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7 私の名は天才
私が人と違うと確信を持ったのは、3歳の時に高校レベルの数学を全て修了したときだった。
親の平凡な愛情を受けて育った私は、叔母から冗談で渡された数学の教科書を全て解き終えた。それからだろうか。私に向けられる目線があまり心地よくないものに変わっていったのは。
「広辞苑ももう終わりか…」
読了し終えた広辞苑を本棚にしまうと、ため息をつく。世の中の仕組みやレゾンデートルについての検証を終えた今、することもなかった。
「たまには外に遊びに行ってみるか。」
家を出て、近所の公園を目指す。6歳になってやっと公園に行くことを覚えた。行く理由は特にないけれど、近所の遊び場なんてこの辺りにはほとんどないのだ。図書館の本も今の私には知識の足しにもならない。私は既に成熟しきっていた。
公園に着くと、沢山の児童が公園ではしゃぎ回っていた。あんなに走って何が楽しいのだろうか。私はベンチに腰に下ろすと、生と死の定義について考え始める。答えのないような問いを考えるのが、私の趣味だった。
少し時間が経ってふと目線をやると、同年代の児童が1人、私の隣に座っていた。手元に持っているのは何かのゲーム機で目が眩む。
煩わしくなって、たまらず声をかける。それも、皮肉をたっぷり込めて。
「君、目が死んでるね。」
「お前もな。」
そうしてまたゲーム機に目を落とす。私は酷く混乱した。私の皮肉が通じなかったのだろうか。年齢によってその心を守ったのだと、私はそう解釈することにした。
「樹ー!こっち来いよ!」
「今から鬼ごっこだ!お前鬼な!」
6人位の男子グループがこっちに声をかける。樹、と呼ばれた児童は「今行くわー」と気だるげそうに返事する。そうしてゲーム機をしまうと、
「お前も友達見つけろよ」
と言って去っていった。
私はその日を屈辱の日として心に刻んだ。
それから私の思考はあの児童ーー改め樹に向けられた。あの生意気なガキをどうにかして締めあげなければと決意する。それから私は公園に行く頻度が上がっていった。
「君は生と死の概念について興味はあるかい?」
「なんだそれ。食えるのか?」
樹は動じずいつものゲームに精を出している。私はため息をつくと、いつもの思考実験に脳のリソースを割く。彼の弱音を引き出す更なる一手を考えていると、樹から話しかけてきた。
「そういえば、お前の名前何?」
「え?」
「だから名前だよ。いつまでもお前って言いずらいだろ。少しは考えろ」
馬鹿扱いされた気がして少しイラッとしたが、何とか耐えて声を紡ぐ。
「私の名前は日比野未来だ。よろしく、樹くん。」
「ん?名前教えたっけ?」
「私はなんでも知っているんだよ。何か質問があればなんでも聞きまたえ」
樹は特に表情を変えずにはにかむ。
「へー。辞書ってことか」
「そうだよ。私は辞書だ!」
家が隣にあることを話すと、「本当になんでも知ってるな。」と驚かれた。樹を尾行して突き止めたことは内緒だ。
「じゃあよろしくな辞書さん」
「私こそよろしく。樹くん」
これが私たちの友情の始まりだった。
「おじいちゃん」
「……よく来てくれた。感謝するぞ」
病院の院長室に、祖父は佇んでいた。
「早速だが、君の寿命の話だ。」
私は祖父に頼んで自身の寿命の鑑定を依頼していた。自分の寿命の限界を知りたいという探究心が私を突き動かしていた。
「君はあと75年生きられる。まずはおめでとう。」
その言葉を聞いて私は安堵する。これで具体的な人生のプランを立てることができる。すると祖父は私に語りかけてくる。
「未来。君の才能を、もっといいことに使わないか?」
「……どういう意味だ?」
「君の賢明さは私も聞き及んでいる。だが、それ故に勿体ないのだ。」
「勿体ない?」
「ああ。君の才能は、この現代では活用することができない。君の素晴らしさについていけないんだ。」
「……」
無言で会話を拒絶する。大体、私と祖父は今日初めて会話した。親戚の集まりにも顔を出さない人で、手先が不器用という情報を父に聞いた事くらいだ。まるで私の事を全て知っているかのような態度に怒りが募った。
「そこでだ。君を冷凍保存したいんだ。」
「……?」
「ん?伝わらなかったかい。今風に言うとコールドスリープっていうのかな?」
コールドスリープ。それは肉体を低温状態に保ち、肉体の老化を防ぐ装置だ。そんなものはSFの世界にしか存在しない。少なくとも私はそう思っていた。
「最近やっと開発が一段落してね。政府の方にも打診したんだけど、なかなか受け入れられなくてね。」
「……才能を生かす、とはどういうことだ。」
私は冷静に話しかける。有り得ない、と頭ごなしに否定するのは簡単だ。しかし、祖父の超然とした態度、自信に満ち溢れた表情から、情報を聞く余地があると判断する。私は失敗しない。
「ざっくり言えば、君を100年後まで凍らせるんだ。1世紀後の科学の中に君がいれば、人間のテクノロジーは格段に進歩するだろう?」
「私はただの小学生だ。そんなことする価値は無いはずだ」
「……君の両親には許可を取っている。あとは君の了承だけなんだよ……」
私の矢継ぎ早の質問に飽きたのか、祖父は答えない。
「私は売られたのか」
「売ったなんてとんでもない!彼らは未来のためにその決断をしたんだ。むしろ誇るべきことだよ!」
私は両親に酷く絶望する。家族愛など少しでも信じなければよかったと後悔する。そうすればこの胸のつかえもなかったのに、と。
「……私はそんな事しない。他の希望者を探すんだな」
そういって院長室を後にする。去り際の一言はなかった。
「どうした?なんか浮かない顔だな。」
「……なんでもないよ、樹くん」
小学校の退屈な授業を終え、公園に行くと彼がいた。手には、何かの楽譜を持っていた。
「その手に持っているものはなんだい?」
「これか。ピアノの楽譜だよ。親が無理やり行けって言うから仕方なくな」
そう言っているが、手には夥しい量の血豆があった。曖昧な努力では到底つかない傷だ。
「君はすごいな、ちゃんと努力を継続している。なかなかできない事だよ。」
「そうかな。自分次第じゃないか?」
そんな風に会話をしていると、近所から悲鳴が聞こえた。そして焦げ臭かった。
「……なんだよあれ!!!」
公園で遊んでいた子供が目を見開いて震えている。その目線を辿ると、家が燃えていた。
家が、燃えていた
「危ないですので、下がってください!」
見慣れた消防服を着た消防士が、近所の野次馬に制止の声をかけていた。
「一体これは……」
私の家の三つ隣の小洒落な家から、出火が起こっていた。あの火の巡りから察するに、短時間に勢いよく燃えているらしい。
「これはこれは。大変だ」
ふと目を見やると、そこには祖父がいた。目線は今も燃ゆる家に向けられていた。
「風向きが良かったなあ。風向き次第では、君の家も危ないだろうに。」
その顔は笑っていて、あまりの怪しさに私は気づいてしまう。
「まさか、貴方が……!!」
「ん?なんの事かな?知らんなあ?」
否定の言葉を述べているが、その顔は明らかにこの事件に関与している顔だった。
「所で、君の友達の家もこの近くにあるのかな?確か名前は……川村樹だったかな?」
合っている。そしてその情報を何故持っているのか。そして理解する。これは脅しなのだ。彼の思惑通りに動かなければ、周りに被害を与えると、そう言っているのだ。ならばーーー
「私を警察にリークするなど考えない方がいい。私には政府の後ろ盾がある。君のか細い言葉など、かき消されるだけだ。」
遂に隠す気も無くなった犯人は、私に抵抗するなと言う。
「……今すぐ病院に来てくれ。準備は出来ているんだ」
私にこの不条理に抵抗する力はない。このまま祖父の言葉を飲み込もうとして……
「何の話してるんだ。混ぜてくれよ。」
そこに私の友達が現れた。私の走りに追いつけなかった彼が、やっと現れたのだ。
「……おじいちゃん」
「なんだい?」
私は決心した。
「少し猶予が欲しい。今、家で大事な研究をしているんだ。せめて、高校を卒業するまで待って欲しい」
本当はそんな研究なんてしていない。でも嘘をつかないと、樹と離れてしまう。それだけは、耐えられなかった。だってーーー
「知識は持たせて置くべきか……」
何かぼそっと呟かれたが、何も聞こえなかった。
「分かったよ。君の意見を飲み込もう」
「……ありがとう、おじいちゃん」
そうして祖父は去った。そして最悪の願いを思ってしまった。
高校を卒業するまでに、祖父が死んでくれればいいのに、と。
結局、家事は5棟に燃え移った。風向きのおかげで私と樹の家には被害が及ばなかった。
私は、樹と関わるのを辞めることにした。離れるのは苦しいが、彼が私のせいで傷つけられるのは、もっと耐えられなかった。
私は、祖父についた嘘を履行するために、実験に明け暮れた。
「この式を応用すれば……」
研究の合間にふと窓を見やると、カーテンの隙間から、樹がそろばんの練習をしていた。
移ろい行く季節の中で、私が見た限りだと、小説、絵画、勉強、パソコン、ピアノなど多岐に渡った練習をしていた。窓で遠目に見ていても、樹の技術は優れているように感じられた。しかし、
「妙だな……」
樹は時折、激しく怒っていた。そして今している練習をやめた。彼は何に怒っているのだろうか。まさか、才能がないとかそんな低俗なことで悩んでいるはずは無い。そう思えるくらいには、私は樹に絆されていた。
「退屈だな」
中学校に入っても、私たちの関係は変わらなかった。樹はどうやら、中学受験をしたらしかった。同じ教室にいるということはそういう事だった。
私に友達はほとんど出来なかった。私の噂を知っていて、崇高の念を持っている人が多すぎた。私はそんな大層な人間じゃないのに。
樹は友達とよく話している。でも楽しそうじゃない。両者共に灰色な3年間が瞬く間に過ぎていった。
「……辞書さん」
私たちが9年ぶりに声を交わしたのは、やっぱりあの公園だった。桜を見ようと立ち寄ったのだが、思わぬ収穫だったと思う。
「久しぶりだね、樹くん」
無言なまま、時は流れる。それほど9年という歳月は私たちにとって重いものだった。
「……なあ」
「……なんだ」
ずっと聞きたかったことを、彼にぶつける。
「樹くん。どうして人は死ぬと思う?」
この問いは私からの挑戦状だ。そして彼なら答えてくれると思う。君は、すごい人なのだから。
「……重い質問だな。分からないよ。俺が知りたいくらいだ」
「知らない…か、旅人みたいだな、君は」
「旅人?」
「何となくそう思っただけだよ」
そうして、また沈黙がーーー
「その、好きな食べ物とかあるか?」
樹が気遣ってくれる。それがたまらなく嬉しい。
「……食べれればなんでもいいが、マグトはダメだな。あれは味が濃すぎるし健康に悪い」
「マグトは美味しいだろ」
そんな会話をしていると、時間が来てしまった。家に帰る時間だ。
「それじゃあな」
「またな、辞書さん」
そうして公園を出ようとして、ふと呼び止められる。彼の頬は何故か赤かった。
「その、俺たち同じ高校に通うだろ。だから、その、」
「一緒に学校行こうってことかい?」
「……そうだ」
こんなに照れる彼も珍しい。
「いいよ、別に」
「……いいのか?」
彼は困惑していた。私こそ困惑したいのに。
「じゃあよろしく、旅人くん」
「うん」
そう言って彼ははにかんだ。その顔を忘れることは、例え100年経っても無いだろう。
彼との関係を修復すると、高校生活は順調に進んだ。友達も数人出来た。きっと樹の人望の余波が私にも来ているのだろう。
そんな毎日に、闇は後ろから忍び寄る。
寿命の検査日が近づいていた。
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