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お母さんによると、『パティスリー NOHARA』を経営している野原夫妻の、真子おばさんの方が自転車で転んで骨折したという。
真子おばさんは自転車で買い物をしていて、転んだはずみで大腿骨の何だかというところを骨折したらしく、手術して治す必要があるので病院に運ばれたそうだ。
しばらくの間、1ヶ月程度は入院が必要で、退院した後もうまく歩けないためリハビリ生活が続くと言う。
真子おばさんの夫婦は子供がいないので『パティスリー NOHARA』は、野原おじさんがケーキを焼き、真子おばさんが接客をして、夫婦2人だけでお店を経営していた。
そこで真子おばさんが入院するとなると、接客する人がいなくなる事態に陥る。
『パティスリー NOHARA』としては非常事態だった。
何はともあれ、真子おばさんの入院の手筈を整えるのに、事故のあった当日とその翌日は『パティスリー NOHARA』は臨時休業にして、野原おじさんが入院の手配に全力を傾けた。
しかし、いつまでも臨時休業している訳にはいかない。
そこで営業再開に向けて、隣駅に住む我が和泉家に、ヘルプ(店頭販売員)を出してくれないかと野原おじさんから要請があった、という訳だ。
きちんと、働いた分のバイト代は出すとのことだった。
野原おじさんからの要請を受けて、我が和泉家では誰がバイトに行くのか話し合われた。
父は会社員、母はパートだが週4で工場に働きに出ている。
妹の結菜は、毎日チアダンス部の部活だ。
そうすると、帰宅部で暇を持て余している私が『パティスリー NOHARA』の売り子を、バイトとしてお手伝いする話でまとまった。
私が火曜日から土曜日までの5日間を担当して、お母さんに日曜日を担当してもらった。月曜日は定休日だ。
でも『パティスリー NOHARA』で働けるなんて、私の将来の夢に一歩近づけたような気がして、悪い気分などはさらさらなく、むしろ楽しみなくらいだった。
そんな訳で私は、学校が終わった放課後に、東国府高校から国府駅を反対側に抜けた『パティスリー NOHARA』に出勤し、バイトを始めることになった。
きっと、真子おばさんのケガが治って、リハビリが終わるまでの間なのだろうけれども。
私がバイトに入るのは、野原おじさんに時間の余裕を作るためだったので、私がバイトに入ったら、基本的に野原おじさんには真子おばさんの病院へお見舞いに行ってもらいたかった。
真子おばさんだって、病気じゃなくてケガなのだから、頭はいたって元気なはずだ。
だからきっと、1日中 1人でベッドに拘束されていたら、それはそれは気が狂う程に退屈だろう。
野原おじさんは、できるなら毎日1回、真子おばさんのお見舞いに行くべきだ。洗たく物だって、交換する必要がある。
だから私は、バイトを始めて3日目にして1人で店番することを厭わず、野原おじさんに病院にお見舞いに行ってもらうことにしたのだ。
その後も、基本的には私がバイトに入ったら、野原おじさんには午後4~5時くらいに病院にお見舞いに行ってもらって、午後7~8時くらいに店に帰ってきてもらうようにした。
『パティスリー NOHARA』のエプロンはとってもオシャレで、私は気に入っていた。
きっと、真子おばさんのセンスがいいのだろう。
私は制服の上にそのオシャレなエプロンをつけて、ケーキカウンターの後ろに立ってにこやかにお客さんを待つのが好きだった。
それは、とてもケーキ屋さんらしい仕事だと思った。
ほんとうに、私の夢に一歩近づいて行っているような気がした。
◆◆◆◆◆
そんな感じで私はバイトを始め、しばらくして少し慣れてきた頃のことだった。
野原おじさんは病院に出かける間際、ケーキカウンターでお客を待つ私に声をかけてきた。
「夢ちゃんには、ほんとうに助かったよ。真子が入院して、すぐに急なバイトをお願いして、依頼に応えてもらって・・・」
「あ、いえ!私、昔からケーキ屋さんで働くのが夢だったので、むしろよかったです」
私は、野原おじさんには気を遣ってほしくなかった。
「あ、そうなんだ。ケーキ屋で。じゃあ、夢ちゃんは家でケーキを焼くの?」
「まぁ、いえ・・・家ではクッキーくらいしか焼かないんですけど」
「でも、クッキーは焼くんだ。じゃあ、夢ちゃん。ウチのクッキーの焼き方を、教えてあげようか?」
「え?いいんですか?」
本職のケーキ屋さんのクッキー。
実は、私の焼くクッキーと、プロの焼くクッキーの味は、全然違うのだ。
もちろん、プロの焼くクッキーの方が段違いにおいしい。
せっかく企業秘密を明かしてくれるのだ。私には、これを断る理由がなかった。
そうして野原おじさんには、真子おばさんのお見舞いから帰った後、閉店後の厨房でクッキーの焼き方を教えてもらうことにした。
野原おじさんがお見舞いから帰ってきた午後8時ごろ、私たちは厨房に火を灯し、クッキーを焼く準備を始めた。
野原おじさんが見せてくれたクッキーの焼き方は、衝撃的だった。
それは私が持っていたクッキー作りの常識を、180度覆すものだった。
野原おじさんのクッキーの焼き方は、概ね次の手順だった。
・冷蔵庫で冷やした、冷たいバターを使う。
(私は、室温に戻して柔らかくしたバターを使っていた)
・フードプロセッサーを使い、バターと粉と砂糖を混ぜ合わせる。
(私は、ボールと木べらを使って材料を混ぜていた)
・クッキー生地が、まだゴロゴロとした大きな塊になっているうちに取り出す。
(私は、しっとりなめらかなペースト状になるまで混ぜていた)
・クッキーの型を抜いて、メッシュ素材のベーキングシートを敷いた天板に並べる。
(私は、つるつるのクッキングシートを敷いた天板に並べていた)
・あらかじめ170℃に予熱しておいた業務用ガスオーブンで、160℃で12分、次いで向きを変えて8分焼く。
(私は、家庭用電気オーブンで、180℃に予熱して、180℃で20分焼いていた)
このように、ケーキ屋で作るクッキーの作り方は私の常識を180度覆すものだったが、その中でもいちばん衝撃的だったのは『無塩バターを冷たいまま固形で使う』ことだった。
どんなクッキーのレシピを見ても『無塩バターは常温に戻し、柔らかくしてから砂糖を加えて白っぽくなるまで擦り混ぜる』とある。
冷たい固形のバターだと、当然手では混ぜられないので、フードプロセッサーにかけて粉砕して混ぜ合わせる必要がある。
こんな技、フードプロセッサーがなかったら、できる訳ない!
そして、なんとクッキーの材料も違っていた。
バターはスーパーで売っているような『無塩バター』ではなく、『無塩発酵バター』というものを使っていた。
通常のクッキーのレシピでは『薄力粉』を使うことになっているが、野原おじさんは『リスドォル』と書かれた準強力粉を使っていた。
どうもこの『リスドォル』は、フランスパン用の小麦粉らしい。
途中、バニラビーンズを入れたり、アーモンドパウダーを混ぜたり、プロらしいこだわりポイントもいくつかあった。
クッキーを焼く際に、私はつるつるクッキングシートを下に敷いて焼いていたが、野原おじさんはメッシュ素材のベーキングシートを使っていた。
『メッシュ素材』というところがポイントで、油分が下に抜けやすくなってよりサクサクに焼き上がるのだそうだ。
そして最後に、決定的に異なっていたのが、クッキーを焼き上げるオーブンだった。
当然、家庭用の小さな電気オーブンでなく、ケーキを焼くための立派なガスオーブンだ。
この立派なオーブンで、予熱をしっかり上げてからクッキーを焼き上げることで、冷たいクッキー生地を焼いてもオーブンの温度が下がらず、サクホロの食感で焼きあがるのだそうだ。
野原おじさんによると、冷たいバターも大きなポイントだが、このオーブンの良し悪しが最大の分かれ道らしい。
だって、そんな。
フードプロセッサーがなかったら冷たいバターは使えないし、業務用のオーブンがなければ、野原おじさんのクッキーは焼けない。
せっかく教えてもらったけど、こんなクッキー、家では焼けないじゃない!
もう私が作るクッキーと、野原おじさんの作るクッキーは、材料から作り方、調理器具の何から何まで違う、もはや別物だった。
それは、味に違いが出て当然だ。
このクッキーを焼くには、『パティスリー NOHARA』の厨房を使わなければ作ることはできない。何しろ、業務用のオーブンが最大のポイントであるからだ。
私は無理を承知で野原おじさんに、営業時間が終わった夜8時以降、この厨房を使わせてもらうことをお願いした。
だって、せっかく教えてもらったクッキーは、この厨房じゃなければ焼けないのだから。
それを聞いた野原おじさんが、一瞬優しげな表情になったのを見て、私は意外だった。
聞けば、野原おじさんのパティシエとしての修業時代も、働いていた店が終わってから、厨房に残って先輩シェフに教わったレシピを試して、腕を磨いていたそうだ。
私が閉店後に厨房を使わせてもらうお願いを、野原おじさんは『なつかしい』と言って、快く許可してくれた。
こうして私は、『パティスリー NOHARA』の厨房を使って、野原おじさん直伝の絶品クッキーを焼く環境を手に入れることができた。
そしてクッキーの材料は、私が使った分だけ申告し、実費でバイト代から相殺してもらうことにした。
野原おじさんは『材料代はもらわなくても良い』と言ってくれたけど、これは私の方から強力に支払いを申し出た。
いくら親戚だからと言っても、親しき仲にも礼儀あり、だ。
だって野原おじさんも、出来の悪い私にきちんとバイト代を支払ってくれているのだから。
そうして私は平日の放課後、学校が終わったら歩いて『パティスリー NOHARA』へバイトに行って、私が店に着くと野原おじさんが病院へお見舞いに行って、私は1人で店番をして、お見舞いから野原おじさんが帰って来た頃にお店を閉店する、そんな生活を繰り返すようになった。
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