直哉

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直哉

 息を切らせながら階段を登る。ここのところずっと寝たきりだったから息が上がって仕方ない。やはり体というものは使わないとじわじわと死んでいくものなのだろう。  ふらつく足を踏みしめ、私は境内へと歩を進めた。  町はずれのうらぶれたこの神社には、常駐する宮司がいない。時折お義理程度に神社の管理者が掃除をするくらいで、社屋も賽銭箱も手水場も、寂れ、くすんでいる。  長年この町に住んでいるけれど、今まで一度も足を踏み入れたことがない。こんな神社があったことすら、記憶になかったほどだ。  けれどこの寂れ具合がむしろ、私には立夏の言葉を裏付ける証明のように思えてならなかった。  リアルな私たちの世界と明らかに違う、きんと尖った空気が流れるここならば。  私は祈るように腕を伸ばす。  そして、鐘を鳴らした。  カラカラン、カラカラン、カラカラン、カラカラン、カラカラン。  誰の気配もない境内を鐘の音が切り裂いていく。  そのあまりの音の大きさにすくみそうになりながらも、私は必死に手を合わせる。  鐘の音の余韻が消えさらないうちに、祈るように叫んだ。 「青木、直哉! 青木直哉! 青木直哉!」  声の尻尾が闇に溶けていく。  手を合わせ、数秒そのままでいた。  聞こえるのは、かすかな風にそよぐ木々のざわめきと、虫たちの遠慮がちな声のみ。  それ以外は、なにも、聞こえない。  聞こえない。  聞こえてくれない。  私はずるずるとその場へ蹲る。  わかっていた。こうなることくらいわかっていたのに。  直哉が来ないことくらい。だって直哉は。  ざああああっと風がふいに強くなる。  肩の上で私の髪がふわふわとなびく。  せっかくセットしてきたけれど、きっとすっかり乱れてしまっているだろう。  でも、もういい。どのみち、無駄だったんだから……。 「美鈴」  唐突に響いた声に私は膝に顔を埋めたまま息を飲んだ。 「やっぱり似合うな、緑色」  ぶっきらぼうだけれど、少しだけ、ほんの少しだけ照れくさそうなその声音。  長い間ずっと耳になじんでいた彼の声。  直哉の声。  私は泣きぬれた顔を必死に拭い、ふらふらと立ち上がる。そして振り向いた。声のした方を。  そこで私は見た。  鳥居を背にして佇む彼の姿を。  一か月前、交通事故で亡くなったはずの彼が、生前と変わらぬはにかんだ笑みを浮かべて立っているのを。
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