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3 3000文字のバレンタイン
今更と言えば今更なのだが、実は僕達はとある出来事があってから接触をできる限り避けていた。それが何の出来事だったかは覚えていない。今のように親密とも取れる仲になったのは、中学校を卒業する時になってからだ。それなのに腐れ縁などと表現するのは、2人とも互いの存在を意識していたからだろう。
気にしない振りをしていても互いの目線が、息遣いが存在を紐付けていた。それだけのことだ。
「樹くん。どうして人は死ぬと思う?」
高校に上がる前に突然問いかけられた問い、に、僕はまだ答えられていない。
「旅人くん。今日は何の日だい?」
登校中に偶然出会った辞書にそう問いかけられた。
「今日は学校だな。」
「そういうボケはいいよ。2月14日。これだけで分かるだろう?」
今日はバレンタインということを忘れていたことを思い出した。2週間前遊びに行った後は調査と銘打ったお遊びは行われていない。
「さぞかし楽しみだっただろう?わたしのような理想の幼なじみにチョコを渡されるなんてそうそうある事じゃない。何度神に祈っても叶わぬ幸福を噛み締めたまえよ。」
「いや忘れてた。というより君の寿命のことで気が回ってなかった…」
僕はバレンタインが嫌いだ。チョコを貰えない訳じゃない。幸い友達はいるし、義理チョコや友チョコを貰ったことはある。チョコが大嫌いなことを除けば幸福なことだ。
「なるほど。まあ楽しみにしたまえよ。帰りに渡してあげようじゃないか。」
「それ溶けないか?」
「最新の菓子はそんな些末なことは解決済みだ。心配はいらない。」
「まあ楽しみにしておくよ。」
本当はめちゃくちゃ楽しみということは君と僕の内緒事だ。
「樹!俺チョコ貰っちゃった!!」
「良かったな。」
周りは今日のバレンタインの話で持ち切りだ。いちおう偏差値の高い高校なのだが、バレンタインチョコという甘い悪魔に抗えるものはそうそういない。僕は抗えるが。
「樹くん!これあーげる!」
手には固形の小さいチョコが握られていた。一応受け取った。
「ありがとう。」
「ホワイトデーは10倍返しでよろしく!」
なんて冗談を聞いているうちに、1時間目のチャイムが鳴った。確か英語だったか。先生は急ぎ足で教壇をかけ上る。
「話があります」
先生は神妙な面持ちで語りかける。
「学校にチョコを持ち込むのは校則違反だと昨日説明があったはずです。今チョコを持っている生徒は早く出しなさい。これ以降の提出は認めません。」
誰も出そうとしない。今出したら袋叩きだ。
「いないんですね?なら、よろしい。」
そう言って授業が始まった。たかがチョコ1つでどうしてこんなに規制が貼られるのだろうか。少し不思議だった。
「怖かったな、今日の先生。なんでも3年連れ添った彼氏と別れたらしいぜ。」
「それはピリピリするな…気持ちは分かる。」
というものの、実際全く分からない。ヒトトツキアウという本当の意味を表面上で分かってはいても、心で理解できない。何が面白いんだろうか?今度日比野に聞いてみようか。
「樹はチョコ貰ったのか?」
「まあ、1個貰ったよ。これ。」
「小さ!これは脈ないな…」
「別にいいよ。そんな事。」
「まあお前は日比野に貰えるからいいか…」
顔が固まった。どうしてそこで彼女が出てくるのか。
「表情に出やすいな、お前。」
「なんでいきなり…」
「噂になってるぞ。日比野がお前にチョコ渡すってな。あの天才がねえ…」
どこから情報が漏れたのだろうか。彼女自身はそんなことを周りに広めない。僕たちの話を聞いていた第三者が居たのだろうか。
「別にチョコなんて大したものじゃ…」
「声、震えてるぞ?」
「……どんな顔すればいいのかな。」
思わず口に出た本音。
「……友達の俺から言えるのは、自分に正直になることだ。そして素直な気持ちで受け取ることだ。」
そんな真っ当な言葉が胸に刺さる。
「……ありがとう。肝に命じとくよ。」
「宿題2回分だぞ。」
そう言って笑いあった。
「頑張れよ樹。」
「ありがとう、東。」
そういえば初めて名前を呼び合ったなと、そう思った。
「先輩、少しお時間いいですか?」
昼休みに屋上で弁当を食べていると、話しかけられた。どこかで見た顔だ。
「いいけど、どうした?」
「大事なお話です。お手間は取らせません。」
眼鏡をかけた彼女はそう言って息を整えた。そして、あの時以来の衝撃を与えてきた。
「日比野未来さんの寿命についてです。」
「……は」
息が詰まった。そして思い出す。彼女はあの時この屋上で日比野に寿命を尋ねていた人だ。
一呼吸置いて、話し出す。
「何の話?」
「とぼけないで下さい。あの時、屋上にあなたがいたのは知っています。下手な嘘は信頼を失いますよ。」
どうやら誤魔化しは通用しないらしい。観念して向き合う。
「『180年』の話だろう?こっちで話そうか。」
「……ええ、180年の話です。」
彼女ーー紀野朱里はそう言って笑いかけてきた。何故か嬉しそうだった。
「日比野未来さんについてですが、おかしな点がいくつかあります。それについて知っていることを教えて下さい。」
まるで記者のような口ぶりだ。
「いいけど、そんなに情報はないと思う。」
「それでいいです。まず1つ目ですが、彼女は頭がいいんですよね?」
「…ああ、とてもな。」
「2つ目です。あなたの彼女に対する思いは何かありますか?」
「うん?どういう意図だ?」
「あなたは答えるだけでいいです。早く答えて下さい。」
無理に逆らうのは宜しくないようだ。正直に答える。
「……ずっと才能に嫉妬しているよ。昔からな。」
「なるほど……」
メモ用紙に書く音だけが耳に入ってくる。
「最後の質問です。180年を誰かに話しましたか?」
「いや誰にも。」
「……分かりました。これで調査は終了です。ありがとうございました。」
「……おかしな点って何の事だ?ただ身辺調査されただけのように見えるけど…」
「質問は受け付けません。」
その顔は恐ろしい程無機質で、昔テレビで見た人の形をしたAIのようだった。
「あなたには後日用事がありますので、連絡します。」
「勝手に何を…」
「質問は、受け付けません。」
まるで冷酷な教官と生徒のようだ。友好関係の作りようがなかった。
「これは報酬です。」
投げ渡されたそれを受け取る。中には、キャンディーと小さなドーナツが入っていて、何故か作り込まれていた。
「…どうも。」
「最後に1つ忠告です。寿命を信じすぎないで下さい。寿命を知った少年が自分に絶望して命を絶った事例があります。寿命は人為的に操作できる可能性があることを、お忘れなく。」
そう言って紀野朱里は去っていった。チャイムが鳴って、弁当は冷えきっていた。
「旅人くん?どうしたそんな浮かない顔して。」
放課後の帰り道、彼女と歩く。いつもの筈なのに、今日だけは心臓がやけにうるさかった。体育のマラソンのせいだろうか?
「……別に。なんでもないよ。」
「ふむ。楽しみにしてたか?」
「……少しは。」
顔を背けて歩く。マフラーを纏って歩く知性が顔を覗き込む。
「欲しいか?」
「欲しいけど。」
正直に答える。彼女ははにかんで、そして手の内に秘めたそれを渡した。あまりにも美しく、あまりにも儚い顔で。
「樹くん。どうして人は死ぬと思う?」
在りし日の思い出と同じ言葉を問いかけられる。答えはあの日から決めていた。それを口から吐き出す。
「……それが、運命だからだ。」
答えになっているようで、答えになっていない答えだ。でもこれしかない。
「ふむ……面白いね。」
「……どうも。」
渡された袋の中には、手作りのチョコが入っていた。完璧で、お店に出しても見劣りしない出来だった。
「美味しそうだな。」
「頑張ったからね。素材も取り寄せたんだ。」
笑って答える。少し寂しそうに。
「あの時教えられたからかな。人と分かり合うためには努力すべきだってね。」
「そうか。」
無機質に答えるが、内心嬉しかった。あの天才に認められることが、本当に嬉しかった。
「離れたくないな…」
「どうした?」
「いや別になんでもない。」
こうして僕たちのバレンタインは幕を下ろした。
ホワイトデーに健康を気遣ってダンベルをプレゼントして殴られたのは、また別の話。
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