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【最終回】あさひ (※微R15表現あり)
散々啼かされた後の微睡みから覚めて、じんじんする腰を擦りながらリビング迄来た。
ソファに座り喉を押さえて少しあー、と発声してみる。
やはり声は見事に涸れていた。
半日放置していたスマホを手に取る。
「…へぇ…。」
じっ、とスマホの画面を見つめる。
地元の知人のSNSで回って来た画像に目が釘付けになった。
だが、次には ふっと微笑んで、画面の中の青年に呟く。
「良かったな…緋夜。」
病室のベッドでリラックスしたような穏やかな表情で、緋夜は赤ん坊を抱いて笑っている。
写真を撮影したのは、きっとあの夜に見た、緋夜の番になった青年なんだろう。
離れたのは間違いじゃなかったのだと、春樹は思った。
緋夜が今、幸せになれたならそれで良い。
緋夜が自力で立ち直り、掴み取った未来だ。
隣にいるのが自分なら、と何度も思ったけれど、そうではないのも、また運命なんだろう。
「幸せなんだな…。」
最後に会ったのは、もう1年も前なのか。
少し大人びたように見える。
子供迄産んだんだもんな、と春樹は感心した。
あの、俺が守り続けた小さな少年は、自分の知らない所でいつの間にか花開き、これからは子を育てるのだ。
感慨深い気持ちになる。
「春。」
後ろから首に長い腕が回され、一瞬、絡めとられるような錯覚に陥った。
その腕と指は春樹の顎を捉え、耳元に唇が寄せられる。
「あの坊や、赤ん坊産んだのか。こんなに細っこいのに、Ωってなあ不思議なもんだな。」
「女性だって産むじゃないですか。」
「だって女は強ぇじゃねえか。」
ソファに座っている春樹の前に周り、膝の上に乗る弥一。
やれやれ、と春樹は弥一の腰を支える。
弥一とこういう関係になったのは何時からだったろうか。
何時の間にか、本当に何時の間にか、弥一は春樹に寄り添っていた。
あの日、自分が弥一の所に残ると決めたのは、確かに弥一に惹かれていたからだけれど、αの男性同士だ。
それがまさか、一線を超える事になるとは…。
けれど、弥一の傍は存外に居心地が良い。
甘やかしてくれるし、絶妙に甘えてもくれる。
年下の緋夜に甘えられるばかりだった春樹にとって、歳上の、しかもαの男との付き合いもセックスも、刺激的だった。
今では弥一の煙草臭いキス1つで、条件反射で勃ってしまうので よく弥一に揶揄われている。
「まあ、この坊やが幸せそうにやっててくれてホッとしたわ。」
あの後、緋夜の事を事の他気にかけていた弥一は、見舞金を持って緋夜の両親に謝罪に行ったという。
自分の目が行き届かず、妹が迷惑をかけた事を詫び、頭を下げ、かなりの大金を治療費として差し出した。
もし必要ならば、良い医師を紹介する用意もある、と。
緋夜の頬の火傷は、皮膚移植を重ねればある程度の状態迄は戻せる筈。本人が望むなら、手術費用など全てを負担すると、弥一は提案したのだ。
けれど、固辞されたという。
それは緋夜本人の意志だったらしい。
緋夜にしてみれば、弥一が謝罪する事ではない。それでも身内のやった事への責任として謝罪してくれたその気持ちは受け取るが、お金は受け取れない。
今現在、治療を考えていないし、将来的に考えるかもしれないけれど、そのアテはもうあるから、と。
「どうやらあの坊やの番も、なかなかの遣手のようだな。」
「頼もしいですね。」
「坊やは安泰だな。」
そんな話をした。
「春、お前の人生も、変えちまったなァ。」
「そんな事もないですよ。」
春樹は実家にも戻らず、今年大学を卒業して弥一の補佐についた。
以前迄考えていた一般企業では、ない。
これから春樹の手も、少なからず汚れていくかもしれない。
弥一と生きる為に。
それでも、春樹ももう、選んだのだ。
この先二度と、自分がΩを抱く事は無いだろうと春樹は思った。
覚のマンションは、赤ん坊が来てから一気に賑やかになった。
緋夜と付き合う前迄は、番になれても暫くは2人きりで甘い結婚生活を送りたいな~、なんて考えていた覚だったが、緋夜を抱いた途端に緋夜を孕ませたくて孕ませたくて仕方なくなった。子供が欲しい。
とにかく、子作りしたい。
自分と緋夜の子供を見たい。
緋夜だって、中に出して出してと覚を煽ったのだから、意見は一致していた筈だ。
それで、当然のようにデキた。
覚は幸せで仕方なかった。
自分で思ってたより、温かい家庭ってものに憧れていたのだろうか、と考えてみたりした。
でもよくわからない。
只のαの本能なのかもしれない。愛するΩに自分の子を宿して欲しい、という。
緋夜は妊娠中は少し不安そうだったが、覚のフォローで徐々に落ち着いて、無事男の子を産んだ。
緋夜と赤ん坊がマンションに戻って来てから、覚は頑張った。
未だ思い通りに体の動かない緋夜の為に消化の良い食事を作り、部屋を片付け、夜中の2時間毎に授乳も、緋夜を起こさないようにミルクを飲ませ、ゲップ迄出させる。
育児が始まってみて初めて、自分がαで体が強い事と、在宅ワークにしていて良かったとつくづく思った。
今夜も覚は寝ている緋夜の頬にキスをして、赤ん坊の頬に頬擦りをする。
赤ん坊はミルクの匂いがして、柔らかい。
むずがる時は少し高い高いしてみたりすると、もう笑うのだ。
育児は思ってたより大変だなと、覚は仕事で遠方にいて、一度だけ赤ん坊を見に帰ってきてくれた父を思った。
母という番を亡くし、孤独の中で覚を育てた父。
緋夜は生きていて、赤ん坊も元気で、自分は本当にラッキーだと覚は思う。
眠る緋夜を起こさないように部屋を出て、リビングで赤ん坊をあやす。
カーテンを引くと、少し白みかけた空が見えた。
「ほら、見てごらん」
むずがっていた赤ん坊の茶色い瞳が、東の空から僅かに見え始めた光を映して煌めいた。
「陽が昇るよ、旭。」
それは、どんな人生にも、必ず朝日が昇るようにと、2人が祈りを込めて付けた名前だ。
[完]
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