶しています」
『……!何者だ!』
「日比野について話し合いたい事がありますので、今日の6時に病院南門の駐車場に1人で来てください。警察に通報などすれば、日比野の命は保証しません。それでは」
手早く説明を済ませ、電話を切る。たった数十秒の会話だったのに、手汗が凄まじかった。電話越しでも分かる威圧感。凄いパワーを感じた。
「……私は今気絶しているかい?」
隣でピンピンしている日比野には悪いが、彼女の祖父に「恐ろしい」という印象を与えるためには仕方ない発言だ。
「これから僕は、君の祖父に会いに行ってくるよ。色々と聞かないといけない事もあるしね」
「……危険すぎるよ。私の祖父は手段を問わない。本気でやれば君だって殺されるかもしれない」
「かも知れないな。でも大丈夫だよ。僕には最強の助っ人がいるからな」
「助っ人?」
日比野の頭には疑問符が浮かんでいるが答えてられない。今から最終調整を行わなければならない。失敗は許されない。
「私は何をすればいい?」
二回目の同じ質問だが、意味合いは違う。
「日比野は近所の公園で暇でも潰してくれ」
日比野はこの戦いに付いてきては行けない。この作戦の被害者は彼女の祖父だけで十分だ。
「辞書さんは明日の昼ご飯に思いを馳せてくれ。作ってきてやるから」
「それは楽しみだ。では健闘を祈る」
「了解。キャプテン!」
おどけてその場を後にする。するけど全身は震えて冷や汗が止まらない。生きるか死ぬかの瀬戸際で精神は緊張状態だ。でも、好きな人の前で情けない姿は晒せない。僕がプライドで行動できるなんて、なんて成長だろうか。ちょっと笑えた。
後ろをチラッと振り返れば日比野は最後のハンバーガーにかぶりついていた。彼女の豪胆さは見習う点だろう。
「私の嘘を許してね。樹くん」
彼女のか細い独り言に気づくことはついに無かった。掌に仄かな赤みを抱えたまま。
『見つかったんですね、良かったです』
電話の相手はアンドロイドさんで声には信頼の色が見えた、ように感じた。一種の絆を感じているのは僕だけかもしれないが、それで良かった。
「大変だったよ。運命に感謝しないといけないな。……それで協力者の件は大丈夫か」
『それこそ大変でしたよ。何回説明しても理解して貰えないんですから。最後はストレスとの戦いでした』
余程大変だったのだろう。声から疲れと苛立ちが隠しきれてなかった。
『こっちの準備は完了です。……私も現地に行きましょうか?』
「そうだな。でも危険だと思うから、少し遠くから観察してくれ。協力者も連れてな」
電話を切って戦場へ赴く。覚悟は決まった。
「……本当に1人なんですね。てっきり集団でボコリに来るものだと思いました」
「私ほど情に溢れた人物もそうは居ない。君の要求を呑まないと彼女が危険だと判断したまでだよ」
僕に注射を2回刺し間違えた不器用な医者がそこで待っていた。やはり見た目は年相応で額にはシワが深く刻まれていた。
「早速だが君の要求は何だね?金なら幾らでも払うよ」
ゲス笑いという言葉を端的に表した顔が貼り付けられた。キモイ。
「僕の要求はただ1つ、あの子を解放してやって欲しい。あの子は少し素直じゃない、ただの少女だ」
「その要求は受け止めかねるよ、川村樹くん。彼女は人類の宝だ。君のような平々凡々な輩には分からぬほどの価値がある」
「僕はあなたがそんな理由で日比野に接触しない事を知っています。何故なら、」
日比野のメモで1番理解し難かった、悪辣な理由。それに音を乗せる。
「日比野を利用して、あなたは不老不死を目指している。そうでしょう?」
「……日比野に予定以上の知識を持たせるのは失敗だったな。奴が貴様ごときに打ち明けるとは、私の最大の誤算だ」
メモの情報が本当なら、トラゴイディア計画は彼女が小学生の時に行われているものだ。予定を変更し、彼も一緒に冷凍保存される理由は、未来の為でも、人類の為でもない。自身の死を遠ざける為だ。
「あなた1人の利己的な理由で、彼女の幸せを奪おうとしている!そんなことは断じて許容できない」
そんな下らない理由で日比野を奪われてたまるか。声に覇気を乗せて話すが、彼の気味の悪い微笑みは依然として貼り付けられたままだ。
「利己的、ね。君こそ未来の人類の幸せを奪おうとしているのだから、私と境遇は変わらんはずだがな。」
口に携えた白色の髭を弄りながら、余裕ぶった声で話しかけてくる。口の減らない爺だ。
「それに彼女もまた利己的な奴さ。それも私たち以上にね。……私が何故彼女を選んだか分かるかい?君ごときには分からんだろうが、初めは軽い気持ちだったよ。若ければ若いほど良かった。これは科学的な理由よりも私の趣味嗜好によるものだがね」
つまり彼はロリコンだったということか。別にそれに関して侮蔑や嘲笑はない。ただ、個人的にムカつきはするが、そんなものどうでもよかった。
「日比野は聡明で賢く、身の振り方を弁えていた。私に隠して君にメモを渡した事も知っている。物怖じしないんだよ、彼女は。」
喜怒哀楽のメーターが今にも振り切りそうだった。目の前のこの固形物をどうにかしたい気持ちで腸が煮えくり返る。日比野の何を知っているのだろうか、彼は。
「そして、君に誘拐される3日前に私は喜びに打ち震えた。彼女は遂に憎き両親を討ち滅ぼしたのだ!これで未来に行くしか助かる見込みはない。私に忠誠を誓ったと、いくつのワインボトルを開けたことか」
討ち、滅ぼした??え?
「何の、冗談を」
「可笑しいと思わなかったのかね。気づかなかったのかね。それでも、彼女の幸せを願えるのかね?」
固形物が指示を出すと、数人の黒服をきた男たちが柱から出てきた。身長が、僕とは違いすぎた。その戦力差も。
「君にはここで死んでもらうよ。何、きちんと情報を聞き出してからだ。君はもう喜怒哀楽を噛み締めることは出来なくなるからな。……全く、あの小娘さえ助けなければこんな面倒なことしなくて済んだんだがな」
恐ろしい口上を述べると、黒服が近づいてくる。泣きたい。逃げたい。恐ろしい。
負けてたまるか。
「あなたの話は嘘だ。信じないけど……その悪辣な情報は利用させてもらう!」
「?何をほざいている」
僕はスマホの光で指示を送る。柱に隠れて話を聞いている協力者へと。
「今の話は録音していました」
「それがどうした。取り上げればいい話だ。」
僕に視線を向けさせる。これでいい。
「今の話、本当ですか!?」
暗闇に一筋の光が走る。それがスマホによるものだと気づくまでには、準備は完了していた。
「K!宿題千回分だからな!?」
そして協力者、改め登録者十万人の人気配信者へとバトンを渡す。僕のスマホから確認すれば、ライブ配信が行われていて、数千人がその光景を観ていた。
「こ、これは!?」
固形物が狼狽えている。貼り付けられた微笑みが剥がれた証拠だ。
「聞きましたか、皆さん!?この病院で行われた酷い人体実験を!何て残虐で愚かな話でしょう。皆さんの力でこの悪党を成敗しましょう!」
人体実験の話は出てきてないが、これくらい誇張するのがいい。有名人が一言それらしい事を言うのが、この作戦の肝要だ。
「くっ!貴様ら……!!こんな事をしてタダで済むと思っているのか!?」
「済むと思ってるからしてるんだろ。少しは頭使えよ。頭悪いんか?」
とんでもない暴言だ。でも頼もしすぎる。周りの黒服たちは、自分の顔が晒されるのを恐れてあっさりと退散していった。情けなさすぎる。
「貴様ら絶対に、死んでも償いきれんと言うことを教えてやる!」
固形物が吠えながら退散していくが、負け惜しみにしかならない。石につまづいてコケる様もスマホはバッチリと映していた。
「……思ったよりも小物ぽかったな、あのおじいちゃん」
「本当に助かったよ。ありがとう、東」
「全くだよ!せっかく築き上げた配信者としての力が……!この力でハーレムしたかったのに!」
「宿題千回分だろ?分かったから」
「許す!」
「軽っ!」
この作戦の功労者が笑顔でそう言ってくれたおかげで、こっちもすっかり毒気を抜かれた気分だ。僕も一応ファンだったから、ちょっと悲しいが、背に腹は変えられない。
「成功しましたね、先輩」
遠くで見守っていた紀野とも合流し、喜びを分かち合う。
「よく説得できたな」
「私の交渉術が光りましたね」
「え?最初に話しかけてきた時、めっちゃキョドってたけど……」
東が言葉を言い切る前に、紀野の鋭いローキックが突き刺さった。
「何か?」
「……なんでもないっす!」
二人の口論を聞きながら、僕は安堵と共に一抹の不安を感じた。ヤケになったあの固形物が日比野に危害を加えるとも限らない。見つけに行かなくては。
「全く、大したやつだよみんな」
今はとにかく日比野に会いたい。全部が解決して笑いあいたかった。
「はあはあはあ……!!」
何故こんな事になったのか。しかし奴らは馬鹿だ。知能が足りない。この街を燃やしてやる。私を嘲笑し続けたこの街を焼け野原にして、そして私1人でコールドスリープしてやる。私はただ、名前を呼んで欲しかっただけなのに。それをしない奴らが悪いのだ。
「こんな時間にどこに行くんだい?」
病院を出て私の家に行く間際、私の唯一の希望に出会う。
「日比野……!貴様!」
「……その様子だと彼の目論見は成功したようだね」
憎い。孫の分際で何様の顔だ。殺す。現に奴は許されざる罪を犯した。
「そう怖い顔をしないでくれ。大丈夫。私は冷凍保存されるから」
「はあ?何を……」
「でも、あなたは。未来には連れて行けない。私は、お別れを言いに来たんだ」
日比野の周りには、私が雇ったボディーガードがいて、武器を構えていた。
「さよなら、哀れなおじいちゃん」
そして━━━━━━━━━━━━━━━
日比野が僕の前に姿を見せなくなって、3日が経つ。日比野が両親を殺した、というのは嘘だと分かったのはその辺りだ。東と紀野が情報を集めてくれて、隣の県に2人で引っ越したらしい。彼らは何を考えて日比野を売ったのだろうか?
日比野が冷凍保存されたと知ったのは、1枚の手紙だった。
日比野の祖父がネット上で叩かれるのを見てネットって怖いなと苦笑していると、東から連絡が入った。
『日比野から手紙が来た』
「!?それで内容は……」
『冷凍保存、されるってよ』
「……は?」
意味が分からない。それも今までの経験の中でも最大級だ。日比野は何を考えて━━━━
東からの連絡の後に日比野を探したのは当然だ。日比野から顔を見せてくれるのは当たり前だと思っていたのはあるが、こんな事になるなんて思いもしなかった。東も紀野も手伝ってくれたのに、成果は何も上げられなかった。
「全然、見つからないな……」
「楽に考えろ。世界から消失した訳じゃないんだ」
東はそう励ましてくれるが、日比野が見つからないこの状況じゃ、メンタルには効果薄だ。
「……本当のこと、言っていいか?」
東はやけに神妙な面持ちで話しかけてくる。
「あいつはもう、戻って来ないよ」
「!?」
「あいつ、来たんだよ。紀野が来る前日にな。冷凍保存の話をされて、頭はパニクったけどな。そしてこう言ってたんだ。『樹くんによろしくって』な。」
「でも僕は、日比野に会ったぞ。」
「嘘ついてたんだよ。両親を殺したことは当然嘘だ。でもその他は違う。あいつはお前との未来よりも、さらに未来を願ったんだ。お前を助けるためにな」
「どういうことだ。」
「お前は、後10年後に死ぬ。それも不治の病でな」
息を呑む。僕の寿命は、あと10年?
「嘘なんだよ。日比野はお前の本当の寿命を知っていたんだ。あの爺は嘘ついてたんだ。」
「僕が、死ぬ?」
本当なら僕はそれを喜ぶべきだ。何の才能も無い僕は、生きる価値なんて無いと思ってたのに。なんにも無いのに、死にたくない。日比野に会えないまま死ぬなんて。
「……しにたくない」
「お前、やっぱ変わったな」
伏し目でこちらを覗き込むその目は笑っていた。
「僕はどうすればいい?」
「早寝早起きして3食食べろ。健康でいることだ。健やかにな」
「笑えないよ」
「笑わなくていいんだよ。冗談だ」
なんて言っている東は笑う。ほんのちょっとムカついた。
「神社で祈らなきゃ良かったのにな」
「……なんでその事を」
「質問は受け付けません」
そう言って東は去っていった。
最後の最後まで、変な奴だった。
それからの記憶は実はあんまり無い。平凡な大学を受けて、紀野や東との交友も取り合っていたけど、本当はいつも寂しさを感じていた。隣に日比野が居ればなんて答えただろうか。くよくよするなって、言ってくれたのだろうか。
僕は、色々と頑張った。テニスも卓球もサッカーも野球もソフトボールもクリケットもホッケーも空手もピアノも習字も勉強も日比野以上に努力した。日比野は追い越せなかったしやっぱり心の空白は埋まらなかった。
でも少しだけ、ほんの少しだけ楽しかった。
10年、という月日は長かったけれど、遂にその不治の病とやらが僕に出現した時は、案外早かったなと思った。健康に気をつけても仕方なかったし、運命を変えようと奔走はしてみたが、無駄足だった。
日比野はどうして冷凍保存したのだろうか。
君に会わなければ理由なんて考えなかったのに。やっぱり、僕たちが出会ったのは、悲劇だったのだろうか。
病院に入院して、ベットにこもりきりになる。しんどいというより、全身に倦怠感があって疲れる。やっぱりしんどい。
「調子はどうだ?」
「良さそうに見えるかよ」
東の減らず口にも慣れたものだ。
「早く元気になってください」
「……頑張るよ」
紀野は無表情だけど、心配してくれた。
窓から見える景色は秋一色で紅葉がかっていた。枯葉もひらひら落ちてきて、僕の人生の終焉が近いことを予感した。
「調子どうだい?旅人くん」
だから君が現れた時、僕は幻覚だと思った。嘘つき。やっぱり、嬉しかった。
「うそつき」
「全く痩せこけて……大丈夫かい?」
「今まで、何処に……」
体を動かそうとするが、痛みで動かせない。
日比野はちょっと怒った顔をしていた。
「私が冷凍保存されなければ、君は自殺してたんだからな。それも私を巻き込んで。感謝したまえよ」
「僕はそんなことしないよ」
「出来るから君なんだよ」
やっぱり意味が分からないけど、10年ぶりの日比野との再開にしては爆発するほどの嬉しさは無かった。
「会いたくなかったのかい?」
「……あいたかった。とてつもなく」
「ならいい。私もだよ、樹くん」
訂正。やっぱり爆発した。
僕はもしかしたら、この不治の病は治るのかもしれない。日比野が治すのかも知れないし他の医者かも。でも治らない可能性の方がずっと高い。でも、死にたいとは思わない。僕は中途半端で凡人で情けない奴だ。
でもそれでいい。僕が生まれて、君と出会えたことは、少なくとも悲劇なんかじゃないから。
運命を僕は信じる。
おわり
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