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1 辞書と旅人
『運命』をみんなは信じるだろうか。赤い糸が恋人を繋ぐみたいなそういう意味の運命だ。運命は人からは見えないーーーなんて常識はこの世界ではとっくに崩れ去っていた。
とある研究結果が人々の心を貫いた。それは馬鹿らしくて、陳腐な夢物語みたいだった。
それは、これからその人間が何年生存することができるかを可視化する、というものだった。初めは誰もが笑った。そんなことは有り得るはずはない。ふざけるなと誰もが思った。
その研究者が自身の『運命』を語って、その通りに死んだ事で、その笑い話は現実になった。この世界的な出来事は、今から30年前に実際に起きたことだ。
「検査、するのか?」
父は下を向きながら尋ねる。
「当たり前だろ。それが正しいんだから」
日本では、寿命の検査が始まった。それは自身の寿命が後何年あるかをを検査するというものだ。自身にこれから何が起きるかも分かるらしいが、それは伝えられないらしい。ただ寿命の年数だけを知らされるのだ。
「樹、父さんは反対だ。そんなこと知りたくもない。母さんもそうだろ?」
「私たちは心配なの。あなたがもし短命だと分かったら、私、私……」
母は泣き出した。
高校二年生になると、僕達は寿命の検査に参加するかのアンケートを取る。当然、辞退する人もいるが、約9割がその検査に参加する。
この検査が日本で運用され始めた時、当然反対運動が起こった。それは当然だろう。寿命なんて知りたくもない人がその当時は大半だったらしい。その年の参加率は2割を切った。
この参加率が今のようになったのは、とあるSNSにインフルエンサーが一言書き込んだからだ。
『自分の運命知らんの、ダサすぎんかww』
この一言で参加率は飛躍的に向上した。結局世論などそんなものだ。有名な人物が一言それらしいことを言えば、大衆はそれに従う。そのインフルエンサーが短命だったのは皮肉でしかないが。
「受けるのは変わらないから。じゃあ。」
「おい、樹!!」
僕は自分の部屋に閉じこもった。僕は僕の運命を知りたい。それの何がいけないというんだろう?
「樹、お前どうすん?」
「どうすんって、何が?」
「だから検査だよ。もちろん受けるんだよな?」
「当たり前だろ。」
そんな話題がこの教室ではもちきりだった。寿命を他の人に伝えることは禁止されている。それが原因でいじめに発展したケースがあるらしい。
「樹は寿命長そうだなー!」
「かもな。」
なんて答えるが、実を言えば僕は寿命なんてどうでも良かった。むしろ短ければいいなとすら思っていた。
僕は生まれてから様々な事に挑戦した。習字やピアノなど習い事は欠かさずしたし、小説や絵画にも挑戦した。でも、僕のどの分野でも才能を見出すことはなかった。おそらく一生を1つの事に費やしても、二流止まりだろう。それだけ色々な事に挑戦して来たのだ。
僕はよく生きる意味について考えた。何の才能も無い人間は生きていていいのだろうか?そんなことをよく思った。それから僕は自身の命についてあまり頓着しなくなった。僕に生きる価値はない。ただ死にたくないから生きるだけだ。
「次の方どうぞー。」
検査の日だ。父と母を何とか説き伏せて書類に判子を押してもらった。2人とも最後まで渋っていたが、僕にとっては不思議でしか無かった。今では運命は様々なシステムに応用されている。保険会社は寿命を確認するし、最近では『運命詐欺』なんてものも流行っている。寿命を伸ばす方法が見つかったから投資してくれと迫るのだ。寿命は人々のインフラの奥深くまで侵攻していた。
「こんにちは。今から検査を始めます。」
病院の一室は消毒液の匂いが漂っていて、ここが病院であると強く知らせる。医師の机の上は散らかっていて、あまり器用な性格ではなさそうだった。
ちょっとしたカウンセリングが終わると、血液を取って検査は終了した。血液で寿命が分かるのか不思議だったが、考えるだけ無駄だろう。きっと説明されても、理解できないからだ。
「痛かったな……」
血液を取る時に2回も刺し直されてしまった。手が不器用な医者もいるものだ。その不器用な医者が言うことには、検査の結果が出るまで2週間程度かかるらしい。検査の結果が待ち遠しかった。
「樹、次の授業何?」
「次は英語かな」
「まじかよー!答え見せてくんね?」
「いいけど、ちゃんとやって来いよ?」
「ありがとう!次は絶対にやってくっから!」
そういって必死に答えを書き写す友達は、今学期だけで6回同じことを言った。治る見込みは到底なさそうだった。
「樹くんー!今日ヒマ?」
「いや、暇じゃない。」
「樹!今日うちでゲームしないか?」
「今日は予定が…悪いな。」
高校で身の振り方を弁えたら、友達が沢山増えてしまった。僕に何の魅力があると言うのだろうか。これは『辞書』に聞くしかない。
「『旅人』くん、一緒に帰ってもいいだろうか?」
「好きにどうぞ、『辞書』さん。」
そういって笑いかけてくる『辞書』こと日比野未来は僕が1番憎んでいる幼なじみだ。髪は黒く、結ぶことを放棄していた。見た目はとても可憐で、まるで人間じゃないみたいだった。
彼女は僕とは違って才能があった。むしろ才能しかないといってもいいくらいに、才能に恵まれていた。
彼女はテニスも卓球もサッカーも野球もソフトボールもクリケットもホッケーも空手もピアノも習字も勉強も全て一流のものを持っていた。しかもタチが悪いのが、初めての経験でも彼女はすぐにコツをつかみ100点以上の動きをすることだ。隣でそれを見続けていた僕は彼我の実力差に何回も泣いた。悔しくてたまらなかった。
彼女は僕達が初めて出会った6歳の時から何か人と違うものを漂わせていた。どこか大人びたような達観した目をしていた。
「君、目が死んでるね。」
この一言が出会って最初の言葉だった。この怪物とお隣さんでなければ、こうやって会話をすることもなかっただろう。
僕達は互いに『辞書』と『旅人』と呼び合っている。すぐに答えを知りたがる僕を彼女は旅人と揶揄し、知りすぎているくらいに全てを知っている彼女を僕は辞書と揶揄した。僕達は犬猿の仲で、月とすっぽんだった。
「辞書さんは、検査受けたのか?」
「私は寿命なんて気にしないが、親が受けろとうるさくてな。結局受けることにしたよ。」
「そうか。」
そんな当たり障りのない会話を続ける。僕は彼女に自分が何も無いことを悟られたくなかった。彼女と対等に話すためには、それは絶対条件だった。
「旅人くんは、友達が多いな。」
「そんなにだよ。友達は量じゃなくて質が大事なんだ。親友が1人いればいいのさ。」
「じゃあ、その親友は私だな。」
「辞書さんは腐れ縁だよ。冗談言わないでくれ。」
「ふむふむ…腐れ縁か…」
彼女は悩んだ振りをして笑いかけてくる。その動作が癪に触る。完璧な人間には凡人の僕の悩みなど歯牙にもかけないのだろう。その無邪気な顔が僕の感情をささくれさせる。
「じゃあ君の奥さんだな。」
「はあ…そんなわけないだろ。天地がひっくり返ってもありえないよ。」
「私は結構本気なのにな……はあ」
こんな冗談を真に受けても仕方ない。ただでさえ彼女は美しいのだから、油断すると好意を持ってしまうかもしれない。気を許す訳にはいかなかった。
「それじゃここで。またね旅人くん。」
「……それじゃ、辞書さん。」
こうして家に帰るとき、名残惜しくなるのは何故だろう。考えてもどうせ分からないと、思考を放棄した。
「宿題進んでるかい?」
「……進んでるから電話切るよ。」
家に帰っても彼女は電話で、ちょっかいをかけてくる。彼女は何がしたいのだろうか。
「私は君と話したいんだよ。ウサギは寂しすぎると死んじゃうからね。」
「君は人間だし、寂しがり屋でもないだろ。」
「旅人君はほんとにユーモアが通じないね。」
「ユーモアって食えるのか?」
そんな会話が続く。自称進学校の僕の高校では、宿題が多く出される。今もそれに押しつぶされそうなのに、彼女は余裕だ。きっと既に終わらせたのだろう。
「どうしてこんなに違うんだろうな……」
「ん?何か言ったかい?」
「なんでもない。」
明日の登校は時間を遅らせて登校しようと固く決意する。そうしないと彼女に出会ってしまうかもしれない。ジェラシーに押しつぶされるのは御免だった。
2週間が経って、検査の結果が分かる日がやってきた。僕の人生にあと何年猶予があるのか楽しみだった。できるだけ短い寿命であることを近所の神社にお祈りしてきたし、準備は万全だ。その結果は…
「君の寿命は80年でした。良かったですね。」
「…はあ」
僕の寿命は80年だった。今16歳だから、あと64年と言うところか。僕は本格的に自分に絶望した。どうしてこんなに生きなければならないのか。運命を呪った。願いとは往々にして叶わないものだ。
「樹!あと何年だった?」
翌日の学校でそんなことを聞かれた。他の生徒もほとんど検査を終えたらしく、浮かれている人、落ち込んでいる人、多種多様だった。日比野は学校を休んでいた。嫌な予感がした。
「別に。普通だったよ。」
「そうか!俺は……」
「言わなくていいよ。」
そういって場を制す。寿命の自慢なんてするものじゃない。しても不毛なだけだ。
それよりも僕は日比野のことが気になった。今まで休んだことがないのに、何もなければいいが。
日比野は翌日に学校に来た。様子は変わらず、いつも通りだった。何もなかったのならそれに越したことはない。あの笑顔を見る限り取り越し苦労だったようだ。
昼食になって、僕は屋上に逃げ込んだ。教室にいると一緒にご飯を食べようと言ってくるのだ。優しいクラスメイトだけど、僕は1人が好きだった。
「先輩。」
声が聞こえて咄嗟に身を隠した。見てみると、日比野と1人の後輩が何か話していた。せっかくの食事の時間でお腹がペコペコだ。聞き耳を立てると、時間が凍りついた。その一言はそれほどの破壊力を秘めた大砲だった。
「先輩、噂で聞いたんですけど、寿命が180年あるって本当ですか?」
有り得なかった。そんな噂が出ているのもおかしいし、どうやって人類の最長生存記録を大幅に塗り替えることができるのか。矛盾しない点を探す方が難しかった。
「本当だよ。」
その一言はその数多ある矛盾点を吹き飛ばすほどの力が込められていた。
「秘密にしていて欲しい。頼むよ。」
そうやって話す彼女は真剣そのもので、茶化す言葉が見つからなかった。
後輩が去って、僕は日比野に話しかけた。
「なあ辞書さん。今のは……」
彼女は、泣いていた。初めて見る彼女の涙に言葉が詰まった。
「明日なんて、来なければいいのに。」
彼女は呟く。その言葉の意味とはーーー
僕達の人生はここからゆっくりと加速していく。
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