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悪役?令嬢がエントリーしました。
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「申し訳ございません、オディール姉様。」
「……良いのよ。私の為だと思ったのよね?」
にっこりと優雅な笑みを湛えて、オディールは羽次に労いの言葉をかける。
その姿は慈悲に溢れているようにも見えるのだが、当の羽次は生きた心地がしない程恐ろしいと感じた。
だってこれ迄、優しい言葉の後は大抵…
「私の為に無理をせずとも良かったのに。貴方は体はともかく、頭は名の通り羽のように軽いのだから。」
…これである。
これ、この歳上の従姉妹の、幼少期からの羽次に対するdisりの定型文だ。
この従姉妹はとにかくやんわりカジュアルに毒舌を放つ。
従姉妹と言ってもあちらは格上の公爵家なので、伯爵家の、しかも三男坊でしかない羽次は幼い頃から顎で使われるのが常態化していた。
そしてそれは、何も羽次だけではない。この従姉妹の実家である公爵家に連なる親類関係全てが、侯爵家の力で成り立っている以上、誰も彼女には逆らえないのだ。
その中でも年齢や容姿がそれなりに優れた者達を、オディールは自らの手駒にしていた。
例えば、何処の誰の始末をつけて来い、何処の誰と寝て来い、と言われれば、手駒達は嫌でもそうするしかない。
でなければたちどころに実家は切り捨てられ、困窮する。
自分だけではない、両親、兄弟、恋人や大切な人がいるならば、そちらにも累は及ぶ。
だから、彼女がその美しく形の良い唇から、優しい声で柔らかく紡ぎ出す残酷な命令を、受け入れざるをえない。
人を人とも思わない、と 称される点では、彼女は何処かの誰かさんにとてもよく似ていた。
「それにしても、殿下は貴方をとてもお気に入りなのかとばかり思っていたけれど、そうでもなかったのかしらねえ…。」
ぱちん、と優雅に揺らしていた扇子を閉じて、口元に当てて考える仕草。
「…申し訳ございません。」
「ああ、良いのよ。仕方ないわ、それだけのモノだったって事でしょう。」
まあそれに、あれはあれで、ね。
と、オディールは微笑んだ。
数ヶ月間、同じ男に体を明け渡して、文字通り体を張ったのにこの言われよう。
しかし、確かに籠絡に失敗していたのはパーティーの一件で明らかになっている。
その上、今朝にはお役御免の連絡迄来てしまった。
羽次にはもう何も弁解は出来なかった。拳を固く握って耐えるしかない。
「やはり殿下は、あの子狸を大事になさっていたようね。」
元々、その時まだ皇子だったラディスの婚約者候補の筆頭に上がっていたのが、オディールだった。
おそらく、ラディス皇子は数年の内に皇太子として立つであろうと言われていたし、オディールもそのつもりで皇太子妃となるべく厳しい教育にも耐えていたのに、ある時急に皇太子たっての希望で、と候補者を捩じ込んで来て、あっという間にその者が婚約者に決まってしまった。
しかも、お披露目に姿を見に行けば、婚約者になったのは平々凡々な幼い少年。しかも並の10歳児より小さく、皇子が片腕で抱っこしている…前代未聞の婚約劇だ…。
皇子はショタコンだったのか…。
電光石火での決定で前情報が少なかった事もあり、集まっていた皆はザワついた。
同性なのはともかくとして、10歳児は流石にセンセーショナル過ぎる。
だが。
黒髪の少年をエスコートする皇子の表情は、笑顔な訳ではなかったが、見た事が無い程に嬉しそうに照れていた。
オディールはそれを見て、負けた、と思った。
なるほど確かに自分が傍に並ぶ事になっていたとしても、あのような表情は引き出せまい。
だが、だからといって 大人しく引っ込む訳にもいかなかった。
別に自分はあの皇子を慕っている訳では無い。あくまでこの肩に背負った家門の為。一族の為。
この国随一の公爵家の長女として、オディールには果たさねばならない責務がある。
皇子があの少年を好いているのならば、側室に迎えて寵愛すれば良いではないかと思う。
オディールは側室の10や20で目くじらを立てるような器の小さい皇后にはならないつもりだ。
皇后というものは可愛がられるだけの愛玩物に務まるものでは無いのだ。
世の中には、適材適所という言葉もある。
幼少の頃からお前は未来の皇后だと父に散々言い含められて育ってきたオディールは、今更皇后の座を諦めるつもりはなかった。
そして彼女は、数人の手駒を皇子の周囲に配置していった。
動向を探り、チャンスを窺う、その為に。
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