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6 凍る
「紀野ちゃん!早く早く!」
「はーい!!」
ランドセルを背負って歩く私たち。外には桜が吹雪いていて、新学期の始まりを告げてくれていた。この時は、きっと明るい未来がやってくるのだと、そう信じて疑わなかった。
私は嘘つきだ。
「紀野朱里さん、落ち着いて聞いてください。……あなたの寿命はーーー」
「うっ……」
頭痛がする。ここ最近は体調の不良が続いていた。過去の記憶がフラッシュバックして飛び出してきてしまう。寿命を聞いたあの日から、呪いのように付きまとっていた。
「あと少しで……」
死を迎える。寿命は年単位でしか教えられないから、今死んでも不思議ではない。そう考えると怖気が出て足がすくむ。死を想像することを放棄しないとこの恐怖に耐えられなかった。ふと、自嘲する。私に何があるのかと。功績も友人も家族すら居ない私に、何が残されているのかと。それすらも考えないようにする。思考放棄は1番の防御策なのだから。
「席につけー!」
「……」
チャイムが鳴って朝のHRが始まる。先生の話を聞き流し、休み時間が始まった。私は本を読むふりをして時間を過ごす。孤独に身を浸からせた私の処世術だった。
「この教室に紀野さんはいるかい?」
教室中に透き通った声が通る。その姿はあまりにも美しく、何故だか私は暴力に思えた。美しさの暴力。その表現がしっくり来るくらいの可憐さ。
「紀野?えーと……ああ!あいつか」
「居るのかい?良かったよ。」
こちらに向けて笑いかけてくる。なぜ、私なのか。
「……私ですか?」
「ああ。少しお願い事があるんだ。」
「……初対面ですけど。」
「そう肩肘を張るなよ、後輩くん。ここじゃ何だから、昼休みに屋上に来てくれ。」
それだけを言い残して教室を去っていった。周りのみんなは彼女の容姿を褒めたり、彼女の噂を確認し合ったりと忙しそうだったが、私はそんな事をしている暇はない。早く本を読む真似をしないといけない。そうしないと、この注目に耐えられそうにもなかった。
「……先輩」
「来てくれてどうも。助かるよ。」
私と先輩は屋上で4時間ぶりの再会をした。
「私の名前は日比野未来。初めましてだけど……多分噂で知ってくれてるかな?」
「……ええ。」
あの天才が私ごときに何の用事があるのだろうか。謎が謎を呼んで謎を作り出していた。
「早速だけど……私は寿命が180年ある。」
「は?」
「やっぱりそんな反応するんだね。」
「冷やかしならやめてください。」
私は怒る。これは私への当てつけなのだろうか。寿命の差異を見せつけるためにこんな嘘をつくのか。だとしたらお粗末すぎる。180年なんてランドセルを背負った小学生でも信じない。
「これでどうだい?」
先輩の手には寿命証明書が握られていた。私に与えられたのと全くの同じ。それは先輩が私と同じ病院で検査を受けたのを意味していた。
「……偽装ですか。呆れました」
「残念だけどこれは本物だ。紛れもなくね。」
「有り得るわけないでしょう!?」
気づけば私は怒鳴っていた。
「180年なんて有り得ないんですよ。あなたは馬鹿ですか。天と地がひっくり返っても有り得ません」
「……有り得るんだよ。それも私の望まぬ方にね。」
彼女は憎悪の目を向けていた。それを一瞬で隠すと、にこやかに話しかける。
「これから1人の男子高生がここに食事に来る。その時に私の寿命の話をして欲しい。それもできるだけ大きな声でね」
「……仮に本当だったとして、それをするメリットは何でしょうか?どうして私を?」
「それには答えられない。」
「じゃあいいです。失礼します。」
私は階段を降りて自分の教室へ向かう。
「後輩くん。ーーーーーーーーーーー。」
私は歩みをやめて先輩の方を見る。その顔は笑っていた。
「……嘘だ。」
「……本当さ。最悪だけどね。」
私は、その話に乗ることにした。そうしないと私の死期が、早まってしまうから。
「先輩、噂で聞いたんですけど、寿命が180年あるって本当ですか?」
これが私の嘘の始まり。
それからは先輩からは音沙汰がなかった。関わりたくもなかったが、ふと思い返す。寿命が180年ある。その言葉は私にとってはどんな暴言よりも価値のある暴言だ。
「あれが先輩が言っていた……」
渡り廊下で歩いている男子高生、のような何かが歩いていた。その目に生気はなく、何となく私に似ているなと思った。あの目は人生に絶望している目だ。声をかけてみようとするが届かない。彼の周りにはいつも沢山の友達が付きまとっていてウザったらしい。それでもチャンスは訪れた。
「先輩、少しお時間いいですか?」
これが2回目の嘘。
彼に日比野さんの情報を吐き出させた。そうすれば何かボロを出すかもしれない。そんな思いで事情聴取を行う。でも彼の口から紡がれるのは、暖かな信頼だけだった。その目は優しさに満ちていて、私は、彼の事を知りたいと思った。
そして3つ目の嘘をつく。
調査を称した遊びだ。デートとは違う。でも彼とこうやって戯れているうちは、自分の死期なんて忘れて純粋な少女の気持ちで遊べた。コーヒーカップで酔っている姿がとても面白かった。
色々なアトラクションを回っているうちに観覧車に乗ることになった。高度が上がり空に近づく。その時に、わたしは、しきを、おもいだした。
そこからはひどいものだった。一方的に自分の醜さをぶちまけた。自分の寿命も、先輩への憎しみも、全て溢れてしまった。それなのに彼は対話を求めた。
「どうして僕を」
「……質問は受け付けません。」
あなたが優しかったから。その言葉は、遂に言えなかった。
ふと気づくと、周りは真っ暗で私は何も考えずに走り続けていたと理解した。私と彼は出会って少ししか経っていない。その中に感情なんて入らない。そうやって自分に嘘をつく。
もう嘘をつく自分に耐えられなかった。今すぐ消えたかった。早く死期が来て欲しい。今だけは死神との出会いを切望した。
この言葉すら、嘘なのに。
「……うぁ?」
目を覚ますと私は白いベッドの上で眠っていた。何かつまらない夢を見ていた気がするが、気のせいだろう。
「起きたかい?寝坊助くん。」
「!?」
そこに先輩が立っていた。
「君の死因は急性の心臓麻痺だったよ。しかしそれは幸運とも捉えられる。現に事故死とかだったら助からなかっただろうし……神というものが存在すると仮定するならば感謝しないとね」
「私は、死んだんですか?」
「そうだね。あの道は人が通らない裏道みたいなものだからね。発見が遅れて、死亡って所かな?」
困惑する。どうしてここに居るのか。
「君の運命を変えたんだよ。権力ってやつでね。」
「……そうですか。」
「ん?」
「どうして、どうして私を助けたんですか!??」
涙が止まらない。私は嘘をついてきた。それも沢山の。誰かが許しても、私の魂が許さないのだ。
「私はあの時に死ぬべきだったんですよ。それなのに……余計なお世話です!」
「……それでもいいよ。君は私の願いを叶える助けになってくれた。そんな君への私からのささやかなプレゼントさ」
「そんなもの……!!」
「どうか、幸せに」
そんな言葉を残して、私を置いていく。その後ろ姿は、得体の知れない怪物に見えた。
「どうだった?」
「酷く錯乱していたよ。無理もない。」
病院の外にあるベンチに腰掛ける。外には桜のつぼみがちらほらと咲いていた。
「旅人くんも会えばいいのに。どうして会わないんだい?」
「……なんかきまずい」
「それでも会っておくべきだよ。私からの助言さ。」
「……辞書さんには助けられたな。」
事実、日比野がいなければ紀野朱里は死んでいた。まさしく命の恩人と言うわけだ。
「別に大したことじゃない。私の最後の親切さ。彼女はそれを望んでなかったけどね。」
「……最後の親切ってどういう事だ?」
それを言わせてはならない。その経験があったのに僕はまた判断を間違えた。
「ん?言ってなかったっけ。私、冷凍保存されるんだよ。」
そうして話は、彼女の過去に遡ることになる。
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