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「なに?」
彼がなにを言いたいのか。分かりきっていることなのにあえてぼくはそれを促す。
「今、なに考えている?」
それはこっちの台詞だ。君こそなにを考えて生きてるの? まあ、訊かないけど。
「もちろん、君のことだよ」
「──早く壊れてくれると嬉しいんだけど」
ぴたり、と足をとめ、仄暗い瞳で不穏な言葉を吐き出しながら風真が見下ろしてくる。その瞳を受け止め、思い出したのは、かつて問い詰めた周りの人間にぼくをいじめさせる理由だった。
色々と端折って簡単に要約すると『瑞希は俺以外に心を開いちゃ駄目で、俺以外と話しちゃ駄目で、俺以外を見つめちゃ駄目で、俺以外に笑いかけちゃ駄目で、俺以外に優しさとか涙とかその他の感情を曝け出しちゃ駄目で、俺以外のぬくもりを感じちゃ駄目で、俺以外の人間をその心に入れてほしくない』だそうだ。あたおかかよ。
風真の頭が人よりおかしいことは最初から知っていたが、しかし、どういう生き方をしてきたら人に壊れてほしいと願い、それを実行に移すことができるのだろう。
こういうのをヤンデレというのだろうか。それともメンヘラ? どっちにしても男のヤンデレとかメンヘラに需要なんてあるのか。少なくともぼくは、いつまでもふざてんなよってくらいにしか思ってない。そして、壊れてやるつもりもさらさらない。
「──ぼくは絶対に壊れてやらないし、君のことも絶対に好きにならない」
例えそれが一番楽になれる方法だとしても。なにがあってもそれだけは譲れない。
「…………瑞希ってぇ、見かけによらずタフっつーか、往生際が悪いっつーか」
はぁーっと、まるでぼくの聞き分けが悪くて手を焼いていますっといったように風真が頭を掻いて、微かに俯く。往生際が悪いのはお互い様だ。負けず嫌いとも言う。
「まあ、いいや。簡単に勝負がついてもつまんないしね。諦めの悪い奴を屈服させる快感や愉しみがまだまだ残ってると思えばいっか。時間もたーっぷりあるし。精々俺を楽しませてよ」
にっこりと風真が笑う。『楽しませて』って言うわりには大して面白くなさそうだった。しかしそれをあえて指摘してやるほどぼくも優しい人間ではない。
「任せろ」適当に返事をして、前を向く。本当は任されたくなんてないんだけど。
今日が終わっても明日が来る。ぼくが壊れるか、風真が諦めるまで、この地獄は続くのだろう。だからいつまで経ってもぼくらは交わらず、触れた熱を奪い合って、痛みだけを重ねていく。なんて不毛でいて、生産性の無い、虚しい関係なんだろう。
馬鹿みたいだとは思う。思うけど、やめることは出来ない。出来るはずがない。
ふっと頭に浮かぶのは幼馴染だった彼の姿だ。
中学生の姿のまま、ぼくのなかにいつまでも居続ける彼が、涙で濡れた瞳で今のぼくを睨みつける。それから硬く噛み締められていた唇が開いた。ぼくは彼がなにを言うか知っているし、実際中学生のとき彼の吐き出す言葉をこの耳でちゃんと聞いた。
『裏切り者の嘘つき』
いつまでも耳の奥にこびりついて離れないその声が頭のなかで反響する。
そう、ぼくは裏切り者で、そして、どうしようもない、最低な、嘘つきだった。
今日は寄り道を推奨されなかったので久しぶりに真っ直ぐ帰ることが出来た。
いつもはファミレスだったり、ファーストフード店だったり、……ホテルだったり、様々な場所で時間を潰すぼくらだったが、今日はぼくの足元がこれなので解散することを選んだらしい。靴が無くなると一緒に歩くのが恥ずかしいのか、大体はそうだった。靴を買いに行く手間と出費を考えると素直に喜べないけど、楽ではある。
一息ついて、玄関の扉を開ける。
「ただいま」
呟いた声には隠しきれない疲労とやっと自由になれるという安堵感が自然と滲み出ていた。一応鍵は掛けて、靴を脱いで、自室に向かう。
両親は共働きで夜遅くまで帰ってこない。なので、この時間帯は正真正銘ぼくだけのものだった。耐えていたものを発露させるように、ベッドへと沈み込む。
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