第1章 快くん

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第1章 快くん

 私の将来の夢は『ケーキ屋さん』だった。  幼稚園の卒園式後の謝恩会で、園児がそれぞれ将来の夢を発表したとき、私の夢は『ケーキ屋さんになりたい』だった。  なぜって?  ケーキはとってもおいしかったからだ。  とろけるような幸せをもたらしてくれるケーキ。  私は、そんなケーキに囲まれて一生を過ごしたい。  幼稚園児だった私は、そんな風に思っていたものだった。  考えることはみんな同じもので、周りの女の子たちもこぞって『ケーキ屋さんになりたい!』と、仲間同士そう大合唱していた。  『ケーキ屋さん』は、その頃の女の子にとって大人気な『将来の夢』であり、私はみんなに取り残されないように頑張ろうと、少し焦ったものだった。  小学校のときの卒業文集では、私の将来の夢のタイトルは『ケーキ屋さんになりたい』だった。  理由は、先ほども言ったとおり。  ケーキが大好きだったからだ。  ケーキを食べると、この上なく幸せな気分になれる。  私は、そんなケーキが相変わらず大好きだった。  でもこの時点で、将来の夢が『ケーキ屋さんになりたい』という人は、他のクラスを合わせて見渡しても、私を含めて数人にまで減ってきており、  なおかつ、その夢は『ケーキ屋さん』ではなく『パティシエになりたい』と、周囲の子は呼び方もオシャレに変わっていた。  そんな中、私はやっぱり『パティシエ』ではなく、『ケーキ屋さん』になりたかった。  なぜって?  だって、ケーキ屋さんのケーキの方が、なんとなくおいしそうじゃない?  中学校でも卒業文集を書いた。  テーマは『10年後の私』。  10年後の私は、もちろん『ケーキ屋さんになっていたい』と書いた。  この卒業文集が出来上がって、配布された文集を見たときに気がついた。  このとき、『ケーキ屋さんになりたい』という将来の夢を語るのは、卒業生の中で私だけになっていた。  なんで私がここまでケーキ屋さんにこだわるのかと言うと、それは先ほど言ったとおり、ケーキが私を幸せの世界にいざなってくれることが主な理由だが、それに加えてもう一つ理由があった。  私の母方の叔父さん(野原おじさん)が、隣駅に『パティスリー NOHARA』という小さなケーキ屋さんを開いていた。  私は、野原おじさんの作るケーキが、いつ食べても絶品で、大好きだったのだ。  だから私は、野原おじさんみたいなケーキ屋さんになりたいと、常々思っていたものだった。  ◆◆◆◆◆  そんな私が高校2年生のとき、野原おじさんの急な都合で『パティスリー NOHARA』の売り子のバイトをすることになった。  その頃私は、都立 東国府高校に通っていた。  東国府高校と『パティスリー NOHARA』は、ともに東王田線の国府駅が最寄り駅だった。  ただし東国府高校は国府駅の北口から徒歩17分のところにあり、『パティスリー NOHARA』は南口駅前の国府紫暮商店街の中にあった。  私は、学校が終わった後ならすぐに『パティスリー NOHARA』まで歩いて行けた。  そういう事情もあって、私にバイトの白羽の矢が立った一面もあった。  そこで私は、火曜日から土曜日までの週5日、バイトをすることになった。  火曜日から金曜日の平日は学校が終わった放課後に、学校が休みの土曜日は午後からお店を手伝うことになった。月曜日は『パティスリー NOHARA』の定休日だ。  私は学校が終わると放課後、制服のまま『パティスリー NOHARA』に向かい、制服の上にエプロンをかぶって店番をする。  バイトが始まって最初の2日間は、私は野原おじさんと一緒に店番をして、最低限のお客さん対応を教えてもらった。  バイトを始めて3日目のこと、野原おじさんは病院に出かけてしまい、私は1人で店番をすることになった。  私はたった1人、お店に残された。  でもこれが、私に任された仕事だった。  お客さんが来たら、私だけの力で対応しなければいけない。  売っているケーキの名前や、値段は、まだ完全には覚えきれていなかった。  でもまぁ、ケーキの前には値札が掲げてあるので、お客さんが注文してきてもそれを計算すればよい。  この2日間の経験があれば、どうにかなるはずだ。  そんな私は、はじめて1人で店番をするドキドキと、ワクワクを抱えながら、ケーキカウンターの後ろに立ってにこやかにお客さんが来るのを待っていた。  しかし、しばらく待っていても、こんな小さなケーキ屋さんにはしょっちゅうお客さんが来るものではない。  思ったようにお客さんが来なくて、私は少しヒマしていた。  そんなときだった。  奇妙な配達員が『パティスリー NOHARA』に来訪してきたのは。 「こんちは~、お届けに来ました~」  そんな声がして『パティスリー NOHARA』のドアが開いた。  私は、やっと来たお客さんかと思って緊張したのだが、来訪者が荷物の配達員だと分かって、少し気落ちした。  しかし、その配達員の姿を見て、私は少しビックリした。  店の扉を開けて入ってきた配達員は、どう見ても小学生の男の子だった。  小学4~5年生くらいだろうか、男の子は、その小さい体の両手いっぱいに段ボールを抱えて、店員である私が声をかけてくるのを待っている。  段ボールでの配達なので、これはきっと、野原おじさんが注文したケーキの材料なのだと思った。  とりあえず私は焦った。  お客さんへの対応は、野原おじさんに一通り教わったが、材料の配達員への対応は、まだ3日目だったので教わっていなかった。  そうは言っても材料の配達なのだから、とりあえず受け取らなければいけない。 「あ、どうもご苦労さまです。品物はそこに置いといてください」  材料の受け取り方なんて、教わっていない。  どう考えても分からないので、とりあえず配達員の男の子には、ドアの横にでも段ボールを置いて、それで帰ってもらおうと思った。 「あれ、ここでいいの?厨房の中に持っていくんじゃないの?いつもは、そうしてるけど」  男の子が、不思議そうな顔つきで私をみつめる。 「あ、そうなんだ。じゃ、それでお願いします」  小学生の男の子に、敬語で話すなんてちょっとおかしい気もしたが、相手が配達員さんなのだから、とりあえず敬語で話さなければ。 「じゃ、失礼しまーす」  配達員の男の子は、両手に抱えていた段ボールを持って、店の厨房に入って行った。  変に厨房を荒らされても困るので、私もその男の子の後について、厨房に入った。  男の子が、段ボールを厨房の作業台の上に置いて、私の方を振り向く。 「ここでいいですよね?じゃあ、伝票にハンコお願いしまーす」  男の子が、私に伝票を差し出した。 「え?ハンコ?」 「ハンコお願いしまーす」  いやいや、野原おじさんにハンコの場所なんて、教わっていない。  しかし・・・男の子は慣れた手つきで伝票を私に差し出してきている。  そうか。  いつも来ているのなら、この子がハンコの場所を知っているかもしれない。 「えーと、ハンコの場所って、知ってる?」 「えっ?」  男の子が、私の意外な切り返しにびっくりする。 「いや、だから。いつも来てるんでしょ?だったら、ハンコの場所って・・・」 「お姉さん、バイトの人?」 「うん」 「来たばっかりなの?」 「うん。3日前」 「じゃあ、仕方ないね。ハンコじゃなくても、サインでいいから」  そう言うと男の子は、ポケットからボールペンを出して、私に差し出してきた。 「私のサインで、大丈夫かなぁ?」  ボールペンを受け取ろうとした私は、ちょっと不安に思って来た。 「私のサインで、大丈夫だと思う?」  いつも来ているという男の子に、私は意見を求めた。 「うーん。そっか」  男の子は、腕組みをして少し考え、そして言った。 「日南商会の立場からすれば、受け取ってもらえたら誰のサインでもお店に代金を請求しちゃうけど、こっちの野原さんにとってみれば、お姉さんが勝手に受け取ったものに、代金を支払わないといけないよね」 「あ、そうなんだ」 「だってお姉さん、これ注文したこと知らないんでしょ?」  男の子が、段ボールにポンと手を置く。 「これ、何?」 「卵」 「卵かぁ・・・ケーキ屋さんにとっては、生命線よね」 「じゃあ一旦、持って帰ろっか?」  男の子が、段ボールをもう一度担ごうとする。 「いやいやいや!キミがせっかく持ってきてくれたのに、持って帰ってもらうなんて悪いよ!卵なんてケーキ屋さんの生命線だから、きっと叔父さんが注文したんだよ」 「叔父さん?お姉さん、野原さんの姪か何かなの?」 「あ、うん」 「あそっか。じゃあ、これからもよろしく」  男の子が、私に頭を下げた。 「あ、いえいえ。こちらこそ」  礼儀正しい男の子につられて、私も深々とお辞儀をした。 「私は、和泉 夢佳(いずみ ゆめか)といいます。駅の反対側の、東国府高校に通ってます。2年生です」  男の子は、野原おじさんの馴染みの配達員なのだろうから、軽く自己紹介した。 「あ、こちらこそ。ぼくは一ノ瀬 快(いちのせ かい)です。そこの紫暮小学校の4年生です」  『そこの紫暮小学校』と言われても、私は隣駅の楓ヶ丘駅に住んでいるので、この辺りの小学校事情には詳しくなかった。  しかし、小学4年生というから、この子は10才前後なのだろう。  10才から、お店の手伝いをしているなんて、なんて偉い子なんだ。 「快くん、でいい?」 「え?」 「これからは『快くん』って、呼んでいい?」 「あ、うん。じゃあ、ぼくは・・・」 「私のことは『夢佳ねえさん』で」 「プッ・・・」  男の子が吹き出した。 「なによ?」 「いや、お姉さんをどう呼ぶかは、これから考えるから」  そう言うと快くんは、笑いをこらえながら話を卵に戻した。  私は、この卵は野原おじさんが注文したものかどうか、ハンコの場所はどこかを確認するため携帯に電話したが、野原おじさんは病院に行っているので、スマホの電源を切っているらしく連絡がつかなかった。  けっきょく卵は、伝票に私がサインをして段ボールはそのまま店に置いていってもらい、販売元の日南商会には快くんの方から、野原おじさんには私の方から事情を説明することで、今日のところは快くんに帰ってもらった。  こんな感じで、私の初めて1人でする店番は、波乱万丈な幕開けだった。
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